#突然の君の訪問。
友人の奥田が突然、真夜中に訪ねて来た。
正確には訪ねて来たのではない、寝ている俺の枕元に、知らぬ間に座っていたのだ。
俺はギャッと悲鳴を上げ
「お前どこから入って来たんだ」
と言った。
「知らん。幽体離脱ってやつだ。お前の助けが要るんだよ、佐野」
聞けば夜中にどうしてもアイスが食べたくなった奥田は、自転車でコンビニに行く途中で石に躓いて転倒し、頭を打って失神したのだと言う。
「俺のアパートの裏道、知ってるだろう。あの街灯のない、人けのない道で今まさに倒れてるんだよ俺は」
つまりここにいる奥田は、生霊というわけだった。
俺は仕方なくタクシーを飛ばし、奴が事故ったという場所へ向かった。
奥田の体は白目を剥いて倒れており、どうやら息はあったので、救急車を呼んだり何だりで大変だった。
ようやく明け方部屋に帰ると、生霊の奥田の姿はすでになく、ホッとした俺は急に腹が減ってきた。
そうだ冷凍庫にアイスがあったな…と思って取り出してみると、腹の立つことに、中身だけがキレイに無くなっていた。
#雨に佇む
木霊を見たことがある…と言ったら笑われるだろうか、子供の頃の話だ。
祖父母の家の庭外れに大きな百日紅の木があって、季節には白いきれいな花が咲くのだが、独身で同居の叔父はいつも邪魔物扱いしていた。
カーマニアの叔父は、そこに新しい駐車場を作りたかったらしい。
家主の祖父も大して思い入れはなかったようで、では切ってしまおうという話になった。
いよいよ伐採業者が入る前日の夕方、祖父母宅で一人で留守番をしていた私は、テレビアニメが終わったタイミングでなにげなく窓の外を見た。
すると、百日紅の木のそばにポツンと佇む人影が見えた。
雨が降っているのに、女性が傘も差さず激しく泣きじゃくっている。
身も世もない…という言葉を当時は知らなかったが、まさにそんな泣き方だった。
私はびっくりし、そして怖くなった。
カーテンをそっと閉めると家中の鍵を確かめ、テレビを消してひたすら母と祖母の帰りを待った。
買い物へ行っていた二人は、その後10分ほどで帰ってきた。
庭で女の人が泣いてる!という私の話を母も祖母もまともに聞いてくれず、そんな人は居なかったし、気のせいだ、と言われて終わってしまった。
実はつい最近、この話を十数年ぶりに母にしてみたのだが、母は全く覚えておらず、苦笑しつつこんな風に言った。
「たぶん悟の元カノか何かだと思ったのよ、あのころ派手に遊んでたから」
悟というのは叔父の名前だ。
そうなのだろうか、そうかもしれない。
でも私は見たと思う、泣いていた女性は、体の半分が透けて木に溶けていた。
今でもあれは、明日伐られることを悲しむ、百日紅の精霊だと思っている。
#私の日記帳
ドレッサーの引き出しに、お気に入りの日記帳を入れている。
毎晩スキンケアのあと鏡の前で、その日あった出来事を記しているのだが、最近何だか書いた覚えのない文章が見つかる。
例えば先週、“限定ケーキ美味しかった”とあるけれど、私は食べた記憶がない。
他にも“バイト先で褒められた”“カラオケで100点を出した”など、どれも全然覚えがなく、とうとう昨日の日記にこんな文章を見つけた。
“彼に告白された、嬉しい!”
これは許せない。こんな大事なことを私が覚えていないなんて。
私はすっかり腹を立て、目の前の鏡に映った自分に指を突きつけた。
「あんたの仕業だって分かってる。美味しいとこ取りしないでよ、この記憶泥棒!」
すると鏡の中の私はエヘヘ…という顔をしてみせたが、私の怒りが本物だと分かるとみるみる顔を歪ませた。
…だって羨ましかったんだもん。良いじゃない、ケチ。
そう言って、めそめそと泣き出した。
#向かい合わせ
アプリで知り合ったその彼は、なぜか向かい合わせで座ることを嫌がった。
背の高い大柄な人なのに、真正面から見つめると、目を伏せてうつ向いてしまう。それが何だか可愛くて、私は好感を持った。
二度目のデートはカフェのカウンターで隣り合ってランチ、映画を観てから夕暮れの公園を並んで歩いた。
彼の横顔は鼻筋が通って睫毛が長く、そっと手を繋がれると胸がドキドキした。
「また会ってくれる?」
「うん、もちろん」
良かった、と微笑む横顔はとても優しい。
でも次の瞬間、強く腕を引かれて両肩を掴まれた。
キスされるのかな…と思いながら、私は初めて正面から彼の顔をまともに眺め、そして戦慄した。
顔の右半分にはさっきのまま微笑みが浮かんでいるのに、左半分は仮面のように表情がないのだ。
少し遅れて左側の唇がキュウッとつり上がり、冷々した酷薄な笑みが広がった時、“二面性”という言葉がふと私の頭に浮かんだ。
横顔しか見せなかったわけが、それで分かった。
#海へ
スコットランドを旅している古い友人から、絵葉書が届いた。
どこの島から出したのだろうか、岩肌と波が印象的な海の写真に
“僕のセルキーに出逢った”
とだけ書かれている。
人の世にも人にも興味はない、と言い続けていた男であるから、おそらくもう帰っては来まい。
彼の幸せを願い、私は一人スコッチウイスキーで乾杯した。