星明かり
星明かりというハンドルネームの人が居た。掲示板でのお付き合いだから会ったことは無いが、繊細でよく気がつく、女性・・・だったろうと思う。
掲示板の中でも、プロパイダの名を冠していたせいか、大人しい板だった。みな、季節のこととか、軽い恋愛相談とか、つまりは書くことと、返信をもらって、そのやりとりを楽しんでいた。荒れていた板も有るので、平和なところに着地して良かったと、その後思ったものである。
しかし、そんな中でも、彼女はすぐ傷つき、1ヶ月も現れなくなる。機嫌よく楽しくやっているときには面白い人なのだが、琴線が他の人とちょっと違い、思わぬところで傷ついて辛くなるらしかった。
私は、中年になってから始めたので、その板の相談役みたいなポジションだった。それで、星明かりさんのそんな時の相談に乗ったりして、信頼して仲良くしてくれていた。
だが、ある日突然また、彼女は姿を消した。
毎日現れていた人が、ぷっつり来なくなるのだから、みんな「星明かりさん、どうしたの?」と聞いてくるが、私にも分からなかった。前日は円満に話が終わって「よく眠れそうです」と言ってくれてたのになぁ。
で、それっきり彼女は来なくなり、数年後には掲示板そのものが閉鎖され、そのままだ。
ネットの繋がりの儚さを感じた、最初の出来事だった。
星明かりさんはどうしているんだろう?と、今でも時々思い出す。
No.174
影絵
「ほら、るか見てごらん、ワンワンだよ」
白い壁に影絵を映して見せたら泣かれた。
オレのワンワン下手だったのかなぁ?
再度挑戦だ!
「るか、るか、キツネさんだよ」
やっぱりダメみたいだ。泣いてママのところに行ってしまった。
幼い子どもってたいへんだな。何に喜んで、何が嬉しくて、何を怖がるかちっとも分からない。と、思ってると、急に「パパ!」と嬉しそうにしがみついてきたりする。
「どうかしたの?るか泣いてたよ」
「うん、影絵をさ、見せたら泣いた」
「あー、ここで?」
「うん、後ろから光当ててな」
「多分、急に薄暗くされて、光の中でパパは逆光でよく見えないし、影絵を見てる場合じゃなかったのね」
なるほどな。影絵を見せることにばかり捕らわれていた。
「るか、お馬さんしよう」
「あーい」
泣き顔はどこに行ったのか、嬉々としてオレの背中によじ登ってくる。
可愛い!でも難しい!
両親学級で「親は子どもと一緒に成長するんですよ」って言われてたけど、そうなんだな。オレも、るかと一緒に成長するぞ!
No.173
物語の始まり
物語の始まりは、いつも唐突だ。
おじいさんとおばあさんが、山で芝刈りしたり川で洗濯したり、貧乏ながら幸せに暮らしているのに、急に洗濯していた川の上流から大きな桃が流れてきて(非力なおばあさんがよく受け止めたと思うが)そこから運命が激変した。
母を亡くしたお姫様は、寂しくてもそれなりに暮らしていたと思うけど、父王が再婚したところから、魔法の鏡も絡み、これも運命は激変した。
普通の人の普通の恋だって、唐突に始まる。一目ぼれとか、いきなり告白されたりとか?
極論だが、いきなり舞い込んだ良いことや悪いことを乗り越えた時、人は成長するのだ。事故に遭ったり病気になったりも含めると、人はけっこうな数の、物語の始まりを経て来ている。
あー私も病気に負けず、頑張らなくっちゃ!
No.172
静かな情熱
その人は、軍人を目指していたが、その静かな情熱を医学にシフトした。
32歳でドイツに留学し、驚くほどぴったりのバディと出会う。細菌研究の第一人者コッホである。コッホは冷静で的確な判断力を持ち、彼の暴走しようとする情熱をセーブしてくれていたのだ。
人類はこの2人の出会いが素晴らしいことを感じるだろう。なにしろ彼は36歳で破傷風菌の血清療法を確立し、帰国して伝染病研究所を作った。その後もペスト菌を発見したり、新しい研究所を作ったり、慶応大学に医学部を作った。
その人は現在の千円札の顔、北里柴三郎さんである。78歳で亡くなるまで研究を続けた、彼の静かな、いや熱い情熱が無ければ、今もっと苦しめられている人が多かったかも知れない。
No.171
遠くの声
「なに?もうダメなの?」
「橋本先生は、今夜が山って言ってた」
「そんなに急にこんなことになるの?」
「うん、先週来た時は、話しして笑ってたんだけどな」
「末期って言われてたから、しょうがないんだろうな」
【えっ、末期だったの?聞いてないわ】
兄弟が話していることは全部聞こえていた。でも、こうして意識はあるんだけど、目は開けられない。
そんな状態で、半日ぐらいうとうとしている。
さっき、夫も駆けつけてきた。
「今夜が山だって?」
「橋本先生にそう言われた」
「おやじさぁ」
「おやじなんて呼ばれるのは嫌だな」
「じゃなんて言えばいいの?パパ?」
「気持ち悪いな。何でもいいよ」
「こんな時になんだけど、いま火葬場混んでるんだって。押さえておいたほうがいいかな」
「おまえ、こんな時に・・・」
「何日も待つのもたいへんだよ。本人も家族も」
「うーん」
「ところでおやじ、例の件、二郎は知ってるの?」
「例の件ってなんだ?」
「おふくろに万が一のことがあっても、平和だけど、おやじにもし急なことがあったら、相続揉めそうじゃ?」
「なんでだよ!」
「何とぼけてんだよ、子どものことだよ、もう一人の。オレが知らないとでも思ってたの?」
【は?子どもですって?】
思わず目が開いた。
ベッドを遠巻きにして男3人のシルエットが見える。
「た、太郎、お前それをどこから聞いたんだ!」
「お父さん、いま、お母さん目を開いたよ」
「二郎、ホントか?!」
「かぁさん、違うんだ。太郎の勘違いだ」
「おやじ、みっともないよ。素直に認めろよ」
【あー本当にみっともない。元々中年以降はお互いに冷めてたし、もうこの世に未練もないわ】
ピピーッピピーッピピーッという音が響き渡った。遠くで呼ぶ声のようだった。
No.170