鮮やかに色付き、ひらひらと舞い踊りながら散る様は、儚いのに美しい。
そう言われる反面、散った後ばかりに目を向けられてしまうのは何故だろう?
それはきっと、自分を重ねているからで。
変化を嫌う自分は、華麗に舞い踊る”枯葉”にはなれなくて。
踊ることもなく”木”にしがみついて、”木”を知らないまま終わる葉の成れの果てでしかないのだろう。
枯葉
それは、ごく当然の結果だった。
本当なら、なにも知らせないはずだった。
全てに蓋をして、全てを飲み込んで、全てを”嘘”に変えて。
そうじゃなきゃいけなかったんだ。
ーーーけど、気が変わった。
あいつには、知っていて欲しいと思ってしまった。
正直、知らなくていいことなんだと思う。
知らせたところで何かが変わるわけじゃないことも、理解されないことも、容易に想像ができたのに。
それでも、あいつにはーーー彼らには知る権利があると思ってしまった。
知ってもらいたいと俺自身が思ってしまった。
ーーーだから、ごめん。
今日が終わるこの時に、こんな伝え方をしてごめん。
きっと、知らなくてよかったんだろう。
変わることなんて、何もなかったんだろう。
解って欲しい、なんて、言えなかったのにーーー。
”それでも”を、願ってしまった。
例えばそれが最後になったとしても、どうか、ーーーーで欲しい。
”今日”が”あの日”だと気づいた時、俺はあいつに”さよなら”と言った気がした。
今日にさよなら
語弊があるような言い方になるけど、少なくとも俺はアイツを気に入ってる。
それこそ、色々と申し訳ないと自己嫌悪するくらいには。
でも、これだけは譲れない……し、途中で投げ出すくらいなら最初からしていない。
それくらい、俺にとっては大部分を占めていることがある。
そう言うのを抜きにして考えても、やっぱりアイツは”お気に入り”、なんだろう。
ーーーでなきゃ、こんな時に泣くなんて、あり得ないからなぁ。
お気に入り
俺の友人、ーーさんは子供のような人だ。
周りが自然と笑顔になれる天真爛漫さに、”今”に全力投球する一生懸命さを持った、仲間を疑うことをしない純真無垢な人。
純粋すぎるせいで、色々と抱え込まなくてもいいことまで抱え込んでしまう人。
ーーーだからきっと、俺よりも色々と抱え込んでいたのかもしれない。
誰よりも無邪気で優しくて繊細だったからこそ、誰よりも狡猾で非情で大胆になれたんだろう。
俺の友人、ーーさんは子供のような人だ。
天真爛漫で純粋な子供っぽさと、奸佞邪智で狡猾な大人っぽさを併せ持った、誰よりも”人間”らしい人だ。
誰よりも
過去は変わらない。未来は変えられる。
そんな言葉は飽きるほど聞いてきた。
けれど、俺達にとって”未来”は”過去”でしかない。
過去に置き去りにされたまま現在を生きる俺達は、最初から”未来”なんて持ち合わせていない。
”あの日”に全てが止まったまま、曖昧な道を歩き続けている。
もしも、10年後の手紙を読むことができたのなら。
過ちを犯す前の自分達に送ることができたのなら。
”過去の結末”は、きっと”未来の再開”になっていたのかもしれない。
10年後の私から届いた手紙