君と一緒に食べたかったな。
学校帰りにドーナツ屋に寄り、
新作のドーナツが2つ入った箱を片手に
あの子との待ち合わせ場所に向かう途中の
交差点。
暴走した乗用車が視界に入った直後、
痛みとともに、自分の身体がもう動かないことに
気がついた。
ドーナツ片手に君と喋って、
2月14日にどこかに出かける約束でもしようかと
思っていたのに。
潰れたドーナツが、青春の終わりを告げる。
「愛を注いで育てたのに、
なんでうちの子はあの家の子みたいないい子に育たないのだろうか。」
子供が思う、親が一度は思っていそうな事。
高校生の私が思うに、子供は親のおかげでご飯にも困らず
友達を作ってそれなりに楽しい毎日を送っている訳だから
勉強や手伝いなどで子供なりに少しでも親孝行みたいな事をすべきだと思う。
親がマイペースな子供に不満を持つのは
決して悪い事ではないと思う。
だけど、一つだけ、子供の私が親に問いたい事がある。
Q.親は何のために子供を産んだの?
家事を手伝ってくれる
ロボットのような存在が欲しかった?
“成績優秀の優等生の親”の肩書きが欲しかった?
将来自分の生活費を稼いでくれる奴隷が欲しかった?
違うよね。
親と子供で温かい家庭を築いて、幸せになりたかったから
産んだんじゃないのかって、高校生の私は思う。
あまりにも子供に完璧さを求めすぎるのは、
私は少し間違っていると思う。
これは、思春期の高校生が親に向けた言い訳でしか
ないのかもしれない。
でも、この考え方は、100%合っているとは言い切れなくも
1%くらいは正しいような気がしている。
哀愁を誘う秋の風に連れられて、
僕は真っ赤に染まった紅葉並木の下を歩いていた。
平日の夕方四時、人通りは少なく、木の葉が風に揺れる音だけが耳に入る。
ふと人の気配を感じ、目を向けると、小さな女の子が落ち葉を集めて遊んでいた。
静かな自然の美しさを忘れがちな現代に、こうやって自然と戯れる子供を見るのは
久しぶりな気がする。
そんな風に思っていると、女の子も僕の気配に気づいたらしく、
こっちを見て僕に笑いかけた。
そして、彼女は僕の所に駆け寄り「秋の宝石をあげる」といって、
綺麗な紅葉を手渡してくれた。
大人たちは、紅葉を楽しんだ数週間後には、せっせと落ち葉掃きをして
綺麗な葉も燃えるゴミと一緒にしてしまうけれど、
この子の目には、紅葉は宝石のように綺麗なものとして映っている。
どうかこの少女が大人になっても、この感性を忘れずに
今と同じ目で自然を感じられますように。
どこまでも続く青い空。
涼しくて気持ちの良いそよ風が揺らす木の葉。
優しい木漏れ日を浴びる僕。
静かで広い公園の芝生で、
僕は木の根元に寄りかかるようにして腰を下ろし、
本を読んでいた。
街中とは違い、ここなら騒音にも人の気配にも
邪魔されることはない。
ここで過ごす穏やかな時間が、
僕にとって一番の癒しであり、居場所でもある。
そしてこの場所には、友達がいる。
この公園の存在を教えてくれた、
僕の居場所を見つけてくれた存在。
それは人ではない。
この公園に住み着いている野良猫。
僕が初めてこの猫と出会った頃は、
僕には居場所がなかった。
親との仲は最悪だったし、
学校でもあまりクラスに馴染めなかった。
そんな僕はある日、学校帰りの通学路で、
この猫と出会った。
猫は僕に甘えるように近寄ってきた。
そして、細い脇道に入っていった。
僕は気まぐれでその猫について行った。
その結果辿り着いたのがこの公園。
自然の中でゆったり過ごせるこの場所が気に入った僕は、
頻繁にこの場所を訪れるようになった。
今日も僕は、猫が教えてくれたこの場所で、
一人と一匹の青春を謳歌する。
私は合唱部員でありながら、
声が枯れるまで歌ったことなんてなかった。
仮入部で先輩が歌っているのを見た時、
先輩たちはとても伸び伸びと楽しげに見えた。
私もあんなふうに歌いたい。
そう思って入部を決意した。
でも、入部してから気づいた。
実際は、先輩たちは心から楽しく歌っている訳では
なかった。
見開いた目、大きく開いた口、立つ時の姿勢、目線、
そして笑顔、
全て顧問の先生に指示されて、
やらされているだけだった。
顧問の言う通りの歌い方をしていると、
合唱的には正しい歌い方なのだろうが、
まるで顧問の操り人形にされたような気分になって
私は嫌で仕方がなかった。
合唱が嫌いになった。
だから私は、合唱部の練習では
必要最低限の声量しか出さない。
自分の意思で伸び伸びと、それこそ声が枯れるまで歌ったことなんて一度もない。
早く退部できますように。