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12/21/2023, 11:28:18 AM

今日のテーマは『大空』
子供の頃は宇宙に色はないのにどうして空は青いのか、なんて疑問を持っていた記憶がある
父さんに質問をしたときは「ずっと空が暗いよりはいいだろ?」と冗談交じりに言われたが、確かにそれだと夜も朝も関係なくなってしまうだろう
まあ案外星空を眺めながら過ごすのも悪くはないかもしれない
ただずっと星空が見えるならプラネタリウムを美しいと感じることもなくなってしまうんじゃないだろうか
それは少し悲しい
やはり朝と夜、メリハリがあるからこそ、普段は見えないからこそ貴重というもの
残念なことに都会では無数の明かりが星空をかき消してしまうが、それもまた自然を美しいと思う要因になるなら悪いことでもない
なんて発言はちょっとロマンチスト過ぎるだろうか?
では今回はこんなところで

12/20/2023, 11:19:50 AM

今日のテーマは『ベルの音』
思い返してみれば、学生という身分を卒業してから楽器に触る機会はめっきり減ったように思う
直近の記憶で言えば知り合いが趣味で集めているギターを借りて演奏を試みたときくらいだろうか
それ以外では楽器を手で触れるどころか目に映った覚えもなかったりする
ベルが楽器に分類されるかは少し首を捻る必要性が出てくるものの、合唱等で用いられることから楽器として扱ってもいいのではないだろうか
そんなベルの音色を映像媒体越しに聞くことはあっても、やはり実物を見ることは少なく形状もうろ覚えになってしまっているのは残念なところ
私の記憶が正しければ鈴や鐘を同系統の楽器と言っても違和感のない形をしていただろうか
そう思えば毎年の暮れに除夜の鐘を見ることもあって、なんとなくイメージは付きやすい
話は少し変わるが
鐘は寺で、鈴は神社で、ベルは教会で、と言った場所で見かける気がしているけれど
この系統の楽器には神聖な、もしくは清廉な印象が強かったりするのだろうか?
生憎歴史に造詣が深いわけでもないため正確なことは言えないが
登山では危険な野生動物を遠ざける目的で鈴を常備したりするらしく、それが昔から用いられる方法だというなら今より遥かに自然が身近な時代では危険な生物を退ける道具に神聖さを見出しても不思議ではないなと、それっぽいことを述べることは可能だ
もしやサンタクロースがベルを鳴らしながら食物連鎖で言えば被食者側であるトナカイが引くソリでやってくるのは、今日は聖夜だから安全な日であるというメッセージが込められているのかもしれない
全て仮説でしかないが、もしそうなら昔の人間も随分とユーモアに溢れていたようだ
ベルの音色は単純なように思えるが、その背景も合わせると意外にも奥が深いということだろう
………たぶん
では今回はこんなところで

12/19/2023, 11:51:17 AM

今日のテーマは『寂しさ』
ここ最近急速に発展したインターネットによって顔も知らない相手と気軽に交流できるようになり
早朝に「おはよう」と発信でもすれば誰かしら適当な返事をくれることだろう
そんな時代だからこそ寂しさは特に感じ難くなった感情の1つだと考えているのだが、そこは個人差があるに違いない
実際、インターネットで交流できるから寂しくない人間もいれば直接会わなくとも交流できるからこそ寂しいという人間もいるはずだ
なんなら寂しさは何も人間関係に限った感情ではない
自らの世代で流行した楽曲を最近の子供が知らないだとか、少し複雑だがやってみると微かな高揚を感じた電車の切符が利便性の波に飲まれて消えつつあるだとか
古いものに良さを見出す自分を自覚して、それを大人になったと胸を張れたらいいのだが、老いてしまったなんて表現も否定はできないのが辛いところ
まあ、まだ寂しさで収まっている現状は悪くない
これが固執に変わってしまえば私ももう年だな、なんて冗談が冗談ではなくなってくるわけだ
『流行は繰り返す』
そんな言葉をよく聞くが、実のところ私のような人間が若者に影響を与えることで発生する出来事なのかもしれない
なんてことを言っている時点で私ももう年だな、と
そんな話を1つ、いかがだろう?

12/18/2023, 1:57:14 PM

今日のテーマは『冬は一緒に』
私なりの解釈で言えば冬という季節で誰かと共に過ごす、そんな事柄から連想されるもの
おそらく大多数のひとはクリスマスについて考えたのではないだろうか
私もまた大多数の内訳に分類されるが、クリスマスの話題はまた別日に出る気がしてならないので温めておくことにする
ふと温めるという単語で思い出したが、寒い日には皆で鍋を囲むなんて光景もまた冬を代表する行事の1つだ
入れる具材が地域の特色を表すと言っても過言ではないほどに伝統的で種類も豊富な鍋料理だが、その中でも他とは一線を画す代物が存在している
闇鍋をご存知だろうか?
正直鍋料理に分類していいのか迷っており、染み出る色は地域のものではなく個々の個性で、気付いたら浸透していた文化なため歴史も存じていないが
それでも誰かと共に過ごす時間という意味なら上位に位置するくらいには私の記憶に残っているものだ
私が友人達と行なった闇鍋は事前の打ち合わせなしに食材を買ってきて、それを鍋に入れて皆で食べるという内容
風の噂に聞いた暗闇の中で適当な具材を投入して食べる形態は火を扱う都合と明らかに食材ではないものを鍋に入れるのは流石に嫌だという意見の一致があったため即座に却下されて上記の形態となった
なったわけだが………未だに理解できないのだが、何故鯖缶と桃缶を同じ鍋に入れようと思ったのか
集まった友人のうち1人が手に持っていたレジ袋から聞こえる食材からはならないだろう硬質なカラカラという音の時点でなんとなく嫌な予感はしていた
だがそれだけなら、そう、それだけなら他の食材次第ではきっと奇跡的に絶妙な味が誕生する可能性もあっただろう
そんな淡い希望を打ち壊したのは1人が持ち込んだ粉チーズ
まあ粉チーズそのものには悪い点はなく、なんなら美味しくなりそうな予感がするという点も同意できた
ただし缶詰類と合わせるべきではなかったという話
結論から言わせてもらえば、缶詰と粉チーズ以外は豚バラやネギといった普通の食材が持ち寄られたものの、最終的に完成した鍋は一口食べただけで食欲を奪われる混沌とした味をしており全員が微妙な顔をしながらも折角企画したからと必死に食べきることになった
当時の感想だけなら、もう2度と闇鍋なんてしないと誓う程度にはトラウマじみたインパクトを残したが
年月を経て思い返した今では、どこか微笑ましい冬の一幕として私の記憶に残っているわけだ
ただ思い出による美化を加味してもやはり2度目の闇鍋は遠慮させていただく
そんな思い出話を1つ、いかがだろう?

12/17/2023, 3:24:55 PM

今日のテーマは『とりとめもない話』
ただとりとめもないなんて言葉を聞くこと自体が少なくなってきたように感じる近年
それなりに定義が難しい話題で、ある種同系統の『なんか面白い話をしてよ』なんて無茶振りに近しいものを感じた
同系統という言葉でまとめはしたが、あえて言語化するならどんな表現を用いたらいいだろう?
受動的、というわけではない
受動的なだけでいいなら合槌をいくつかで済む
能動的、と言い切ることも憚られる
能動的でいいなら、今朝の星座占いで言われたラッキーアイテムの『黒い船の模型』なんて一般的な家にあると思っているのか、そんな話でいいだろうか
つまり話の主体は向こうにあるのにこちらに委ねられた裁量が大きい類のもの
受動的でありながら能動的な会話
なるほど確かに、そんな表し方をしたなら困難であることは容易に感じ取れる
まあどれだけ難易度を示したところで求められたら応えたくなるのも人間の情と言うべきか
そんな『とりとめもない話』を1つ、いかがだろう?

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