「好きな本」
夏目漱石の「三四郎」。
還暦を過ぎた私は中学生の頃初めて読み、以来、20回くらいは読んだ。
特定の言葉が私の心に響いた。
手元に本がないので記憶になるが、
「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より、・・・・・頭の中のほうが広いでしょう。いくら日本のことを思ったって、ひいきの引き倒しになるばかりだ。とらわれちゃだめだ。」といった内容だ。
冷静に時勢を見極めることの重要性を訴えた言葉だ。
三四郎が「これからは日本もよくなるでしょう。」と言ったことに対し、漱石の分身のような広田先生は「滅びるね」と断言し、漱石没後数十年後に敗戦により本当に滅んでしまった。
今、戦後70年。敗戦は明治維新後約80年。
我々は、真面目というか、真剣に、我々の行く末、世界の中の祖国日本の有り様を考える。そのことの大切さを漱石の三四郎から改めて思う。
若い頃から、妻に、「あなたは食べ物の好き嫌いが多すぎる。人付き合いでの好き嫌いに表れるよ」と叱られていた。
還暦を過ぎて、食べ物の好き嫌いは、少し我慢をすればある程度のものは食べることができる。
そのためかどうかはわからないが、人の好き嫌いも気にならなくなってきたような気がする。老化現象かもしれないし、少しは人間が立派になったのかもしれない。遅すぎるとは思うが。
ただ、妻の言によれば、「全然なってない」らしい。
あとは、開き直って、好き嫌いを超越するしかないか。
正直、こればかりはなかなか難しい。
あくまでも私の個人的な事情だけど。
意地悪なことばかりを敢えて言います。私の機嫌が悪いからかもしれません。たまにはお許しを。
街、つまり、繁華街に行くと、礼儀をわきまえない人に出会う。スマホ歩きでぶつかりそうになる。でも謝らずに通りすぎていく。こちらは足が悪いので転びそうなのに。
横に長く並んで歩いて通れないので大きく迂回して通り抜ける。彼ら彼女らは何とも思っていない。自転車に乗ってはいけない商店街を自転車がもうスピードで走る。路上には歩道を占領して車が停まっている。大概が高級車。
嗚呼情けないかな、わが祖国。
いや申し訳ない。大げさ過ぎた。
でも、もうちょっと周りを気づかってほしいなぁ。
小さな「岐路」なら毎日何度も訪れる。私が思い悩む岐路は、自分のこの世からの去り時をいつにするかだ。親は自分が誰で家族が誰かもわからないほどに呆けて精神病院に入院中コロナに感染し、治療を受けられず死んだ。コロナのことを恨んでいるのではない。呆けて自分が誰かわからなくなるのは何としても避けたい。
そこで自分の去り時を見極めねばならない。私自身にとっては大きな人生の岐路である。
正直、世界の終わりには居たくない。当たり前、みんな同じ。
「そもそも」なんて細かいことを言って本当に申し訳ないけど、世界の終わりがどんな感じか想像できない。
世界というからには、日本だけじゃなく、それこそ、地球がなくなるほどのことだよね。彗星の衝突とか。
若い人には申し訳ないけど、年寄りには、惚けて自分が誰かわからなくなってしまうよりはましな死に方だね。
そのときは一人がいい。先に近しい人が死ぬのは見たくないからね。
これは本心から言うけど、のんびり死ぬのを待てるような気がする。これまでの多くの人からの手助けに感謝しつつ。さようなら。