愛は、叫びではない
誰かを奪う力でも、所有の証でもない
それは
黙って背中を預けられる場所
嵐の夜に灯る ひとつの灯火
涙の意味を尋ねずに
そっと手を添える仕草
愛とは、
「わかるよ」と言う代わりに
わからないまま、そばにいる強さであり
すれ違いを繰り返しながらも
そのたびに歩み寄ろうとする、
意志の継続
美しい言葉で飾られた愛は
風にさらわれやすいけれど
日々の沈黙の中にある
名もなき心のやりとりこそが
真の愛を育てていく
愛は、証明しようとするほど脆く
与えたときより、
信じたときに深くなる
そして何より、
自分自身をも 否定せず抱きしめる力が
誰かを本当に愛するということの
始まりになるのだ
雨音に包まれて
しとしと ぽつぽつ
世界が 静かにほどけていく
誰かの涙か 空のため息か
音になって 頬をなでる
窓辺に佇むこの時間は
忘れられた想い出の引き出し
ほこりをかぶった手紙のように
ひっそりと胸を叩く
街のざわめきは 遠く
心の声だけが 近くにある
傘の下で交わす言葉より
雨音の方が 優しかったりする
濡れたアスファルトに
映るぼくらの輪郭は 滲んで
それでも たしかにここにいると
雨がそっと 囁いてくれる
「ことばより先に」
子どものように 在りなさい
意味を探すより 感じるほうが早い
名も知らぬ風を そのまま風と呼ぶ
それが 言葉の はじまりだった
誰かになろうとせず
何かを飾ろうともせず
咲いた花のそばに座って
ただ、心が揺れるのを 眺めていた
人は 賢くなりすぎて
壁に名前をつけ 橋に理屈を敷いた
それでもまだ
詩だけは 意味の外から やってくる
言葉は道具になったけど
子どもはまだ 神に会いに行くように
自然に 静かに ひとこともなく
世界を抱きしめるように 笑う
わたしたちは 忘れていく
けれど、詩だけは覚えている
声を持つ前の沈黙を
その中に宿っていた あたたかい何かを
「老猫、恋を語る」
おやおや、また誰かが泣いておる
縁側のこの席は、恋に破れた者の定位置になって久しい
わし?
わしはな、恋などとうに卒業した……と言いたいが
まあ、毛布のあたたかさには まだ未練があるわい
恋とはなんぞ、とよく聞かれる
人間たちは知りたがる
けれど、知ったら最後、うまく動けんものさ
若い頃は、
あの子の尻尾にじゃれたり
深夜の屋根で「にゃあにゃあ」喧嘩したりしたものじゃ
それでもな、
一緒にひなたぼっこして
黙って目を閉じる時間がいちばん幸せだった
恋は 騒がしゅうて
愛は 静かじゃ
忘れるな、若造
「触れたい」と「そばにいたい」は、似て非なるものじゃぞ
触れるのは衝動
そばにいるのは覚悟じゃ
そういうものを
毛づくろいのように
毎日少しずつ重ねていくのが、
――本当の“好き”というやつじゃろうて
さて、わしはそろそろ昼寝に戻るとするわ
おまえも、恋に敗れてうずくまるなら
まず日なたを見つけることじゃ
心は案外、温かさでほどけるものよ
『空を落とした鏡』
誰かが落とした
空のかけら
それは 舗道の隅に眠る
割れそうな鏡
青い羽をまとったまま
地上で息をひそめていた
雲は 綿菓子のように溶け
風は 秘密をささやいては
水面にひとしずく
魔法を落としていく
そこに映るのは
天ではなく 想いのかたち
忘れられた祈りや
誰にも言えなかった夢が
ゆらりと波紋を描いて漂っている
わたしはそれを
飲み水のように見つめていた
踏みこめば壊れる
触れれば消える
それでも、確かにそこに在る
小さな水溜まりは
空が地上に残した、
ひと夜のまぼろし
風がやめば
光が満ちて
その鏡は
静かに 空へと戻っていった