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8/21/2025, 2:07:52 AM

きっと忘れない

 カレンダーに記された、覚えのない赤マル。
この日何かあるの?と夫に聞いたら知らない、書いてないと言う。
「ボーッとして自分で書いたんじゃない?」
夫は笑うけれど、確かにいつもボーッとしてるけど、これは本当に覚えがない。
 でも私が書いたのかな……。
忘れちゃいけないことだったのかな。
誰かとの約束、それとも何かの決まりごと、いつかの記念日、ぽつんと付いた赤マルは知られたくない秘密の暗号のようで。
 長く生きてきたから、大切なことも思い出も過去も増えすぎて、ふっと分からなくなってしまう。

 「ああそれ、こっちの友達と会う日だわ」
週末帰省した長男が、あっさり白状した。
 普段居ないくせになんで実家のカレンダーに書くのよ、ややこしいー!ときつく抗議しておいた。

8/20/2025, 4:34:22 AM

なぜ泣くの?と聞かれたから

 趣味の神社仏閣巡りの途中で迷子になった。
日も暮れたし人気もないし……と焦っていると、柴垣根のそばで泣いている女の子に出会った。
「どうしたの?何を泣いているの?」
「雀の子をイヌキが逃がしてしまったの。伏篭に閉じ込めてあったのに。おばさん、雀になってくれる?」

 おや……これは源氏物語?
これでも文学少女崩れなので「若紫」の有名な一場面くらいは知っている。
 ごっこ遊びだと思った私は苦笑した。
「小さいのに良く知ってるね、でも暗いからもう帰った方がいいよ。一人?お母さんは?」
「イヌキがあそこにいる。私に叱られて離れてるの」

 指につられてそちらを向くと、“犬君”と称されたそれは、血の色の目を邪悪に光らせ、狼の形をした黒く蠢く何かだった。
 私は悲鳴を上げ、その場を離れて駆け出した。
背中を子供の金切り声が追ってくる。
「なぜ泣くのと聞かれたから答えたのに!なぜ泣くのと聞かれたから答えてあげたのに!なぜ泣くのと聞かれたから雀にしてあげるのに!」。

8/19/2025, 1:33:23 AM

足音

 私の彼は猫のように足音を立てない。
そしてそれは、彼の家族も同じだということを今日知った。
 紹介されたお父さんお姉さん弟さんは、彼そっくりのアーモンド型の瞳に薄茶色の猫っ毛、みんな家の中を音もなく歩く。
 これってどういうこと?もしや彼って本当は猫?
ううん、そんな想像はあんまり馬鹿げてる。
 もっと現実的に……そう、ご両親の出身地は確か忍者で有名な所。
お仕事はコンサルか何かで、でも深夜に出掛けることも多いと言ってた。
 もしかして彼の一家は忍者の末裔?だからあんなに足音を忍ばせて歩くの?

 『……どっちもハズレ』
彼の心の声である。
 真相は昔住んでいたマンションの床が薄く、足音云々で下階の住民とトラブルになったから。
家族全員静かに歩くのが癖になり、それが引っ越した後も今も続いている。
 しかし、思ったことが全部顔に出てしまう想像力豊かな彼女を、彼はこよなく愛しているので、ずっと微笑ましく見つめている。


8/18/2025, 1:50:29 AM

終わらない夏

 夏生まれなんです。
だから毎年夏が終わると、ああまた一つ歳取った……と意気消沈します。

 夏の筒姫がにやにやしながら
「どうする?もうちょっと夏、続ける?」
と毎年聞いてきて、私は暑いの苦手だし
「いやいや!結構」
ときっぱりお断りしてたけど、年々決意は鈍りがち。

 とうとう今年、じゃあもうちょっとだけ……と言ってしまったので、残暑厳しいかもです、ごめんなさい。

8/14/2025, 3:12:54 PM

君が見た景色

 とある場所へ、行った行ってないで彼女と軽く言い合いになった。
忘れっぽい俺に焦れて「ああもう!」と、彼女はおでことおでこをくっ付けてくる。
テレパスだから、そうすると頭の中の映像を相手に伝えることが出来るのだ。
「ほらここ、行ったでしょ?」
「あっ、ここか。行った行った!」
映像が頭に流れ込んできたとたん思い出した。
知る人ぞ知る夕陽の綺麗な隠れスポット、確かに数年前に行ったっけ。

 それにしても記憶の景色に映り込んでいた俺、ちょっとカッコ良すぎな気がする。
俺のことをあんな風に彼女が見てるんだとしたら…えっと、ものすごく嬉しい。

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