ただいま、夏。
ただいま、現世。
そして、君。
いい加減私を忘れて新しい道歩めばいいのに。
またしけた顔しちゃってさぁ〜。
この時期くらいは私の好きな笑顔を見せてよ。
なぁーんて声は届かないけどね
学校帰り寄り道をして二人でラムネを買って飲みながら
「今日も暑いねぇ」
と彼に話しかける。
返ったてくるのは視線だけで声は聞こえない。
まだダメかぁ……。
「君の声がまた聞きたいな」
グイッと飲み干し空瓶を置きに行く時、微かに彼の吐息が聞こえた
あの日はたしかに、少しだけ特別だった。
でもそれは、派手な飾りや約束じゃなくて、
いつもの道を、少しだけ違う気持ちで歩いた、そんな日だった。
窓を開けたときに吹いた風が、やけにやさしく感じたとか。
自動販売機の前でふたりして選んだ缶コーヒーが、思ったより苦かったとか。
たわいもない話で笑ったあとの沈黙が、ぜんぜん怖くなかったとか。
特別な日っていうのは、
あとから思い返して気づくんだと思う。
もう戻らない時間の中に、静かに置き忘れてきた何かみたいに。
そして今は、
そんな日をいくつも過ぎたあとの、どこかの午後。
スマホのカレンダーには何も書いていないし、
流れる音楽も、いつものプレイリスト。
でもふと、あの日の光景が浮かんでくる。
それだけで、今日という日も少しだけ、特別な気がする。
「起きなさい。もうすぐおじいちゃん家に着くよ」
母に言われて、まぶたをゆっくり開ける。
昼食を食べたあとに車に乗ったからか、眠気に負けて助手席で眠っていたらしい。
窓の外は変わらず、夏の空。
雲もなくバケツ塗りをしたような空色。
シートベルトの締めつけが重たく感じて、軽く体をずらす。
それだけで、夢の続きが遠ざかっていく気がした。
夢の中では、亡くなった祖母が何かを言っていたような気がする。
けれど、思い出そうとすればするほど、指の隙間から水がこぼれるように、言葉が遠ざかっていった。
まだ、祖母について一つも忘れていないけれど夢の中での出来事は頬を撫でられたくらいしか覚えていない。
「着いたよ」
母の声が、今度ははっきり聞こえた。
車がゆっくりと止まり、外から蝉の声が流れ込んでくる。
この音も、夢の中で聞いた気がして、少しだけ胸がざわついた。
家の門は、変わらずにそこにあった。
けれど、今日はなぜか、玄関先に誰かの影が見えた気がした。
私は目を凝らす。
でも、そこには誰もいない。
私は車から降りて地面に足をつけても、現実感がふわふわしている。
ほんのさっきまで見ていた夢が、
まだ私を離してくれないようだった。
2人だけの世界のまま、終わる恋なんて少ないと思う。
最初は確かに違う世界存在だったのに、
出会い、ぶつかり合い、
そして混ざり合い、世界になっていく──。
でもその世界は、時に誰かを迎え入れ、
あるいは出会う前の静けさに戻ることもある。
人生って、そういうものだよ。
「運命を分かち合う」なんて言葉は、
ファンタジーと同じくらい、
綺麗で、儚くて、遠い。