「この道の先に」
即物的だけど、このテーマから思い出すのは、今は膝を痛めてできなくなった登山。と言っても、家から見える低い山に一人、弁当を持って登り、頂上の岩棚でお昼ご飯を食べて、少しごろ寝をして降りてくるという他愛もないものだけれど。
それでも、先の見えない一本の登山道を行き、ふと、高みに出たときに、これまでの藪から、視界が急に開けて、はるか眼下に自分の住むまちとその向こうに広がる瀬戸内海の島々を見るのは、何度来ても、心が清らかになれる瞬間。
懐かしい思い出。
「夏」
還暦を過ぎた私にとって、「夏」は、今は都会でそれぞれ一人立ちしている、私の2人の娘たちと、プールや山のキャンプ場で過ごしたことが懐かしく思い出されます。上の娘は花火大会で空高く上がる、あの素晴らしく美しい花火の大音響がとても恐いらしく、幼稚園児の頃はよく泣いていました。それをあやしながら、川沿いの土手を、抱っこして、長い時間歩き続け、私の腕がとても痛かったことを覚えています。親戚の人たちは、幼稚園児だから、自分で歩けばいいと言っていましたが、私は、この子ももう少し大きくなれば、抱っこさせてもらえなくなるから、この時期だけの私の楽しみと思い、何時間でも抱っこをしていました。「夏」の思い出です。
「好きな色」
白。
長年のサラリーマン生活のせいか、濃紺のスーツの襟や袖から見える、アイロンがかかり、糊の効いた、シャツの白さが好きだ。
少しでも黄ばんだりしていると、テンションが下がる。
だから、朝、鏡の前で、襟や袖口から見えるシャツの具合をチェックする。
そして、「今日も頑張るか」と、老骨に鞭を打って、仕事に出かける。
「相合傘」
還暦を過ぎた世代の方には懐かしい光景と思う。一方、現代のマナーからは逸脱し、ある意味、器物損壊で捕まるようなこと。
修学旅行で有名な観光地に行くと、クラスのいたずら好きが、お寺の壁や柱に、クラスの男の子と女の子の名前を書いた相合傘を落書きしていたのを思い出す。
今では、いたずらじゃすまされない。子ども、親、先生、校長が謝らないといけなくなる。
もちろん、いたずらを擁護はしない。
ただ、今から約半世紀前の何というか、今とは別の世界に住んでいて、いじめもなく、そのかわり、ゲームも、スマホもない不便な時代だったけど、相合傘のいたずらがげんこつを先生からもらっただけで済んでいた頃が懐かしい。
「一年前」
その時は世界や日本を揺るがせるほどの大きな出来事も今は誰も見向きもしない。今に始まったことではないけれど、そろそろ、我々は自分の忘れっぽさ、虚ろ気な性癖に気がつかないと。
いつのまにか大変なことになって、わかったときには後戻りができないことになっている。
これまでも繰り返されてきたこと。
若い人はよくよく騙されないように。