夢を描け
今は特に思いつかないけど、いつか本当にやりたい夢が見つかった時のために、自分の可能性だけは広げておきたいんだよね…。
そう言って、知人のT君は中学生の頃から勉強もスポーツも頑張って、良い大学に入り、資格をたくさん取って、一流会社に就職して世界を飛び回り、素敵な女性と結婚し、可愛い子供に恵まれた。
てっきり夢を叶えたのだと思っていたら、
「いや、まだ探し中」
なのらしい。
夢を見つけるって大変だ。
届かない……
ペットボトルのキャップを閉めようととしたら、指が滑って転がった。
人をダメにするクッションに埋もれたまま、落ちたキャップに向かって手を伸ばすが、あと少しで届かない。
“こっちへ来い!”
と念じると、キャップはヒュッと手の中に飛び込んできた。
この能力は子供の頃からの横着が高じて身についたもので、サイコキネシスと呼ぶにはあまりにショボい。
届きそうで届かないものを、ほんの少し引き寄せるだけだ。
俺はさっきから、考え込んでいる。
今日、同期の彼女を初めて食事に誘った。
「えっ、二人で?」
と驚かれ、思わず“来い!”と強く念じてしまったら
「いいよー、いつ行く?」
急に彼女は満面の笑顔になった。
あれは俺の能力が通じたのだろうか?
俺の彼女への気持ちは、あとちょっとで届くんだろうか?それとももう届いたんだろうか?
木漏れ日
両側に大きな街路樹が並ぶ、見通しの良い一本道に差し掛かった。
新緑の木々が揺れて、木漏れ日がガラス越しに降り注ぐ。
助手席では母がずっと、ある人の悪口を言っている。
運転に集中しつつも真面目に受け答えしていたが、いつまでも終わらないのでもう相槌を打つだけにした。
細く開けた窓から柔らかい風、ラジオからは爽やかな音楽、煌めく木漏れ日。
こんなに心地好い昼下がりなのに、母の悪口は対象を代えて延々と続く。
何かに心を囚われている人は、周りの美しさなど何も目に入らないのだなぁ…と思う。
そしてそんな母を疎ましく思う私もまた、心を囚われている。
こんなにも輝く春の日なのに。
ラブソング
人生で一度だけ、ラブソングの歌詞を書こうとしたことがある。
友人の彼氏がアマチュアバンドをやっていて、オリジナル曲の作詞を頼まれたのだ。
メンバーに歌詞を書ける人がいないからと、本好きというだけでなぜか私に白羽の矢が立った。
テキトーでいいから、いつでもいいから、あ!ラブソングでお願いね!
とお酒のノリで何となく話が決まり、テープを渡されたものの、私はすぐに頭を抱えることになった。
曲は何だかとてもガチャガチャしていて、サビもよく分からない。
夜な夜な悩んで、どうにか言葉を絞り出したころ…。
なんと友人が突然彼氏と別れてしまった。
そのまま作詞もうやむやになって二十年。
「あの時はホントにごめん、今思い出しても腹が立つわ」
という友人は、今だに元カレの当時の浮気を許していないようだ。
どんな歌詞を書いてくれてたの?と笑いながら聞かれるが
「覚えてないよー」
と私も笑って答えている。
はい、本当は覚えてます。
♪真夏の恋 焼けた喉 僕を潤す冷たい刺激 君はサイダー♪
…的なことを書いてました、早く忘れてしまいたい。
好きになれない、嫌いになれない
スーパーへ買い物に行くたびに夫が
「アイス買う?」
と聞いてくる。
夫はアイスが大好きだが、私は大して好きでもない。
食べたいなら買う?と言うと、いや別にいいよ、と答える。
結局二つ買って帰ると夫はすぐ自分の分を食べてしまって、後から私が
「じゃあ私も食べようかな」
と言うと、「うんうん」となぜかとても嬉しそうな顔をするのだ。
きっと自分だけが食べたいからではなくて、私も食べたくて買ったことにしたいんだろうな…と思うけれど、その理由は分からない。
ただあんまりにこにこ嬉しそうなので、何となく私もアイスが好きな気分になってくる。