ふわふわとまあるい光が浮いている。
白や水色、ピンクに黄色、淡い色を混ぜたような優しい色の光。
光の中にいるぼくは思った。
「ああ、帰ってきちゃった。」
となりを見ると、同じような光がいた。
ぼくよりほんの少し赤が強い光。
その赤い光が言った。
「オレもさっき戻ってきたんだ。おまえも?」
ぼくは答える。
「そう。何か忘れたような気がしてさ。」
「そっか。オレは、今もう一度同じ部屋に戻ろうとしたんだけど、まだダメだったんだ。」
「なんで?」
「部屋には扉が2つあるだろう?ひとつ目はオレ達が入るための扉、ふたつ目は大きくなって出るための扉。一度ここに戻ってきちゃうと、その扉が壊れて、直すのと部屋を整えるのに少し時間がかかるらしいんだ。」
「そうなんだ。じゃあぼくもまだ戻れないんだね。」
「たぶんな。でもオレは早く向こうの世界に行きたいから、もう違う部屋を探すよ。じゃあな。」
そう言って、赤い光はさっさとどこかにいってしまった。
その時、透き通った水色の光がふわふわと近付いてきた。
「こんにちは。今の赤い光、ずいぶんせっかちね。」
ぼくは答える。
「こんにちは。そうみたいだね。ところできみも戻ってきたの?」
水色の光が答える。
「そうなの。戻ってからしばらくたつわ。もうこれで三度目。なぜか長く部屋にいられないのよね。」
「そうなんだ。きみは他の部屋を探さないの?」
「うーん、その部屋が良いのだけど…。だんだんひとつ目の扉が開きづらくなってるの。」
水色の光は少し考えてから、続けて言った。
「やっぱり、どうしてもあの部屋に行きたいから、もう少し頑張ってみるわ。それでダメだったら違う方法を考えてみる。あなたは?」
そう聞かれてぼくは考える。
ぼく?ぼくは、、、
そうだ、ぼくは忘れ物を取りに来たんだった。もどらなくちゃ。でも、そうか。すぐにはもどれないんだっけ。
「ぼくは、さっきの部屋が整うまでここでのんびり待つよ。」
そう言うと、水色の光が答える。
「そう。ごゆっくりね。」
「うん。ああ、そうだ。ふたつ目の扉の向こうには何があるのか、きみは知ってる?」
「さあ、知らないわ。でも噂では、怖いことや嫌なことがたくさんあるんだって。だから、部屋に行くのを怖がってやめてしまう光もいるくらい。でも、それ以上に、嬉しいことや楽しいことがたくさんあるとも聞くわね。」
「そうなんだ。嫌なことと楽しいこと両方か…。ちょっと怖いけど、面白そう。どんな世界かぼくも見てみたいな。」
「そうね。私も。」
話が途切れた。
一瞬の沈黙のあと、水色の光が言う。
「じゃあ、私もそろそろ行くね。私、今度こそあの部屋に入る。だから、扉の向こうでまた会えたら嬉しいわ。」
「うん。楽しい世界だといいね。またね。」
「ええ、またね。」
残された光は、ワクワクしてきていた。
部屋が整うまで、向こうの世界を想像しながら待ってみよう。
暖かい日が増え
日向がとても気持ちいい
春の風とともに
芽吹いた花木の香り
桜の花びら
深呼吸をすると
目が痒い
鼻も痒い
なんなら喉もおかしい
花粉なのか
風邪なのかも?
わからない
どちらでもいい
春の風とともに
早く過ぎて
花粉の季節
涙といったらなんだろうと考えてみた。
10代の頃、涙は辛いことがあるから流れるものだった。
意地でも人には見せない。同情されたくない。可哀想、なんて絶対に思われたくない。という感じ。
20代に入ると少しずつ、自分のなかで感情に折り合いがつき始め、涙が出ることを受け止められるようになってきた。泣いてもいいんだ、と。
泣ける映画をあえて観て、思い切り泣いてすっきりする、ということができるようになってきたのもこの頃から。
結婚したあたりから、涙は嬉しくても流れることを知った。子どもが生まれ、日々の成長やイベントごとで涙が出るとは。元々子どもが好きではなく、嬉し泣き、というものにも縁がなかった私には新鮮な驚きだった。
そして今、本当にちょっとしたことですぐに涙が出る。もらい泣きすらするようになった。歳を取ったということなのか。
でも、そんな今の自分も嫌いじゃないなと思う。
色んな涙があって良い。
『小さな幸せ』
ある男がいた。
それは郊外にある小さな墓地。
かなり昔からあるのだろう。入り口の右側には小さなお地蔵さまが並び、墓地の真ん中には観音像が建っている。
3月の終わりにしてはかなり暖かい日だ。
男は日当たりの良い観音像の右側、台座の上で横になり眠っている。
生きているのかと心配になるが、男の右手は、体が落ちないようにしっかりと台座をつかんでいる。
足の先まで垢で黒光りした顔と身体。でっぷりとした腹が静かに上下している。
お墓に供えられるお菓子などを食べているのかもしれない。
男も生まれた時から墓地にいた訳ではない。地方で生まれ、裕福ではなかったが、人並みに学校に行き、友達もいて、高校だって出た。
ただ、今となってはなぜ自分がここにいるのか、いつからここにいるのか男にも曖昧になってしまっている。
家族はどうしただろう。
親は、兄弟は。
結婚はしたのだったか。子供はいたのだったか。
もしかしたら孫もいるかもしれない。
少し暑くなってきた陽の光の下、男は目を覚ます直前にそんな周りにいたはずの大切な人達を頭の隅に見たような気がした。
が、それらはすぐに夢の彼方に追いやられ、気がつくと広い空と、観音様の石でできた右手だけが男を見下ろしていた。
一羽のモンシロチョウが、そんな男の目の前をひらひらと飛んでいった。