青く深く
モーターボートのスピードが増して、ハーネスに付いたパラシュートが上昇してゆく。
私はボートの中で笑っている子供たちと、心配そうな夫に向かって手を振る。
風を孕んでぐんぐん昇ってゆくこの感じ、空に吸い込まれそうな、海に飲み込まれそうな。
ちっぽけな個の自分が深い青色に溶けてしまうこの感覚を、私は以前にも知っていた。
天の羽衣を失う前、空を飛べたずっと昔のことだ。
家族旅行に来てパラセーリングをやってみたいと言ったら、夫はむきになって反対した。
不安げなその顔を見て初めて、私の羽衣を隠したのはこの人だったのではないかという気がした。
でも、だったら、今さらどうする?
長年の嘘を許せる?
空高く一人で浮かんでいても、もう私は完全な自由と孤独を感じることは出来ない。
愛情というロープに繋がれているからだ。
答えはまだ先に、今はただゆらりと青に溶けていよう。
夏の気配
日傘ってすぐ失くすから。
そう思って安いものばかり使っていたけれど、奮発して遮光率100%のちょっと上等な日傘を買ってみた。
小さな金魚が泳いでいる扇子も買った。
これだけで、猛暑よどんと来い!という気分になっている。
最後の声
妻が言葉を話さなくなって二十年になる。
私が最後に聞いた彼女の声は
「大丈夫、神さまと約束したから」
だった。
当時私たちの幼い息子は重篤な病に苦しんでいた。
医者が首を傾げるような、奇跡的な回復を遂げたのはその直後。健康に立派に育った息子が、独立して家を出たのは先日のことだ。
「なぁ、お前」
私は、湯呑みを手で包むようにして茶を飲んでいる妻に話しかけた。
「あの時、神さまとどんな約束をしたんだい?」
二十年繰り返したこの問いに、妻は穏やかに笑うだけでやはり何も言わない。
空はこんなにも
空はピンク色だった。
砂嵐のせいだよ、と夫が言う。
(夫…なんて新鮮で素敵な言葉!)
私がこんなにわくわくしているのに、「大丈夫?」と彼は心配そうだ。
「どうして?ピンクって大好き」
「そうじゃなくて…当分外には出られないし、シティにもまだ人は少ないし、娯楽もないし」
そんなことは何でもないのだという話は、今まで何度もした。
女優という職業のせいで華やかに見られがちだけど、もともと私はひどい田舎の出身だ。
お堅い惑星開発技術者の彼と電撃結婚したときも、同時に引退したときも、彼に付いて最初の火星移住者になると決めたときも、ずいぶん周りに反対された。
でも素の私を全部分かっている人はいない、愛する夫でさえも。
「私はね、あなたがいれば幸せなの。一生かけて証明してあげる」
ドームの窓辺に寄り添って、暮れてゆく空を二人で眺める。
初めて見る火星の夕焼けは、ああこんなにも青いのね。
子供の頃の夢
子供の頃の夢?そんなの私に聞いてどうするんですか。
二百年も前のこと覚えてないし、なりたい職業っても昼間出歩けないし、不老不死だし将来もなにもないでしょ。
吸血鬼のこと弄ってます?差別だわ。