手紙を開くと
手紙を開くと、イチョウの葉が一枚はらはらと落ちた。
ん?イチョウ?どうして?
手紙には、妻を亡くした私への慰めと、妻への鎮魂の言葉が、丁寧につづられていた。
調べてみると、イチョウには「長寿」「荘厳」の他に「鎮魂」の意味もあった。
妻の教え子の女性だから、妻への尊敬や、心からの鎮魂の意味を込めてくれたのだろう。
どんなに慰められても、妻を亡くした哀しみは癒えるものではないが、そんな心遣いが嬉しかった。
No.189
すれ違う瞳
スクランブル交差点でたくさんの人が渡る時、何故か、亡くなった人も混じっている気がする。すれ違ったり行き過ぎたりする人たち全部を知っているわけではないので、たまに混じっていても不思議ではない。
素知らぬ顔ですれ違う瞳。そういう人は相手を見ていないけど、でもなんか気づいて欲しいような、ややこしい気持ちで歩いてくると思う。
気づいたところで、どうしょうもないのだが、成仏出来ていない人が、最後の悪あがきで承認欲求を満たそうとしているのかも知れない。
No.188
青い青い
【白鳥(しらとり)は 哀しからずや 空の青
海のあおにも 染まずただよう】
教科書にも載っている(た?)若山牧水の短歌です。
【白い鳥は哀しくないの?海の青にも空の青にも染まらず、ただ漂っている】という意味ですが、私は「青」を意識する時、いつもこの歌が浮かびます。
海に1羽のカモメが居て、空は青く海もあおい。同じ青ではなく、微妙に違う青(あお)ですが、とにかく青い青い。そのカモメは何を思っているのでしょうか?
反対から見ると、それを見つめている牧水も憂いを抱えていて、カモメに感情移入したとき、なんだか哀しい様子に見えるけど、そうじゃないのかな?と思ったのでしょうか?
海で沖を見つめるのが好きな私は、空の青も海のあおも好きですが、白鳥が居る空と海は、格別に青の美しさが際立つと思います。
No.187
sweet memories
高校2年生が、もう1ヶ月もなく、終わろうとしていた日、帰ろうと靴箱を開けると新聞紙に包んだ小さな薄いものが入っていた。周りに誰も居ないのを確かめて開けてみると、板チョコが1枚。
「え?今日ってバレンタインデー?あ、でも誰?うちは女子校だし」と思いながら、その頃の彼氏との待ち合わせ場所に行った。
まだ私の時代は、バレンタインデーなどそれほど普及していなかったから、包みを見たときもしばらく考えたほどだ。
彼は先に来て待っていた。私は挨拶もそこそこに席に着き、注文したあと「これさぁ」と、例の包みを取り出した。
「学校の靴箱に入ってたの。開けてみたらチョコレートだった」
「ふむ」
私はチョコレートの包みを開けて、ひとかけら口に入れてから「食べる?」と聞いた。あの時の彼の顔と口調は、今でも覚えているほど複雑な雰囲気だった。
「いや、いい」
なんとなく冷たく、最小限の短い言葉。無神経な私は何も気づかず、チョコレートをある程度食べて鞄に仕舞った。
今なら「これさぁ」とチョコレートを取り出した時の彼の気持ちはよく分かる。『おーっバレンタインチョコ来たーっ!』それなのに、女子校の私の靴箱に入っていたと聞かされ、一気に期待は崩れ落ちただろう。この日をデートに設定したのだって、そのためだと思っていたかも知れない。
さらに追い打ちをかける私。そんなものを「食べる?」って・・・。
この出来事は、甘いモノの思い出として、そして苦い思い出として、今でも鮮やかに思い出すが、私の女子としての最低の出来事だと思う。
ホント、最低〜!!!
No.186
風と
想像以上に、山は風が激しかった。僕は怖くなってお父さんにしがみついた。「ケンジ、寒いか?」「違うの、風が強いから怖い」
お父さんは何故か嬉しそうに「山は遠目は綺麗だけど登ると厳しい。今回はそれだけ分かればいい。小学生のケンジには辛かっただろう。もう下山しよう」
ヒョウコウ1800メートルとお父さんが言ってたけど、半分くらい登ったかな。
でも、大きさとかじゃなくて、足元は石がゴロゴロで不安定なのに、強い風が吹いているのが、すごく怖かった。帰ろうと言ってくれてホッとした。
帰りは追い風で、まるで風と一緒に山を降りてるみたいだった。
No.185