大空
大空を飛べたら、どんなにステキだろうと、小さい頃の私は思っていた。
でも、大きくなった今、とんでもないことに気がついて、その夢は潰えた。私は極端な高所恐怖症だ。椅子の上にだって上がると足がすくむ。
この年になって、一度も海外に行ったことがないのは、そのせいだ。飛行機は地に足が着いていないから怖い。
因みに、水の上とは言え、船も同じだ、地面にくっついていない。
だから、私の大空のイメージは、下から見上げるいつもの空だ。見晴らしのいいところから見れば、充分大空だが、いつも眺めている空は、建物や樹木、街灯、高架に遮られて、大きく見えたとしても中空(ちゅうぞら)だ。
でも、地球を覆っているこの大空は、どこの国にも繋がっていると思うと、なんだか嬉しくなる。「私は地球の一員なんだなぁ」って思うから!
ベルの音
ドアに取り付けたカウベルが鳴った。チラッと入り口の方を見ても誰も居ない。深夜2時のスナック、流石に今から来る客は滅多にいない。
私は洗ったグラスを拭きながら、形ばかり「いらっしゃいませ」と言ってみた。すると、
「マティーニを」と、かすかな声が聞こえた。
ああ、いつもの人だ。と、私は思った。月に一度ほど、こうしてやってくる。
私はそっとマティーニのグラスをカウンターに置いた。「お待たせしました」
それだけだ。
マティーニは減ることがなくそのままずっとあるし、それ以後、彼女の声を聞くことはない。
なにか言いたくて、この店に来るのだろうか?イケメンでもない私が目当てではないだろうし、他の客目当てならもう少し早く来るだろう。
それでも今夜は特別だから、私はつぶやくように「メリー・クリスマス」と言った。
カウベルがまた鳴った。今まで、帰りのベルの音はしたことがない。満足してくれたのだろうか。
私はもう一度、さっきより少し大きな声で言った。
「メリー・クリスマス」
寂しさ
百人一首の1つに、良暹法師の
「寂しさに宿を立ち出でて眺むれば何処も同じ秋の夕暮れ」というのがあります。
一人ぐらしで、なんとも寂しくて外に出てみたら、やっぱりどこをみても秋の夕暮れの寂しい風景だ、という意味です。宿って、旅の宿ではなく、自分の住まいのことのようです。
秋の夕暮れの寂しさというのは、平安時代はもっともっと深かったと思います。
街の灯りは無いし、自宅の門灯、玄関灯も付いていません。月もまだ出ていないと、「これから暗くなってしまうんだな」と、黄昏の景色を眺めたことでしょう。
私も含めて、現代に生きていると、黄昏時の気配にも気が付かなかったりするときがあります。燈明の揺れる光ではなく、蛍光灯やLEDの灯りが、スイッチひとつでパッと点きますから。
そういう意味でも、古い時代のわび・さびに、半分は憧れが有ります。でも、明るい現代で良かった!
冬は一緒に
北風が吹く冬の日は、コートの襟元や袖口から冷気が入り、思わず襟をかきあわせる。ポケットに手を突っ込む。サラリーマン1年生のオレには、暖かいコートを買う金もなく、薄手のダウンジャンパーだからなおさらだ。
今年の春に出会った彼女から、さっき別れを告げられて、さらに寒さが身に染みる。
「冬は一緒にスノボー行こうね」と約束していたのに、他に好きな人が出来たんだってさ。
あー約束なんてあてになんねえな。
その他にも「アイスクリームは、こたつの中でぬくぬくしながら食べるとおいしいよね」とか「六本木のイルミネーション観に行こうね」とか、冬になったら一緒にやろうねと、小さな予定もいっぱいあったのになぁ。
そんなもんなんだなぁ、女の約束なんてあてになんねぇな。あ〜ぁ、嫌になるなぁ。
とりとめもない話
公園のママ友として知り合い、今でもグループで付き合っている人たちがいる。上の子がまだおむつの頃からだから、もう30年以上になる。
月に1度程度、女子会をするのだが(全員60代で、はい、女子会とは呼べません)その女子会(!)では、本当にとりとめのない話ばかり。それぞれの子どもの近況とか、夫の病気とか、自分の仕事や親のこととか、ご近所の話とか。子どもが小さなときは、みんなで健康相談みたいになったこともある。
それを乗り越えたら、今はなおさらとりとめがない。
「うちの〇〇仕事辞めちゃったのよ」
「えっ、本当?今何してるの」
「うちにいるわよ。お金持ちのマダム相手のお仕事だったから、けっこうもらってたのに」
「あらもったいない!そう言えばAくん覚えてる?」
「覚えてるわよ、うちの娘に噛みついて子!」
「そう、そのAくんが、警察に捕まったんだって」
「誰かに噛みついたの?」
「そんなわけないじゃん、それがね。。。」
誰か一人の話題に乗っているように見えながら、自分の語りたい話に持って行く。聞きたい話があれば、
「それで〇〇ちゃん、これからどんな仕事したいって?」
と、引き戻す。
だが、それでもみんな楽しくて、集まる日を心待ちにしている。ママ友同士だが、子どもが学校に行っていた時代も、成績や進路は関係なく、言いたいことを言い合って面白かった。
意外にキツい言い方をしても、心に黒いモノを持っていないので、笑って流せる。みんなでわいわい話して食べて飲んで、大笑いして、ストレス解消になる。
こんなに良い友人たちと、30歳を有に過ぎてから出会えるとは思わなかった。これからも大切にしたい。