柔らかい雨
雨が降っていた。
土砂降りではなく、霧雨でもない。暖かい日なので冷たくもない。まだ降り出したばかりで、道も少し濡れている程度だ。
かばんに傘が入っているが、出してさせば、帰宅してから広げて乾かさなくてはならない。面倒なのでそのまま歩く。
「それにしてもあれは、何だったんだ?」さっき取引先の部長から言われた一言がひっかかっていた。
「君はどう思っている?」
「何について、でしょうか?」
「いや、それならいい」
何についての考えを求められたのか、まったく思い当たらない。その前の会話を辿ってみても、ただ脈絡の無い話だったと思うのだ。政治とか、経済とか、深みのある話ではなく、確か・・・銀座の小さな店の天丼が絶品で、一度食べたが忘れられない、というような話だった。何か質問の要素があったんだろうか?
もちろん、大切な取引先だから、上の空ではなく、身を入れて聞いていた。それなのに。
その後も部長は不機嫌になるでもなく、普通に商談をして辞してきた。いくら考えても分からない。
考え事をしながら歩くうちに、肩がけっこう濡れていた。軽く雨を払いながら胸元を見ると、社員証の下につけたSDGsのバッジが目についた。
「あ、これか!」思わず叫んでいた。そう言えば、部長は俺の胸元をスッと指差したような気がする。だが、天丼の話で盛り上がっていたので、その唐突さを受け入れられなかったのか。
次に会ったら、さりげなく話を振って、嫌味にならないくらいに語ってみよう。柔らかい雨が、俺の思案を手助けしてくれた形になった。傘をささなかったのは正解だったのだ。
11/7/2024, 3:53:06 AM