シャイロック

Open App
11/11/2024, 9:16:29 AM

ススキ

 近くにススキ野原があって、いま真っ盛りだと言うので二人で来てみた。
近くとは言っても、家から車で30分以上来て、駐車場からかなり歩いた。

 ふいに視界が開けて、一面のススキだった。
1本1本は地味な草だが、こんなにもまとまっていると、風に吹かれて右へ左へと波のように揺れ、大きな生き物のように見えて不気味だった。私は思わず健二の腕にしがみついた。
「健二、帰ろう」
「もう帰るの?来たばっかりだよ」
「だって怖くなったの、なんか怖いの」
思わず涙ぐんだのを見て、健二は私の肩を抱いて、分かった、帰ろう、と言った。
「だいじょうぶだからね」と何度も囁く。その声に勇気を得て、帰りの小道に入ったとき、私は大きく振り返り、もう一度ススキ野原を見た。
・・・ただのススキたちだった。

 怖く感じたのは何だったんだろう?でも、やはり、ここにとどまって眺めているのは嫌だった。鬱が進みそうな気がした。3ヶ月も苦しんで、やっと抜け出したのだ。もう、あの気持ちはたくさんだ。
 駐車場までの道は、意外なほど心が弾んだ。スキップしたい気分だった。

11/9/2024, 12:15:56 PM

脳裏

 その時、脳裏に浮かんだのは、嫌っていた母のことだった。
「あんたも、母親になったら分かるよ」と、事あるごとに言われていた。でも母になっていないのだから分からない。とりわけ激しく叱責されて、感情的になった母に髪の毛を掴まれて振り回されたこともあるが、そういう時に必ずそう言うのだった。
 私にとって母は、自分の感情を制御できない人間に見えて、言うこともやることもきらいだった。
 長じて、結婚して母になっても、長く分からなかった。子どもは可愛くて可愛くて、反抗されても、その瞬間は腹が立つが、感情的になって殴ったりしたことはなかった。
 「育ててやった恩も忘れて!」という親のセリフがあるが、私は可愛くて守りたくて大切に育てたので、育ててやった、などと思ったことはなく、むしろ生まれてきてくれてありがとうと思っていた。
 そんなある日、子どもが私にこう言った。
「専業主婦って一日中ヒマでいいよね」
主婦がヒマだと思うこと自体間違っているが、私の生き方を全否定する言い方に胸が冷えた。悲しかった。あなたを大切に育てたかったから、結婚前に取った資格も使えない専業主婦になったのよ。でも、そう言ったら、そんなことは頼んでいないと言われるに決まっている。
 流石にひっぱたいてやろうかと思ったが、その時、母の言葉を思い出した。人生で、子育てほど思ったとおりにならないことは無い。自分が努力してもどうにもならないことが多すぎる。
 母の子育てが良かったか悪かったかは別として、少し母の気持ちが分かった。やはり母親になったからなのか

11/8/2024, 2:18:48 PM

意味がないこと


どんなに素敵な出来事でも
貴方と一緒でないと意味がない
どんなに美味しいものでも
貴方と向かい合わないと意味がない
どんなに美しい希望でも
貴方と語らなければ意味がない
どんなに熱い愛の言葉でも
貴方からでなくては意味がない

そう すべてが
貴方が居なくなった今では
意味がない

11/8/2024, 3:52:15 AM

あなたとわたし

 あなたとわたしはおやこだから、はなれられません。どんなにたたかれても、どんなにいやなことをいわれても、おうちにいないと、ごはんがたべれないから。
 このあいだ「じそう」っていうひとがうちにきましたけど、おかあさんがおいだしました。「たたいてなんかいませんよ!どならないですよ、おかあさんやさしいよね」とわたしにききます。いやいやしたらあとでおこられます。たたかれます。だからうんっていいました。「さあ、このことふたりででかけるんだからかえってください」わたしにもなにかいおうとしたのに、おいだしてしまいました。
 あなたとわたしはおやこなのに、どうしてたたくのでしょう。どうしてどなるのでしょう。おやこだからなのかな。いたいのはいやです。おおきなこえもこわいです。
 「じそう」さん、もういちどきてくれないかな。ほかのひとでもいいから、だれかたすけてくれないかな。

11/7/2024, 3:53:06 AM

柔らかい雨

 雨が降っていた。
土砂降りではなく、霧雨でもない。暖かい日なので冷たくもない。まだ降り出したばかりで、道も少し濡れている程度だ。
 かばんに傘が入っているが、出してさせば、帰宅してから広げて乾かさなくてはならない。面倒なのでそのまま歩く。
 「それにしてもあれは、何だったんだ?」さっき取引先の部長から言われた一言がひっかかっていた。
「君はどう思っている?」
「何について、でしょうか?」
「いや、それならいい」
何についての考えを求められたのか、まったく思い当たらない。その前の会話を辿ってみても、ただ脈絡の無い話だったと思うのだ。政治とか、経済とか、深みのある話ではなく、確か・・・銀座の小さな店の天丼が絶品で、一度食べたが忘れられない、というような話だった。何か質問の要素があったんだろうか?
 もちろん、大切な取引先だから、上の空ではなく、身を入れて聞いていた。それなのに。
 その後も部長は不機嫌になるでもなく、普通に商談をして辞してきた。いくら考えても分からない。
 考え事をしながら歩くうちに、肩がけっこう濡れていた。軽く雨を払いながら胸元を見ると、社員証の下につけたSDGsのバッジが目についた。
「あ、これか!」思わず叫んでいた。そう言えば、部長は俺の胸元をスッと指差したような気がする。だが、天丼の話で盛り上がっていたので、その唐突さを受け入れられなかったのか。
 次に会ったら、さりげなく話を振って、嫌味にならないくらいに語ってみよう。柔らかい雨が、俺の思案を手助けしてくれた形になった。傘をささなかったのは正解だったのだ。


Next