モクレン

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『小さな幸せ』

ある男がいた。
それは郊外にある小さな墓地。
かなり昔からあるのだろう。入り口の右側には小さなお地蔵さまが並び、墓地の真ん中には観音像が建っている。
3月の終わりにしてはかなり暖かい日だ。
男は日当たりの良い観音像の右側、台座の上で横になり眠っている。
生きているのかと心配になるが、男の右手は、体が落ちないようにしっかりと台座をつかんでいる。

足の先まで垢で黒光りした顔と身体。でっぷりとした腹が静かに上下している。
お墓に供えられるお菓子などを食べているのかもしれない。

男も生まれた時から墓地にいた訳ではない。地方で生まれ、裕福ではなかったが、人並みに学校に行き、友達もいて、高校だって出た。
ただ、今となってはなぜ自分がここにいるのか、いつからここにいるのか男にも曖昧になってしまっている。

家族はどうしただろう。
親は、兄弟は。
結婚はしたのだったか。子供はいたのだったか。
もしかしたら孫もいるかもしれない。

少し暑くなってきた陽の光の下、男は目を覚ます直前にそんな周りにいたはずの大切な人達を頭の隅に見たような気がした。
が、それらはすぐに夢の彼方に追いやられ、気がつくと広い空と、観音様の石でできた右手だけが男を見下ろしていた。

一羽のモンシロチョウが、そんな男の目の前をひらひらと飛んでいった。



3/29/2025, 6:00:09 AM