#束の間の休息
その部屋は、建物の奥まった場所にある。
そっと扉を開けると、先客達の意識が一斉にこちらへ向くのが分かる。
私と入れ違いに、男が一人足早に外へ出て行く。
部屋は狭く薄暗く、空調の音だけが大きく響いていて、性別も年齢も雰囲気もバラバラの者が四人、小さなテーブルを囲んで立っている。
皆それぞれ宙を見つめ、決して目を合わさず、言葉も交わさない。
我々は見知らぬ、背徳の同志なのだ。
私を含めここにいる全員が、たった一つの同じ目的のために集っている。
社会においては嫌悪され、健全な人々を見れば後ろめたさに襲われる、我々は…。
「おーい、まだ?」
外で待たせていた友人が、扉の隙間から顔を覗かせた。
腕時計を指してるから、もう時間がないらしい。
「ごめんごめん」
私は慌てて二本目の煙草をもみ消し、愛煙家にとって束の間のオアシスである喫煙ルームを出た。
#力を込めて
僕は天の邪鬼な人間だ。
やるなと言われるとやりたくなる、緊迫した時ほどそうなる。
友達はそれをよく知っているので、いざというときは反対のことを言う。
今、崖っぷちで足を滑らせて宙吊りになり、僕の手に掴まっている親友はこう叫んでいる。
「頼む!手を離してくれ!力を抜いてくれ!」
彼を助けるために、一緒に奮闘してくれている周りの人達は困惑顔だが、これで正解なのだ。
僕は掴んだ手に、一層力を込める。
#過ぎた日を想う
稲が黄金色に輝いている。
ヒデオさんは強張る身体をゆっくり伸ばし、目を細めてそれを眺めた。
そろそろ稲刈りの時期だ。
最近歳のせいでぼんやりしてしまうことが多いが、子供の頃から携わってきた自分の田のことはよく分かる。
明日辺り、隣のヤスさんにコンバインを頼むか…と考えていると、ひょっこり当のヤスさんが現れた。
ヤスさんは軽トラックを乗り付け、いつものように大きな段ボールを持って、軽快に降りてきた。
「ヒデさん、頼まれたもの買ってきたよ。ついでに銀行もね」
「いつもすまないね」
「なんの、なんの。ヒデさんは俺の田の先生じゃないの」
ヤスさんは、週末だけこちらに住んでいる兼業農家だ。
移動手段のないヒデオさんの代わりに、日用品の買い物をしたり、医者を連れて来てくれたり、ついでだからと田植えや稲刈りも手伝ってくれる。
二人三脚で農業をやってきた妻が亡くなって二十年、親族は皆土地を売って何処かへ行ってしまい、子供のいないヒデオさんにとっては、近所の人たちが身内のようなものだ。
その近隣の住人も次々人が変わってゆくが、親切なのはずっと同じだった。
21××年、もう何十年も土地を離れていないヒデオさんは、気づいていなかった。
世の中がずいぶん変わってしまって、自分が最後の稲作農業者であることを。
集落全体が保護区になっていて、田も家もヒデオさん自身も文化財であり、時々代わる親切な隣人たちが、国から派遣された職員であることも。
彼の暮らしが変わらぬよう、全力で守られていることを知らなかった。
「来年もこの景色が見れるかねぇ…」
ヒデオさんの目の前には、稲穂の海が遠い昔の日のまま、輝くように波打っている。
#踊りませんか?
可愛い甥っ子のお手てを握って、足の甲にあんよを乗せて、さあ一緒にアンドゥトロワ~。
音楽に合わせてぐるぐる踊ると、はじけるように笑い出す。
「もっともっと!」
ご機嫌なのは嬉しいけれど、こちらはそろそろ息切れです。
…ねぇ、踊るのやめませんか?
#奇跡をもう一度
「お前が下ノ村の弥助か」
…左様でございます、お殿様。
「下ノ村が鬼に襲われた時、お前だけが幸運にも生き残ったそうだな」
…左様でございます、お殿様。
「そして逃げ込んだ上ノ村も、先日鬼に襲われ、またしてもお前だけが生き延びたのだな」
…はい、左様でございますお殿様。
「一度目は奇跡、だが二度目の奇跡などあり得ぬと儂は思う。
もはや村を襲った鬼とは、お前自身であることは自明の理。
正体を見せよ、この鬼め!」
ギラリと刀を抜かれ、弥助は目を白黒させる。
二度はないと言われても、あるものはあるのだ。
どう言えば分かってもらえるのか、
ダラダラと汗を流しながら、絶体絶命の弥助は三度目の奇跡を願った。