『真昼の夢』
カフェでコーヒーを飲もうと持ち上げた瞬間、隣の人もコーヒーを持ち上げた。
気にせず一口飲み、テーブルにカップを置くとそれも同時。
あ、タイミング一緒になっちゃった。
誰も気にしないようなことに若干の気まずさを覚えながら、本を読むふりをしてちらりと隣の人を見る。
両肘をテーブルにつけながらスマホを見ている。大学生というにはもう少し大人っぽい、ラフな格好の男の人だった。
彼は、私が盗み見していることにもまるで気がつかない様子で、もう一度カップに手を伸ばそうとした。ように見えた。
ところがその瞬間、テーブルについていた右肘がカップにぶつかり、私の方にカップが落ちてきた。
え?うわヤダ、コーヒーかかる…!
と目をつぶって覚悟したのも束の間、気付くと彼のコーヒーは変わらずそのままテーブルにあった。
彼も両肘をついてスマホを見たまま動いていない。
あれ?気のせい?落ちたと思ったのに。
私、夢でも見てた?
軽く混乱していると、彼がさっき見たのとまったく同じようにカップを取ろうとした。また右肘がカップにぶつかる。
うわ、やっぱり落ちるんだ…!
ところが、さっきは絶対にカップがテーブルから落ちたはずだったのに、今回はガチャンと音はしたもののテーブルの上でカップが耐えている。
彼は一瞬驚いて固まっていたものの、倒さなかったコーヒーにはすぐに興味を失い、視線をスマホに戻している。
私はさらに混乱する。
びっくりした。なんだろう、デジャヴ?
それとも白昼夢?
考えたところで、今の出来事がなんだったのか、きっとこれからもわかることはないのだろう。
でももしかしたら、テーブルから落ちたコーヒーが私にかかったパラレルワールドのような未来が、本当はどこかにあるのかもしれない。
『隠された真実』
知られると都合が悪いから。
誰かを傷つけるから。
約束したから。
どんな理由かわからないけれど、真実を隠すというにはなにかしら事情があるのだろう。
知らないままでいた方が幸せ。
ということも、世の中けっこうあると思っている。
『風鈴の音』
幼い頃、祖母の家で。
縁側でスイカを食べ、いとこ達も一緒に庭に向かってスイカの種を飛ばす。
誰が一番遠くまで飛ばせるか。
窓には吊るした風鈴。
風に揺られるたび、ちりんちりん、と鳴っている。
絵に描いたような古きよき昔の夏の風景。
今となってはまるでおとぎ話のよう。
美しい夏の想い出。
そしてスイカの種飛ばしは、いつも明治生まれの祖母が一番強かった。
昔の人の肺活量はあなどれない。
『心だけ、逃避行』
やばい。寝坊した。
アラームが鳴らなかった?
いや、鳴ったのに止めちゃったのかな。
どうしよう。
今から急げば間に合う?
5分で支度して
駅まで走れば…
うん、一旦落ち着こう。
アイスコーヒー飲も。
あ、カフェオレにしよ。
…今日も暑そうだな。
『冒険』
冒険という言葉を調べてみると、
冒険とは、日常とかけ離れた状況の中で、なんらかの目的のために危険に満ちた体験の中に身を置くことである。
なのだそうだ。
これを私の人生の中であてはめて考えると、一番近いのは“出産と育児”だと思った。
確かに言われてみれば、望んで産んだものの、たいして子どもが好きなわけでもなかった私にはかなりの冒険だった。
そしてそれは今も。
ちょっと語弊があるかもしれないが、私にとって、子育ては人生をかけた“冒険”と“娯楽”。
子どもは面白い。