空の青さに誘われて玄関の外に一歩足を踏み出した瞬間に北風に襲われる。
窓から見える天気の良さとテレビで箱根を疾走する学生達に感化され、正月に溜め込んだカロリーを少しでも消化しようと動ける服装に着替え意気揚々と家を出ていった手前、北風に心が折れたとすぐに家に帰るわけにもいかない。
いっそ雪でも降っていれば「走ろうと思ったけど雪だからな…」と誤魔化せたのに。普段は嬉しいはずの太陽が恨めしい。
正月に振る舞われた御馳走とお酒で心なしか重くなった様に感じるお腹を揺らしながら、歩いているのだか走っているのだかわからないスピードで進むこの行為もある意味冬の風物詩かなと思う。そして、来年は絶対に駅伝を観ても走るなんて思わないぞという決意を来年見事に忘れる所までが様式美と言える。
昨日の自分より今日の自分が不幸せなんてことはあるのだろうか。もし、今日何か美味しいものを食べたら、その美味しいものを食べている分昨日の自分より幸せだと思う。もし、何か嬉しいことを言われたら、言われた言葉の分昨日の自分より幸せなはずだ。
幸せの数だけ数えていれば、ずっと今の自分が人生で1番幸せだと思える。そんな風に考えて生きていたい。
初日の出を見たのは何年振りだっだろうか。
前日に妻に初日の出を見ようと誘われた時は正直乗り気ではなかった。仕事がある日はほぼ毎日日の出の時間に家を出て出勤している。いつも見ているものが一年の初めだからといってそんなに変わるとは思えなかった。
1月1日の朝、前日も年越しだと言って、就寝時間が遅くなり、まだまだ眠い目を擦りながら日の出を見に小屋裏へ。確かに注文住宅で建てた我が家の小屋裏のこの窓は一年のこの日の為だけに設置されたものといっても過言ではない。妻が必死に初日の出に誘うのも納得。
太陽が少し昇り辺りが明るくなってくる。まだ太陽は見えていないのでギリギリ初日の出に間に合ったなどと言いながら明るくなっていく景色を眺めていた。
その景色を見て子供がはしゃぐ、妻が幸せそうな表情を浮かべる。今年も一年頑張って来年またこの景色を見ようなんて気が起きてくる。
なるほど、景色としては毎日見てるものと同じはずなのにまったく違う気持ちにさせられた。初日の出、悪くない。
昔からプレゼント交換というイベントが苦手だ。
忘年会などでビンゴの景品がわりに各々がプレゼントを用意するパターンや、単純に持ち寄ったプレゼントを円になって回すパターンなどがあるがどのパターンでもプレゼント交換と言われると少しその会へのモチベーションが下がる。
まず、プレゼントを選ぶ時、会の参加者を思い浮かべて、あの人はこれもらったら嬉しいだろうな、だけど、あの人の元に回ったら…などと考えるとどうにも選びにくい。もし職場などで上司などが参加している場合はもう最悪だ。結局無難で面白味に欠けるものを選ぶことになる。更に大体の場合が「1000円程度」という様な曖昧な値段設定になる。そして、検索をかければすぐに値段がわかるこの時代。買ってきた物が1000円を超えていないと相手の心象が良くない気がするし、1000円を超えすぎてもなんだかズルした気分になる。(これはきっと昔の遠足のお菓子は500円以内!のせい)
会が始まってプレゼントを選ぶのも難しい。回して強制的に手元にくるパターンはよいが、ビンゴの後などに並べられてるプレゼントの中から選ぶのも大変だ。流行り物に疎い私は紙袋などで中身を想像することが難しい。お前はそれはいらないだろ!紙袋見れば想像できるだろ!と空気が読めないヤツになってしまわない様に、悩まされる。
そして、最後の問題はプレゼントをその場で開けた後だ。まず、そのプレゼントは真面目に考えてくれたものか、笑いを提供するために選んだものかを判断しなくてはならない。リアクションも嘘くさくなく嬉しさを表現しなくては…なんてハードルが高いのだろう。
本来、プレゼントというものは渡す相手を思い浮かべてあの人ならこんなものが嬉しいかな、最近こんな事を言っていたなと考えながら選ぶのが楽しみの一つだと思うし、受け取る側も私のために時間を使って選んできてくれたという気持ちこそが嬉しさを倍増させるものだと思う。プレゼント交換に出くわすたびに、プレゼントは物だけではなく気持ちや時間をこめてプレゼントしたいと思ってしまう。
大空と聞くと、幼少期に読んだサッカー漫画の主人公を連想する。
世界各国の名プレイヤーが幼少期に夢中になり、必殺技を一生懸命に真似したというあの漫画だ。
大人になって読み返すとあり得ない技や展開の連続だが、幼少期は私も夢中になって技を練習し、スパイクに穴を開け母親に怒られたものだ。
もし、あの作品が現在で連載されていたらどの様に受け止められるのだろうか。情報がたくさん溢れ、どこにいても世界中のサッカーの試合が見られる現代において、当時と同じ様に子供達が熱中するのかというと疑問だ。
子供の創造力こそ大空に羽ばたく為の翼だったのかななんて思ったりする。