羅針盤
大海原を行くときは、どこを見渡しても海ばかりで右も左も分からない。羅針盤無しでの航海は自殺行為だ。
人生の羅針盤はなんだろう?人生うん十年、それこそ右も左も分からず漕ぎ続けて、ここまで来てしまった。
結婚前は、あんな親でも教わることもあったのだろう。暗い青春時代だったけど、道を踏み外すことは無く、無事に成人して仕事に就いて、結婚した。
結婚してからは、それまでの人生で身につけてきたモノで生きてきた。言うなれば、自分の経験値が羅針盤?
幸い良い友達も何人か出来て、その人達とは続いてきたので、常識を外すこともなく、嫌われない人格を形成できたのだ。
自惚れているのではない。結局、人間同士だから生きてきた環境も考え方も違う。そのすり合わせで結婚も友情も続いていく。「価値観が合う」というのが、ぴったりくる言葉かな。
その価値観が、今までの経験値から導き出されている物だから、やはりそれが私の羅針盤になっていると思うのだ。
明日に向かって歩く、でも
終わったことは振り返らない。いつも、明日に向かって歩く私。
そりゃ、反省はしますが、考えてもしたがない、つまりやっちまったことはあまり考えない。こーなるかな、あーなるかなと考えても、答えは出ないのだから、深みにはまるばかりだ。後ろは振り返らない。前を向いて進む。
はずだった。でも、前が見えない時もあった。前を向いてもなにも見えない。さぁどうする?!
そんなときはくるりと180度回って、うしろ、つまり来し方をじっくり眺める。振り返れば、そっちが前だ。そっちが明日だ!(屁理屈)
思い悩むのではなく、一つ一つの事象を反芻する。そしてまた振り返って明日に向かう。方向音痴の私は、そこでもうどっちを向いているか分からなくなりそうだが、明日に向かってとにかく歩く!
ただひとりの君へ(特に娘に捧ぐ)
私にとって「ただひとり」は3人いる。
ただひとりの夫と、ただひとりの息子、そしてただひとりの娘だ。
両親が毒親だったので、私は、結婚してからが幸せで楽しくて嬉しくて堪らなかった。
新婚の夫が夜中まで仕事で帰って来ない毎日も、共稼ぎなのに家事協力が不可能だったことも、つわりの苦しみも、ワンオペ子育ても、何もかも平気だったし、本当に幸せだった。
実家から電車で2時間以上の距離にお嫁に来たので、親の干渉も無くなった。お金の無心は百万単位だったけど。そのうち、父は亡くなり、母は施設に入ったから尚さらだ。
指定難病に罹った私が、今の「ただひとり」の3人に支えられて、これからどれだけ生きられるか分からないが、なるべく長く生きたいと思うのは、やはり幸せだからだと思う。
ただひとりの君(たち)へ、幸せな日々をありがとう。
手のひらの宇宙
井の中の蛙(かわず)大海を知らず
この言葉は私にピッタリだ。手のひらの宇宙に拘泥して、外を見ようとしなかった。小さな小さな宇宙だったのに、それが世間のすべてだと思っていた。
「父はわが家の独裁者だ。家族が自分の思い通りにならないと、罵声を浴びせモノをぶつけ、暴力を振るう。自分の家庭内のモノは、たくあん1枚でも意のままにしたい。そうならなかったときの苛立ち方とその後の行動は、まるで2歳児のようだ」
と書かれた、中学生の息子の作文を読んでしまった。「家族の肖像」というタイトルだった。
作文は続く
「映画やテレビドラマに出てくる、アットホームなあたたかい家族は、父の中には無いのだ。僕だって、そういうあたたかい優しい家族ばかりではないのは知っている。だが、父にその一部でも知ってもらいたいのに、みんなでテレビを見ていてそういうお父さんが映っても、父には別な世界のことにしか見えないのだろう」
なんてことを、先生も当然読む作文に書いたんだ、あいつ!帰ってきたらぶん殴ってやる!
だが、作文はこう結んであった。
「僕は父が、本質は優しいのを知っている。寂しがり屋なのも知っている。だから少しでも、その優しさを家族に分けて欲しい。何をされても、なんだかんだと言ってみても、僕は父が好きなのだから」
不覚にも涙が出た。私の手のひらの宇宙は、まだ修正が効くだろうか。何から始めたら良いか分からないが、少しずつ変わっていきたい。急に優しくなったら気味が悪いだろうから、少しずつだ。
風のいたずら
ふと風が吹いた。
ほとんど風の無い穏やかな日だったが、お墓に相対したとたんに、うなじを撫でられた気がした。
「七回忌か、早いものだな」父が手を合わせながら呟いた。「私たちより早く逝くなんて、ほんと親不孝者」母が涙声で言う。
妹は6年前、不慮の事故で亡くなった。信号無視の自転車に突っ込まれて、横断歩道ではねられた。自転車とは言え、若い大学生がスマホを見ながら全速力でぶつかってきたのだ。歩道の縁石に頭を強打して即死だった。
あの日は日曜日だった。彼女の出掛けに私もいて、「ねぇ、お姉ちゃん、パパとママの結婚記念日、どうする?」「来月だね。2人とも社会人だから、何かいいモノプレゼントする?それとも旅行?」「そうだね、じゃ今夜相談しよう」「うん、行ってらっしゃい」
相談は出来なかった。事故後のいろいろで、結婚記念日もお祝いどころではなかった。家族中で、彼女の突然の死をずいぶん長い間引きずった。
年子の姉である私は、長いこと彼女のために泣けなかった。家族葬をしたときも、その後の法事でも、深い悲しみにくれていたのに、何故か涙が出なかった。
いま、お参りしながら風に吹かれて、いたずら好きだった妹が、ふざけてうなじを吹いた気がした。
「今になって、そんなに泣く?」母にもらい泣きしながら言われて、初めて自分が泣いているのを知った。ただの風のいたずらだったろうけど、私は、彼女が手を振って笑って去って行ったと感じたのだ。