寂しさ
百人一首の1つに、良暹法師の
「寂しさに宿を立ち出でて眺むれば何処も同じ秋の夕暮れ」というのがあります。
一人ぐらしで、なんとも寂しくて外に出てみたら、やっぱりどこをみても秋の夕暮れの寂しい風景だ、という意味です。宿って、旅の宿ではなく、自分の住まいのことのようです。
秋の夕暮れの寂しさというのは、平安時代はもっともっと深かったと思います。
街の灯りは無いし、自宅の門灯、玄関灯も付いていません。月もまだ出ていないと、「これから暗くなってしまうんだな」と、黄昏の景色を眺めたことでしょう。
私も含めて、現代に生きていると、黄昏時の気配にも気が付かなかったりするときがあります。燈明の揺れる光ではなく、蛍光灯やLEDの灯りが、スイッチひとつでパッと点きますから。
そういう意味でも、古い時代のわび・さびに、半分は憧れが有ります。でも、明るい現代で良かった!
12/20/2024, 3:55:56 AM