幸せとは
私にとっての幸い(さいわい)とは
美味しいご飯を食べ
ゆっくり寝て
たまに運動して
推しを応援する事だと、最近まで思っていた。
ほんとうは、貴女の幸せが私の幸せなのである。
貴女が美味しいご飯を食べて
楽しく過ごせていれば、それでいいのである。
その隣に私が居られるのなら
私はもっと沢山の幸せを手にすることだろう。
けれど、貴方の隣は私では無い、他の誰かだ。
私は、私のただのエゴを、己の幸せなのだと偽るのだ。
そうしなければ、幸せだと思えないから。
貴女は私との関係に“親友”という名前をつけて飾っているけれど、その関係はホコリを被り始めている。
それでも私は良いのだ。
だから、私は今幸せなのだ。
そうでなければならない。
「あけましておめでとうございます!」
テレビの司会者が言う。
私は膝を抱え、足や手のひらに汗をかき、零れそうになる涙を堪えている。
私の人生がまた一年進んだ。
良いお年を、なんて言うけれど
私にとって新しい一年というものは大変な地獄なのである。
真っ赤になって汗をかきながら、何を考えるでもなくジッとテレビを見つめる。
一時間ほどそれを続ける。
私の嫌いなアーティストが音を外し、けれどとても楽しそうに歌っている。
私はそんなふうな事を考えてしまう、嫌な人間なのだ。
心の奥底が冷たくなるような心地がした。
去年の今頃は、友人と楽しく過ごしていたのに。
私は捨てられたのだろうか。
いや、そもそも拾ってもらってすらいないのではないか。
私がこのような人間でなければ
彼女は大晦日も、家族と過ごす筈の元日ですら私に時間をくれたのでは無いだろうか。
楽しかった時間は元に戻らないという。
だから私は無理やりにでも笑顔を作って言うのだ。
「良いお年を」
ゴミを捨てる時
紙ゴミを出すタイミングに間に合わなかったので、昔の教科書を破いて可燃ごみと共に出す事にした。
散り散りになった教科書を見てなんとなく
ああ。勿体ないことをした、と思うのだ。
化学や数学の勉強をしていた時は
なんだ、こんなもの。つまらないではないか。
何故大人はこのようなものに熱心になるのだろうか。
と思っていたのに
少し大人になった今では、とても面白い読み物として私の時間を削るのだ。
私は、こういう時に勉強の大切さを知るのだ。
明日は可燃ごみを出せる、今年最後の日。
昔のことを少しだけ思い出しながら、散り散りになった思い出を捨てるのである。
来年は、捨てたものよりもっと沢山の思い出が出来ることを願う。
(⚠️燃えるゴミに教科書を混ぜて捨ててはいけないという場所もあるでしょうから、自治体や県の指示に従うようおすすめ致します)
冬空の下で抱き合って
とりとめもない話をしよう。
今日何食べたとか、明日は今日よりもっと寒いんだって、とか。
大丈夫。何も心配することは無いよ。
ただ、元の関係に戻るだけ。
「雪の降る頃に戻る」
と貴方が言ったから、私は縁側で何度目かの冬を越しました。
その間、雪は一度も降らなかったけれど
私はなんでも良かった。
貴方が帰って来てくれるのなら。
私の心はダクダクと音を立てて、歓びに満ちることでしょう。
しんとした庭に独り言が落ちた。
郵便屋のスッとした声が庭の石を弾いて、玲瓏と響く。
「旦那さん、帰ってくるといいね」
郵便屋が帰りがけに呟くように言う。
期待していない声だった。
私は今日も、雪を待つ。
「ただいま戻りました」