『遠い約束』
忘れんぼうでおっちょこちょいな私のために、娘が5歳くらいのときによく言ってくれてた。
「お母さんが何にも忘れない薬を作る!約束する!」
あの約束、お母さんはまだ覚えてるよ。
早めに叶えてもらえると助かるんだけど…
忘れたんだろうなぁ…。
『フラワー』
幼い頃に作ったシロツメクサの花冠
通学路で飛ばしたタンポポの綿毛
見上げるほど大きなヒマワリ
門出にもらった色とりどりの花束
落ち込んだときに自分で買ったガーベラ
結婚式で持った白いカサブランカ
子どもがくれた赤いカーネーション
ぼんやりと眺めた祭壇の白い菊
花は人生を彩り
喜びも悲しみも
これからも心に刻んでいくのだろう
『新しい地図』
ずいぶん長いこと旅をしてきたものだ。
疲れはてていた旅人は、宿に着くとすぐにベッドに体を投げ出した。体が鉛のように重く、マットレスにどこまでも沈み込んでいってしまいそうな感覚。
そのまま、気がつくと泥のように眠っていた。
目が覚めると、少しだけ気分が良くなっていた。しかし、起き上がる気にはまだなれず、そのまま上着のポケットから古びた地図を取り出した。
両親から渡されたその地図は、もう擦りきれてところどころ穴が開き、読めないところもあるくらいぼろぼろになってしまっていた。
大切な地図なのに、旅の間に雨に濡れてしまったことや、感情に任せて雑に扱ったことも一度や二度ではない。
もう旅をやめてしまおうか。
どこに向かっていたのかも、もうわからなくなってしまっていた。
すっかり気力を無くした旅人は、それから何日も何日も宿から出ず、何をするでもなく、部屋の中からただただぼんやりと窓の外を眺めて過ごした。
そんなある時、窓から美しい青い蝶が入ってきた。旅人が気まぐれに捕まえようとしたが、蝶はひらりと旅人の手をかわし、外に出ていってしまった。
旅人は、蝶をつかみ損ねた手を見つめ、ふと我に返った。
俺はここで何をしているのだろう。
ここは居心地良いが、変化がない。
つまらない。
外に出たい。
陽の光を浴び、風の匂いを感じたい。
旅人は、ついに動き始める決心をした。
不安がないわけではない。しかし、旅人は、それまでの旅で様々なことを学んでいた。
そう、自分でも気がつかないうちに。
どの木の実なら食べられるのかを知っている。
魚の取り方を知っている。
火をおこし、獲物を焼くこともできる。
危ない道を予測することもできるし、ケガをしたときの対処の仕方もわかる。
それまでの旅の経験が、これからの新しい旅の助けになるにちがいない。
大丈夫。なんとかなる。
よし。
どこに行こうか。
まずは新しい地図を手に入れよう。
旅人は宿から出てまぶしそうに目を細めると、一歩、足を踏み出した。
『好きだよ』
こんなことを書いていいのかわからないけど。
春だからなのかいつもなのか、お題がなんていうか…パステルカラーみたいな。難しいわ。
文句言うなら書かなければよいのだけど、まずは続けてみようと思って始めたし、もう少し頑張ってみよう。
好きだよ。かぁ。
誰に言うだろう?
子どもたちにはよく言ってる。
私は良い母親ではないなと自分でも思う。
学校が休みのときはお昼ごはんを作るのも面倒だし、ついつい叱りすぎたりするし、興味の無い話を延々聞かされるのもキツいし、子どもを優先できないこともしばしば。
だからこそ、子どもたちが私の愛情を疑うことのないようにこの言葉を言っている。
ちょっと洗脳に近いかもしれない。
面倒なときもあるけど。
ムカつくときもあるけど。
推しの話を熱く語られるのもキツいけど。
それでも。
美味しい顔されたら嬉しいし、
ムカつくのも一時だし、
推しの話してる時の一生懸命な顔は可愛い。
そのうちに手を離れていく未来を想像すると、やっぱり少し寂しい。
うん。やっぱり覚えておいてほしい。
お母さんはあなたたちが大好きだよ。
『桜』
あなた、見て。桜が満開よ。
おお、きれいだなぁ。
天気も良いし、久しぶりに花見でもするか。
ふふ。子どもたちが小さいときは、お弁当持ってよく行ったわね。
懐かしいなぁ。弁当か。お前が作ってくれた肉巻きとごま和え、うまかったよなぁ。
外で食べるといつも以上に旨く感じるの、あれは不思議だよなぁ。
子どもたちは唐揚げとおにぎりばっかり食べてたわね。あと玉子焼。
そうそう。野菜は食べなくてなぁ。はは。でも、子どもたちもすっかり大きくなっちまって。今…あれ?いくつだったか。
そうね。あなたも歳をとったものね。
お前は変わらないなぁ。俺ばっかりじいさんになっちまった。
ふふ。しわしわになったあなたも悪くないわよ。
はは。そうか。しわしわかぁ。まいったなぁ。
こうやって、お前と話すのは楽しいもんだなぁ。
もっと早く気付いてれば良かったよ。
そうよ。楽しいのよ。私はとうに気付いていたわよ。だからこれからまた、たくさんお話しましょうか。
ああ、そうだな。楽しみだ。
窓際のベッドの上で、老人はゆっくりと眼を閉じる。
ベッド横の棚には、穏やかに微笑む初老の女性の写真。風がふんわりと、一枚の桜の花びらを運んできた。