シャイロック

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遠くの声

 「なに?もうダメなの?」
「橋本先生は、今夜が山って言ってた」
「そんなに急にこんなことになるの?」
「うん、先週来た時は、話しして笑ってたんだけどな」
「末期って言われてたから、しょうがないんだろうな」
【えっ、末期だったの?聞いてないわ】
 兄弟が話していることは全部聞こえていた。でも、こうして意識はあるんだけど、目は開けられない。
 そんな状態で、半日ぐらいうとうとしている。
 さっき、夫も駆けつけてきた。
「今夜が山だって?」
「橋本先生にそう言われた」
「おやじさぁ」
「おやじなんて呼ばれるのは嫌だな」
「じゃなんて言えばいいの?パパ?」
「気持ち悪いな。何でもいいよ」
「こんな時になんだけど、いま火葬場混んでるんだって。押さえておいたほうがいいかな」
「おまえ、こんな時に・・・」
「何日も待つのもたいへんだよ。本人も家族も」
「うーん」
「ところでおやじ、例の件、二郎は知ってるの?」
「例の件ってなんだ?」
「おふくろに万が一のことがあっても、平和だけど、おやじにもし急なことがあったら、相続揉めそうじゃ?」
「なんでだよ!」
「何とぼけてんだよ、子どものことだよ、もう一人の。オレが知らないとでも思ってたの?」
【は?子どもですって?】
思わず目が開いた。
ベッドを遠巻きにして男3人のシルエットが見える。
「た、太郎、お前それをどこから聞いたんだ!」
「お父さん、いま、お母さん目を開いたよ」
「二郎、ホントか?!」
「かぁさん、違うんだ。太郎の勘違いだ」
「おやじ、みっともないよ。素直に認めろよ」
【あー本当にみっともない。元々中年以降はお互いに冷めてたし、もうこの世に未練もないわ】
ピピーッピピーッピピーッという音が響き渡った。遠くで呼ぶ声のようだった。

No.170

4/17/2025, 3:45:47 AM