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6/21/2023, 10:34:45 PM

先日、光の入らない洞窟で過ごした実験についての記事を読んだのだが、その女性は何も見えないことが心地よいとコメントしていた。

視覚に頼る自分とは大違いである。

さて、人間の頭では映像記憶の処理だけにどれだけのリソースを割いているのだろうか。
例えば、赤にも朱色、紅色、緋色など、伝統色だけで優に十を超える名前がある。RGBで表記すればもっとたくさん。

大雑把に赤とまとめるだけでも良いだろうに。
そこには、好きな色を共有したい、という自己満足があるのは否めないのではないか。

6/20/2023, 2:20:32 PM

面白い仕事をしろよ、とは初めての上司の言である。
ある一定の年齢特有の、好奇心と、これまでの経験と知識から、無から有を産み出すのが得意な人だった。
見た目から想像できないが(失礼な話だが、イカつい顔に金のチェーンはいけないと思う)、几帳面で義理堅く、堅実に仕事をこなしてしまう人だった。
多くの失敗談も聞いたが、それ以上に面白そうだからと飛び込んで、柔軟に仕事に組み込んでしまえる、その姿がとてもカッコよかった。

後を追いたくなったのは、必然だったかもしれない。
そうして飛び込んだ仕事には、やっぱり面白くない事務作業や、やりたくない関係者調整、経験不足でどうにもならない交渉事などなど、ごまんとあって。
今のところ、追い立てられるように作業をこなすだけで精一杯である。

そんな中でも、ほんのひとかけら、面白くするにはと考えてしまうのは、やっぱりその人の影響だろう。

自分よりずっと年上のその人が、新しい知識を吸収するのをやめないから、追いつくための努力を止めるわけにいかない。
本当に勘弁してほしい。
けれど、同じ舞台に上がって、少しでもその人の話の内容がわかれば、もっと面白いかもしれない。

今日も、真似っこをいつか自分のものにできるよう、キーボードを叩いている。

6/19/2023, 12:57:52 PM

パクられた。

何が、と言えば傘である。なんの変哲もない、一本だけ骨の折れたビニール傘である。思い入れは特にないが、駅から自宅までの15分を思うと頭が痛い。
ほんの一瞬、ドア横の持ち手に引っかけただけなのに、都会って怖いものだ。治安が悪すぎる。
かたたん、と車両の揺れに合わせて隣の友人に体重をかける。

「…おもい。」
「こんな美人に何を言うか。」
「美人なら美人らしく慎ましくしろ。」
「あ、認めた?美人って?」
「やかましい。」

ようやく、眼鏡越しの瞳がこちらを向いた。
さらりと流れる前髪を本人は鬱陶しいと言っていたけれど、癖毛からするとその直毛は譲って欲しいまである。

「ねぇねぇ、駅からいれて?」
「何に?」
「傘。」
「さっきまで持ってなかった?」
「パクられました〜!」
「…もっと危機感持てよ。」
「それで、入れてくれる?」
「パピコ一個な。」
ため息を吐いても、呆れた目をしても、ずっとずっと優しいのを知っている。
綺麗で優しいお嫁さんと、家を出ていくなくことも知っている。
だから、甘えられるうちに甘えようと、そう思うのだ。

「半分ちょうだいね、お兄ちゃん。」
「…しょうがないな。」

6/17/2023, 3:16:47 PM

探偵事務所に勤め始めて早五年。
事務員兼実地調査員から肩書きが変わることもなく、
ドラマのような殺人事件に行き当たることもなく、
猫探しとお年寄りの御用聞で日銭を稼ぐばかりである。

「しゃちょーう。もうちょっと給料上がりません?」
「バカいえ、俺だってカツカツだよ。
 誰だ?こないだの猫探しで不法侵入したのは。
 菓子折り持って謝りに行ったおかげで、
 こっちは収支マイナスなんだよ。」
「そうは言っても、ここ最近の依頼、
 蹴ってばっかじゃないですか〜。」
「うちはな、犯罪に加担しそうなのは受けないのがウリ   
 なんだ。というか、依頼人の個人情報に聞き耳立てて
 んじゃねぇ。」

バインダーの角が降ってくる。
強面も相まって、職質かけられまくってる癖に!
暴力反対と騒げば、更に書類の山が降ってくる。

「そんなに暇でしょうがないなら、暇つぶしできる仕事をやるよ。」
「いらねぇっスヨ。なんすか、これ。」
「空き家の調査依頼。
 大手不動産屋がこの辺の放棄されてるを探してんだとよ。ほら、隣町に新しいモールが立つだろ。駅も近いし、ベッドタウンにするんだとさ。」
「ほー。つまり?このクソ暑い中?外?」
「ご名答。働いてこいよ、名探偵。」

ずっとうだつが上がらない毎日が続くと思って疑わなかったのだ。
空き家の真ん中に、上等な毛並みのアリクイを見つけるまでは。

6/16/2023, 2:43:43 PM

庭のあじさいが、えらく元気だ。
去年、おっかなびっくりおこなった、
適当な剪定が、「適当」だったらしい。

時の流れは残酷なもので、もう鳴き声が思い出せないのは薄情だろうか。
頬袋に餌を詰め込んでよたよたと巣箱に持ち帰る後ろ姿も、機嫌の悪い時に指先に空いた小さな歯の跡も、ジャンガリアンにしては細身で、兄弟姉妹に齧られてかけたであろう耳の形も、きっと思い出せなくなるのだろう。

彼女の肉も、骨も、紫陽花の養分となって吸い尽くされて、本当はもう、何も残っていないかもしれない。

赤色の花序に混じる青色にその存在を感じてしまうほど、感傷的な気分になるのは雨が多いせいだろうか。
これ以上褪せることのないよう、覚書とする。

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