まだ見ぬ景色
あの世というものがどうなっているのか?年を取って、自分も近くなってきたので、非常に興味がある。以前(12/5「夢と現実」)にも書いたが、臨死体験をした人たちが見たという三途の川やお花畑も、本人の好みが色濃く反映されている気がする。
となると、現実にそのような場所を経てあの世に行くのかどうかも疑わしい。あの世には神様がいるのか閻魔様がいるのか、天国と地獄があるのか、一本化されているのかなど、知りたいことがたくさんある。宗教によってあの世が変わるのはおかしいと思うし。
でも、誰も教えてくれない。行って帰った人がいないからだ。もしかしたら亡くなったとたんに、私たちの魂もシューっと消えて終わりなのかも知れない。
そんなワケで、あの世のまだ見ぬ景色は、楽しみなような怖いような・・・。
あの夢のつづきを
小学生の頃、怖い夢を見た。
私の部屋にはドアが2つあり、いつも使っている出入り口ではなく、私のベッドの横にあったドアを開けると、居間と、その先の両親の寝室の両方に行ける長い廊下があった。
ある夜、ふと目が覚めるとベッドの脇の普段開けないドアが開いていた。すると、廊下の一番あっちの端に、派手な化粧と衣装の、京劇の人形が三体並んでいた。薄暗い廊下の端に、等身大で頭の大きな人形はあまりにも不釣り合いで怖く、すぐにドアを閉めて見なかったことにした。実はそれは夢だった。明るくなってから確認したが、もちろん、そんな人形たちは無かった。
目が覚めても鮮やかに思い出すその人形たちは、あまりにもインパクトがあったので、次の日の就寝時に、ついそれを思い出したのがいけなかったのだろう。その晩、目が覚めると、またドアが開いていて、やはり昨日と同じ人形たちが居た。前の日と違っていたのは、人形たちが廊下の半分ぐらい、こちら側に移動していたこと。私は悲鳴をあげてドアを閉めた。という夢。
3日目、嫌な予感がするが、とりあえず就寝したらまた夢を見た。今回はドアが閉まっていた。「ああよかった」と思ったが、気になってしょうがない。あの人形たちはまだ居るのかな?好奇心に負けて、私はドアをそぉっと開けてみた。
すると、開けてすぐのところに三体とも居たのだ。昨日は半分のところに居たのに、今日はここまで来たの?きらびやかな衣装と派手な化粧を施しているのに無表情な三体は、本当に怖かった。ひぇーっと声にならない声を上げて私はドアを閉めた。
たったそれだけの夢なんだが、3日続けて見た彼らの夢は、何十年も経った今でも鮮烈な思い出だ。私はあの夢のつづきを・・・決して見たくない。
あたたかいね
炎は温かい、と言うよりも熱い。
焚き火の炎を見ていると飽きない。適当な距離をとって見ながら手をかざしたり、背中が寒くなって背中を向けたり、お腹が寒くなってまた炎の方を向く。
最近は、消防法かなんかで焚き火はしてはいけないので、うちの子どもたちにはそんな経験がないだろう。焚き火をしたら通報されて、消防車が来てしまう。
大晦日からお正月にかけて、近所の神社でお焚き上げが行われて、前回のお正月のしめ飾りやお札などを燃やしていただく。氏神様なので、初詣を兼ねて毎年大晦日の深夜に出かける。
消防署員も消防団員も立ち会いに来て、神社の氏子さんたちと火の番をしてくれているが、かなり高く炎が踊り圧巻だ。
お焚き上げのお願いをしてから初詣の列に並ぶと、足元に冷たい空気がまとわりつく。でも、身体は温かい。ある程度距離があるのに、お焚き上げの炎から熱気が来るのだ。
一緒に行った夫と、「あたたかいね」と言いながら並んでいると元旦だ。それからすぐに拝殿にたどり着く。
未来への鍵
僕の左手は、拳のまま開かない。両親によると生まれたときからそうだった。だから、利き手の右手だけでなんでも出来ていた。不便も感じない。
小学校、中学校時代は、からかう奴もいた。物を隠すとか壊すとか、陰湿なイジメではなかったので、かろうじて耐えられた。幸い、成績は常に良かったので、一目置かれていたのもあるだろう。
高校もトップクラスの進学校に入った。その頃、両親は僕の左手が使えるように、手術することを検討していた。レントゲンで見ると、指5本分の骨がちゃんとあるそうで、手の皮膚を切開して5本にし、お尻の皮膚を移植して、訓練すれば人並みに使えるようになる。ただ、爪は生えないので、ちょっと異様な手になるが、左手も使えると出来ることが広がるよと、医師から言われたので決心した。
左手も使える世界が、自分の中では想像し難いが、他の人たちがやっているようになるんだと思ったので、手術を承諾した。
半日以上かかった手術のあと、目が覚めると左手は拳ではなく開いた状態で包帯が巻かれていた。まだ動かせないし動かせる気がしない。でも、もう拳ではない。
夏休みの間ずっと、リハビリだった。動くことを長らくしなかった指たちは、開かれて独立しても動き方を知らない。それを1本1本、神経との繋がりを意識させ、動かしていく訓練だ。痛くはないが長い道のりだった。
両手が使えるようになったのを生かして、僕は今、歯科医をしている。細かい仕事をするにつけ、左手も使える喜びを感じるからだ。
あの手術が、僕の未来への鍵だったのだ。
星のかけら
街なかに住んでいると、星空はあまり見られない。あちこちのプラネタリウムに行ったが、やはり本物の星空が見たい。満天の星というのを見てみたい。
それで、個人で長野県の星空鑑賞ツアーに申し込んだ。次の次の土曜日から日曜日にかけての小旅行。楽しみで楽しみで、もう準備にかかっている。1泊なのに、持っていくものを用意したらけっこうな量になり、今度は荷物をシェイプしようとしている。
独り者の気楽さで、時々バスツアーに行く。自分でプランをたてるのは苦手だし、旅行会社のツアーなら間違いないと、女一人で出かけていく。それが今回は星空鑑賞だ。出発日まで仕事も頑張って、心置きなく楽しんで来よう。
ところが、出発する週の金曜日の朝、自分の身体の異変に気付いた。頭がひどく痛く、熱い、背中からバラバラになるような違和感と痛みもあった。
這うようにタクシーに乗って、内科医院に行くとインフルエンザだった。
「あのぉ、明日旅行に行くはずだったんですが…ダメですよね」
「特効薬は出しておくけど、今日の明日は無理ですね。第一、明日じゃまだ身体が辛いはずですよ」
はぁーーー楽しみにしていたのに。頭痛を押して旅行会社に電話する。前日ではキャンセル料をいただくことになっているが、インフルエンザならしょうがないですと、無料にしてくれた。
ひとまず安心して、薬局で買ったOS-1を飲んで横になった。何時間眠ったか分からないが、ふと目が覚めると辺りは真っ暗だった。眠っている間に、夜になったらしい。
あぁ今頃、出発前のウキウキに身を委ねているはずだったのに!半身起こしたものの、灯りをつける気にもならず、またバタンとベッドに倒れ込んだ。
その時だった。目の前に銀色の光が無数に浮かんでは消える。目をつぶっているか開いているかも分からない暗さの中で、その光は綺麗だった。「星のかけら?」そう思い、貪るように光を見ようとするが、流れ星のように浮かんでは目を凝らすと消えていく。
そのうちにまた眠ってしまったらしい。私の星空鑑賞ツアーは、それで終わった。