君が見た景色
とある場所へ、行った行ってないで彼女と軽く言い合いになった。
忘れっぽい俺に焦れて「ああもう!」と、彼女はおでことおでこをくっ付けてくる。
テレパスだから、そうすると頭の中の映像を相手に伝えることが出来るのだ。
「ほらここ、行ったでしょ?」
「あっ、ここか。行った行った!」
映像が頭に流れ込んできたとたん思い出した。
知る人ぞ知る夕陽の綺麗な隠れスポット、確かに数年前に行ったっけ。
それにしても記憶の景色に映り込んでいた俺、ちょっとカッコ良すぎな気がする。
俺のことをあんな風に彼女が見てるんだとしたら…えっと、ものすごく嬉しい。
言葉にならないもの
うんと小さい頃、親戚に連れられて芝居を見に行ったことがある。
笑えるお芝居だよ!と言われていたのに、びっくりするほど悲しい話だった。
幼かったので詳しい内容は分からない。
ただ、いつもバカにされている心の優しい主人公が、人助けで何もかも失くし、でもそれは別の人の手柄になってしまい、皆が幸せになったのに主人公だけ、誤解されたまま寂しく去ってゆく……という理不尽なストーリーだった。
私はショックで泣いた。
たぶん生まれて初めて不条理を知ってやるせない気持ち……と今なら言葉に出来るけれど、当時はとにかく悲しかった。
大人になって調べてみたら、藤山寛美さんという有名な喜劇役者の有名な悲喜劇らしく、確かにすごい迫力だった。
夢じゃない
クリスマスの昼休み、社長が社員全員に10万円を渡して言った。
「何でも好きに使っておいで。
ただし今から、一時間以内。
間に合わなければ返金。
領収書がなくても返金。
足りない分は自腹で払うこと」
数年前、友人の会社であった夢のように羨ましい本当の話である。
焦った友人はとりあえず近くのデパートに駆け込み、ブランドの財布と高級チョコレートと、プラチナのネックレスを買ったそうだ。
「気に入ったものが買えなかった、ちょっと足りなくて自腹になった」
と悔しがっていたが、じゃあ私なら何に遣うかな……と考えると、なかなか良い案が思いつかない。
またね
夢のような美しい里に滞在していた。
里の人は皆親切で温かく、特に子供たちは良く懐いて、私の急な出立を寂しがってくれた。
「またね、きっとすぐ戻ってきてね」
見送る声に大きく手を振って応え、そして……。
あなた!パパ!
耳元で大声がして、はっと目覚めるとそこは病室で、妻と娘が泣いていた。
私は事故に遭い、ずっと意識を失っていたらしい。
もしやあの夢の里は、あの世だったのでは…と、今さらながら愕然とした。
退院が決まり、喜ぶ家族を見るにつけ、一抹の不安が胸をよぎる。
あの時あの別れ際、私は里の子供たちに何と答えたのだろう。
「ああ、またね」
まさかそう言ってしまったのだろうか。
それがどうしても思い出せない。
泡になりたい
事件現場には人の形をした泡の塊が一つ、そして半狂乱になっている恋人らしき男性。
この海の見える展望台で、大勢の人の目の前で、一人の女性が泡になって消えた。
私も目撃者として警察に事情を聞かれた。
……いいえ、特に変わった感じはしませんでした。
途中で男の人が離れて飲み物を持って帰ってくる間も、その人はずっと海を見ていました。
それから急に足下から溶け出して……。
その証言に嘘はない。
ただ泡になる直前、風に乗って彼女の呟きが聞こえたことは、なぜか言えなかった。
「もういいかな」
ごく普通に淡々とした調子で彼女はそう言ったのだ。
その時実は私も、同じことを考えていた。
投げやりでも何でもなく、ただふと酷く疲れた気がして、もうこの辺で十分かな……と思った。
それくらい美しい海だった。