シャイロック

Open App
11/20/2024, 3:57:46 AM

キャンドル

 揺らぐ炎と、流れる水の音、ちょっと湿った土の匂い、どれも安らぐし癒やされる。何か、人間の本能に訴えかけるものが有るのだろう。
 決して、蛍光灯や電球の灯りではない。焚き火やキャンドルの炎が揺らぐのは、なんとも美しいし、いつまでも見ていられる。
 ましてや、好きな子と手を繋いで歌いながら見つめたキャンプファイヤーの炎は、もう10年も前の話だが今でも忘れられない。
 彼はイケメンとまではいかないがとても優しい目をしていた。キャンプファイヤー直前のフォークダンスのとき、私が次に控えているのを知ってこちらを向いて微笑んだ顔に萌え、私はたった数秒で彼が好きになった。
 最初の印象と同じで、彼は限りなく優しかった。その優しさによりかかり、わがまま放題に過ごした私は、と言うか二人は、卒業と同時に憑き物が落ちたように別れた。今思い出しても惜しい気がするが、流れでそうなったのだからしょうがない。
 キャンプファイヤーの、炎の魔法にかかってしまっていたのかも知れない。

11/19/2024, 3:53:42 AM

たくさんの思い出

 生きてきた中で、いろいろな場面でいろいろな思い出ができた。良いことも悪いことも、抱えきれないほどのたくさんの思い出。さて、この思い出をどうしよう。
 あの世というものに行って、戻ってきた人に会ったことがないので、人の記憶がどうなっているのか分からない。死んでしまったら、今までの記憶どころか、魂すらも消えて跡形もなくなるのか、この世から消えるだけで、いつでも知り合いや家族のところに行けて、様子を見られるのか。後者なら思い出もそのままなので、懐かしんで語り合う相手はいなくても噛み締めることは出来る。
 そう言えば人の記憶は、とにかく一度見たり経験したことは、全部脳に残るそうだ。あとは、その引き出しをどうやって開けるのか。3割程度しか覚えていないし、引き出せない思い出だそうだ。
 それが、あの世に行ったら全部蘇るのなら、死ぬのも悪くない。悪い思い出は、出てきてもさっさと捨てて、毎日いい思い出を反芻してニヤニヤして暮らすのだ。

11/18/2024, 12:50:33 AM

冬になったら

 冬になったら、前回の冬の終わりにバーゲンで手に入れた、真っ白なコートを着よう。雪のように白いから、雪が多いこの地方では映えるよね。大切にクローゼットで眠っているあの白いコートを。
 そう思って、雪を楽しみにしてたんだけど、街が一面の雪に覆われたら、私のコート姿は全然目立たない。
 雷鳥は、夏の間茶色ベースの斑だけど、冬になると真っ白になる。それは、雪の中で外敵に見つけられにくくするためだった。
 真っ赤なコートにすれば良かった!

11/17/2024, 7:05:00 AM

はなればなれ

 昔は、芝居や講談、浪曲で有名だった国定忠治という大親分がいた。要するに、今でいうヤクザさんで、博打や侠客として名を馳せていたのだから自慢できた話ではないが、人情家で子分思い、天保の大飢饉のときには私財をなげうって人々を救ったと言われている。
 その一派が、赤城山まで官憲に追い詰められ、ついに最後のとき、忠治が子分たちに言ったのだ。
 縄張りや国も捨てて、赤城の山とも、お前たちとも、今夜がはなればなれになる門出となる。お前たちも頑張れよ!この刀が(と、愛用の刀に)俺の生涯の相棒だった!
という内容のセリフを言うくだりは、芝居でも講談でも、たまに映画で描かれても、大喝采の山場だったという。
 群馬の人々には自慢の大親分で、静岡の清水次郎長と一二を争っていたらしい。 
 ただ、時代も時代、今はヤクザさんを称賛するのもねぇ、という流れで、人々の心からも、もう、はなればなれになってしまっているのはしょうがない。

11/16/2024, 2:34:40 AM

子猫

 人間を含めた、動物の子どもはみんな可愛い。ワニでもカマキリでも可愛いが、パンダや仔犬、とりわけ子猫は本当に可愛い。
 なんでも、目鼻が顔の真ん中に寄っていて小さいモノに、人は母性父性や庇護欲を持つように出来ていて、無条件に可愛いと思うらしい。それに加えて、ふわふわのにこ毛に柔らかい体、歯をむいて啼き声をあげても、よろよろ歩いても可愛い。ましてや手の平で寝てしまったりしたら、手や肩がしびれてもそっとしておいてやるだろう。
 そんな、子猫のような女と付き合ったことがある。大学生の時だが、彼女は高校生で、小柄で細くて、時々「ねぇねぇ」とすり寄ってくるのも子猫のようだった。
 何が原因だったか、一度ケンカをした。涙をポロポロこぼして「もう知らない!」と水族館から走り去ってしまった。慌てて後を追ったが、探しあぐねてトボトボ1人帰った。まだ携帯も普及していない時代だったから、家に電話しても出てくれなくて、そのまま終わるんだろうと覚悟した。
 1ヶ月ぐらいした冬の夕暮れ。大学から帰ると駅に彼女が居た。俺を見つけると駆け寄ってきて腕にしがみつき、「会いたかったぁ」と頬をこすりつける。結局、あっさり復活した。
 ところがたびたび同じ事があった。気分屋で、「もう、だいっ嫌い」と、それがどこであろうと走り去る。そしてしばらくするとすり寄ってくる、の繰り返し。嫌われたと思ったときは悩んだり反省したり、いろいろ考えて胸が痛くなる。だが戻って来ると、氷解する。我ながら馬鹿だと思いながら、嫌いになれなかった。
 そんな俺でも、だんだんと疲弊し、久しぶりに帰省したとき、母に痩せたねと言われた。急に痩せて体力が無くなったせいか、肺を病んで大学を休学して田舎に帰った。そのまま、本当に彼女とは終わった。
 不思議なもので、まったく会えなくなったら、ホッとしたような寂しいような複雑な気持ちにしばらく苛まれたが、そのうちに傷も癒えた。
 以来、子猫を見ても近づかなくなった。欲しくなったらたいへんだからだ。

Next