#友達との思い出
残念なことだが、友達との思い出にあまり良いものはない。私の人間性に難があるのか、それとも相手が悪いのか、その両方なのか。別に一緒にいる時のその時一瞬一瞬は楽しい。一緒にいる間は不快ではない。しかし、結局のところ私は相手の1番の親友にはなれない、その他大勢のモブにしかならないため、人生に一区切りつく時に必ず別れがやってくる。はっきりと別れがある場合もあれば、ゆっくりとフェードアウトする場合もあるが、どちらにしろ縁は切れる。そしてその縁切りには大抵ネガティブな事象がつきまとう。
こう、ただつらつらと書き連ねても面白くないから、一つ例を挙げてみようか。
私にはAという幼稚園以来の友達がいた。私たちは仲良く地元の小学校に入学し、最初の2年間は同じクラスだった。その後クラスが別れた時に友情は崩れ始める。Aと同じクラスであったBちゃんが、Aに執着し行動制限を課した。Aに私と遊ぶなと言ったのである。
尚、Bと私も友達ではあった。ただ、Aほどの親友ではなかったというだけである。私の記憶では、Bに対して特に意地悪をしたことも、仲間外れにしたこともない。私とAが遊んでいる時にBが来ても、それはそれで仲間に入れて遊んでいたはずである。私とAとBは仲良し3人組として周りから認知されていたほどなのだ。それなのに私はBによって仲間外れにされるのだから、不思議で仕方がない。
私とAは隠れて遊んだこともあったが、結局遊ぶ頻度は減り、クラスが違う状況が続いたこともあって少しずつ疎遠になっていった。Bは私立中学校へと入学したので、中学校では特にAと友達付き合いをしても支障はなかったのだが、いかんせん4年間も離れていたのだ。趣味も何も共通点がなくなってしまった。結局同じ部活に所属していたものの、言葉を交わす機会はさほどなかった。私は卒業する時になってやっとスマホを持ったが、Aと連絡先を交換しなかった。
ちなみにBとは中学時代において、役場主催の中学生向けの研修旅行に参加した時だけ関わりがあった。私立中学に進学したBは研修旅行参加者の中ではアウェイな存在であったから、参加者の中では一番付き合いが長かった私に絡んできた。それを私は無碍にせず、旅行期間中は友達として一緒に行動した。仲直りできた(そもそも喧嘩した覚えもないが)のかとこの時は思ったが、現実は甘くないことを数年後に知る。
高校、大学は別々のところに進学した。私とAでは興味も違うし、成績も異なっていたので、Aの志望先は気にもならなかった。幼稚園以来の付き合いだけだあって親同士は仲が良いので、高校以降のAに関する情報は全て親から聞いた。Aは県外の私立大学に進学していた。Bに関しても親から県内の私立大学に進学したことを聞いた。
そして、成人式。久々に3人が揃った。「仲良し3人組」が揃った。私たちが離れている間も、親同士は交流があったので仲良さそうに喋っていたが、私たちの間には通り一遍の挨拶をした後は気まずく笑い合うしかなかった。Bの親が写真を撮ろうと言い出して、会場前の成人式の看板前に並んだ。AとBはピタリとひっつきあって看板の左に立つから、私は一人右側に並んだ。写真を撮り終えて親の目が逸れると、AとBはそそくさと連れ立って会場の中へと入っていった。成人式の場であるが、大人の振る舞いはそこにはなかった。小学校時代から何も変わっていなかった。
私は一人で会場に入った。そこで運良くメイクしていても識別可能な、それでいて手持ち無沙汰そうな元級友に会ったので、学生時代は特別親しかったわけではないものの、並んで座った。互いに近況を話し、互いの晴れ着を褒めあった。周りの子の様子を見て、何色を着ている子が多いとか、どの子の髪型が良いとか、無難で楽しい会話をした。
こうして、私とAの関係は切れた。Bとは勿論である。これから先も、親から近況を聞くだけで実際に会って話すことはないだろう。それで十分だ。私はもうAとBに興味がないし、2人も私のことを知ったところでどうでも良いだろう。終わりよければすべて良しというが、本当にその通りだ。途中がどんなに楽しくても、終わり方が悪いと全ての記憶に蓋をしたくなる。
よって、友達との思い出というのに、あまり良い感情はない。むしろ友達とは呼び難いがそこそこ親しい知人との方が、楽しい思い出があるように思う。友達付き合いというのはその時だけ楽しんで、相手から特段求めがない限りは人生の節目でスパリと、潔く関係を断ってしまうのが一番合理的なのではないかと思う今日この頃である。
#星空(ややセンシティブな内容を含みます)
今日の夜は快晴、ちゃんと星空が見える模様。それがどれだけ嬉しいことか、わかる人がどれだけいるのだろう。あの日からまだ数年、されど数年。記憶は確実に薄れていっている。
5年前のあの日、激しい長雨によって引き起こされた洪水と土砂崩れ。深夜に何度も鳴り響いた警報。みるみる道が川へと変わっていく。まるで滝のように、高い土地から低い土地へと濁流が落ちていく。まるで映画のワンシーン。天変地異、あるいは、邪悪な魔法使いが大暴れしているかのよう。ごうごうと凄まじい音を立てて水は流れ、それに負けないくらいの勢いでバケツをひっくり返したかのような雨が降る。
翌朝。晴天の下に現れたのは、一晩濁流に揉まれ続けて茶色に染まった町。どこもかしこも濁った茶色の水に浸かっていて、民家の一軒一軒が一つの島のよう。それでも、夜よりは水位も下がって流れは遅いから、長靴を履いてザブザブと川と化した道を歩いてみる。数歩進んで道の端に差し掛かった頃、ガツンと足が何かに当たった。引っ張り上げてみたら、自分の自転車だった。鮮やかなオレンジ色のフレームも、濁った水の中にあっては見えない。車輪には無数の小石と砂が挟まっていて、水で綺麗に洗い流したところで使い物にはならないだろう。
テレビを見れば、自分の町と大差ない、あるいはそれ以上に悪い状況の地区の映像が映る。未だ水位が高くてボートで移動している人たち、自衛隊のヘリコプターで救助される人たち。土砂で埋まった線路。崩壊した高速道路。家屋の全壊、半壊、床上浸水、床下浸水。負傷者。行方不明者。死者。時間と共に被害が明らかになっていく。壊されたものが、失われたものが、明らかになっていく。
この年、自分は人生で初めて七夕を祝わなかった。
それ以来、七夕が近づくと天気予報が気になる。今年はちゃんと星空が見えるのか。ちゃんと七夕を祝えるのか。七夕を祝えるなら、それに感謝しなければならない。星空が見える夜は、平和の証なのだから。
2018年 平成30年7月豪雨(通称:西日本豪雨)
死者237名 行方不明者8名 負傷者432名(消防庁)
亡くなった方々のご冥福をお祈りします。
#神様だけが知っている
自分が何をしたいのかよくわからない。
何においても好きなのか嫌いなのかわからない。
好きな食べ物も、嫌いな食べ物も、好きな教科も、嫌いな教科も、好きな音楽も、嫌いな音楽も、好きな芸能人も、嫌いな芸能人も……とにかく何一つわからない。
友達から、親から、学校から、社会から、好きなのか嫌いなのかわからない存在から、好きなのか嫌いなのかわからないものを与えられて、来る日も来る日もただそれを消費している。毎日がルーティンワークで、人とのコミュニケーションすらもルーティンワークで、周りが違う事を話しているだけで自分はほぼ同じことしか言っていない。ただ相槌を打つだけ。意見なんて何もないから、赤べこのように首を縦に振り続けるイエスマンでしかない。
いつからこんな人間になったのだろう。心当たりはぼんやりとあるようでなんとなくモヤモヤするのに、どんなに記憶を辿ってもはっきりとした形は見えてこない。7歳以降の記憶はかなり鮮明に覚えているつもりなのに。自分のポンコツな脳みそが原因となった出来事だけ覚えていないのか、それともこれまでの人生全てだということなのか。
いつからか続く寝起きのままのような頭の回転の鈍さ、霧の中を歩いているかのような覚束なさ、マスクを何重にもつけたような息苦しさ。鉛のように重い身体だけれどまだ動くから、朝起きて、学校に行って、帰ってきて寝る生活を繰り返している。それでも不思議なことに成績は良いのだから妙なものだ。この鈍い頭で模試の校内順位一桁を取れているのはおかしいし、この重い身体で体力測定でA判定が出ているのもおかしい。まるで都合の良い夢の中を生きているようだ。
自分は机の上の紙を見た。進路希望調査票と慇懃無礼な明朝体で書いてある。その右下には太字のゴシック体で締め切り日が書かれていて、それは明日に迫っている。1週間前から机に出しっぱなしの紙は、未だ学年と出席番号と名前しか埋まっていない。どうせ前回と同様に、明日の朝になって切羽詰まって、とりあえず県内の国公立大学の名前と、適当な私立大学の名前を埋めるのだろう。学部は、昔から親に勧められる通りに法学部と書くのだろう。そして、毎度のように担任から「お前なら大丈夫」と言われるのだろう。そして自分はただ頷く。ほら、ルーティンワークの完成。昨日と変わらぬ優等生の出来上がり。
机の引き出しから自分はボールペンを取り出す。明日になったところでどうせ書くことは変わらないのだから、今日のうちに埋めてしまおう。毎度同じことを書くものだから、今や何も参照せずとも全ての欄を正確に埋めることができる。自分の本心はよくわからないが、かといってこの紙に書いた大学のどこに行っても相応に学を修めて、そこそこの社会人にはなれるだろう。その点だけ、何の根拠もないが自信がある。結局自分は道を外れられない。優等生以外にはなり得ない。惰性でルーティンワークを繰り返して、死へと向かっていくのだ。無味単調な人生。今の自分は、もうそれでいいと思っている。
ただ、時々こうなる前の自分を知りたいと思う。自分が思い出せない7歳までの、小学校に入る前の自分を知りたいと思う。だからといって親に聞いたところで、ちゃんとした答えが返ってくるかは怪しい。10年以上も前のことだ、美化しているに違いない。優等生の自分が再生産されるだけに違いない。
だとしたら、聞ける相手は神様だけだ。「七つまでは神のうち」というのだから、神様ならちゃんと知っているだろう。夢にでも出てきて教えてくれないだろうか。
神様だけが知っている、あの頃の自分を。
#この道の先に
もう何もしたくない。
誰もいないところに行きたい。
ただただ自然豊かなところに行きたい。
その一心で電車に飛び乗って、一日中乗り継ぎ続けた終点。山の中のこじんまりとした駅に着いた。無人駅。かろうじて設置されている改札機はICカードに対応していない。これでは無賃乗車になるのでは。どうやって運賃を支払えば良いのだろう。そう思うけれど周りには木しかなくて、人らしき影は見当たらない。
ごめんなさい、と呟いて駅舎を出る。時刻は午後7時半。夏とはいえ日没の時刻は過ぎていて、まだかろうじて山際は明るいが、じきに暗くなる。明るいうちに、と集落を目指して歩くことにしたけれど、こんな田舎では集落に着いたところでもう店は閉まっているだろう。最後の乗り換え駅のコンビニでおにぎりを買っておいて良かったと思う。
海苔をパリパリと言わせながら、駅から伸びる小道に沿って歩く。道は少し傷んでいるとはいえ舗装されているので歩きやすい。1日の大半を座席に腰掛けて過ごしていたものだから、歩くたびに感じる衝撃が快い。足は前へ前へと進む。あとどれくらいで集落に着くだろうか。
そんな期待感でワクワクしていたのも完全に日が暮れるまでのこと。ぼんやり明るかった山際まで真っ暗になり、空には無数の星が瞬いている。だからと言って道を明るく照らしてくれるわけではない。誰からの連絡も受け取りたくなくて電源を切っていたスマートフォンを起動する。メールの通知は無視してライトを付け、ついでにマップを起動する。圏外ではない。だがGPSがバグっているようで、立ち止まっているのに己を示す青丸は一向に場所を定める気配はない。駅名から現在地を調べようとするが、疲れ切った頭は降りた駅がなんという名前なのか早々に忘れてしまった。
諦めて歩き出す。舗装された道がある以上、集落には繋がっているだろう。どこかに民家はあるはずだ。電波も一応入る。ただ、自分のいる場所がわからない。
(遭難)
嫌な2文字が頭をよぎる。道が続いている以上、遭難ではない。遭難ではないはずだが、歩いても歩いても一向に建物は見えない。見えるのは木と星ばかり。焦りが募る。思わず走り出したが、毎日デスクワークの日々だからか1分も連続して走れない。息が切れて立ち止まる。荒い息のままヨロヨロと歩き出す。一刻も早く街灯の光が見たい。己のスマホ以外の人工的な光が見たい。しかし、歩けど歩けど一向に建物は見えない。この道の先に本当に集落はあるのか。自分は山に向かって歩いてしまっているのではないか。それとも狐か狸に化かされて同じところでひたすら足踏みしているのではないか。じんわりと目尻が湿ってくる。どうしたら良いのだろう。
そう思っている時だった。ぼんやりと黄色い光が見える。
「へ?」
ぼんやりとした光はふわふわと浮遊したり、時に俊敏に動きながら、付いては消えて、付いては消えてを繰り返す。光に吸い寄せられるように駆け寄ると、一斉に光は消えてしまった。
「え?」
呆然として立ち尽くす。再び荒くなった呼吸をどうにか沈めよう深呼吸を繰り返す。そのうち光がまた点滅し始めた。呼吸音が落ち着いたからか、耳を澄ますとサラサラという水の音が聞こえた。
「川……蛍……」
道の先にあったのは蛍の群生地だった。清流のせせらぎに合わせて踊るかのように、無数の蛍が弧を描く。街中では絶対に見ることができない光景。まだこんな場所が日本にもあるのか、と息を呑む。そして座り込んだ。時刻は午後9時。1時間半も歩いた足は重い。もう歩きたくない。ここで丸一晩、蛍を見て過ごそうか。
そんなことを思ってぼんやりしていると、遠くからエンジンの音が聞こえた。数秒後には背後からヘッドライトで照らされる。
「はい!ここが蛍狩りの場所です!今の時期は圧巻ですよ〜無数の蛍が飛び交います!……で、何してるのあなた」
運転手の人が訝しむように、それでいて心配するかのように顔を覗き込んできた。バンから降りてきた乗客からも不思議そうな視線を感じる。目の前が歪む。
「ま……迷子、です」
震える声で答えるとあまりの情けなさに涙がこぼれ落ちる。運転手は驚いたような呆れたような声でアラァ、と行ったあと「泣きなさんな、バンにはあと一人乗れるけ、一緒に宿へ行こう、ねぇ?」と声をかけてくれる。うんうんと頷けば、安心したように運転手は息を吐いた。
「この道の先に行かんでよかったよ。この奥は山で、墓場しかないかんね」
#日差し
私は日差しの差し込む図書館が嫌いだ。
モダンなデザインだとか、写真映えだとか、色々と理由をつけて大きな窓のある図書館を作ろうとする風潮があるが、私はそれが許せない。この世の人たちはインクの褪色する一番の原因を知らないのだろうか。閲覧室だけならまだしも、書架の部屋にまで窓を設置するのは、書物への冒涜としか思えない。
そもそも図書館は古代ギリシャ時代に書物を書き、保管する場所として生まれた。書物という形をとった知識を溜める場であって、利用する場ではなかった。こうして図書館の中で本を読めること自体、人類社会の進歩がもたらした貴重な恩恵だというのに。図書館の根幹をなす書物を破壊する一番の原因を自ら招き入れるとは何事か。カメラのフラッシュだってインクを褪色させる原因なのに、写真撮影を推奨するような宣伝をするのはなぜなのか。理解に苦しむ。
だから私はこの空間が好きだ。3階建ての図書館の2階。専門書や専門誌のアーカイブが中心の、滅多に人が立ち寄らないこの部屋に窓は一つもない。LEDライトが控えめに照らす申し訳程度の閲覧スペース。人が立ち入らない限り照明がつかない書架。換気扇の音以外は聞こえない、ページを捲る音すら響くような静けさ。この書物を第一に考えた空間に来ると、私の心は高揚する。図書館の主は書物だ。読者は客に過ぎない。図書館の厳粛な雰囲気に支配されるのは快い。
幸せな時間は唐突に終わりを告げた。
こぽん、こぽん、と特徴的な足音が聞こえる。この靴音は、と思わず眉間に皺が寄る。
「ねーえ」
想像通りの人物がドア枠からニュッと顔を覗かせていた。同学部の、真面目なのか不真面目なのかわからない、ふざけた奴。その革のブーツは足音がうるさいからやめた方が良いと何度も言っているのに、聞く耳を持たない。
「また潜ってるの?」
「潜ってるよ。いつでもね」
「いい本あった?」
「ここにある本はどれも面白いけど」
「いっつもそれ言うよね」
「私の邪魔する暇あったらさっさと課題やれば?どうせ3階窓際のボックス席を占領しているんでしょ」
「正解。さっきまで昼寝してた。良い感じに日差しが差し込んできて眠いのなんの……来る?」
仏頂面の話題とは対照的に、人懐こくニヤニヤと笑って奴は言った。
「行かない。用がないならどっか行って。読書の邪魔なの」
「用あるよ。聞いたじゃん、『いい本あった?』って」
「そんなこと言われても。ジャンルは?」
「労働経済学、賃金」
「331.6の『貨幣と賃労働の再定義―異端派マルクス経済学の系譜』は良かった。さほど古くない本だから3階にあってもおかしくないけど、読む人いないからここの書架にあるんだろうね」
「古くないって何年?」
「2010年」
「いや、十分古いって」
「21世紀じゃん」
「基準そこ?」
まぁいいや、と奴は靴をこぽこぽ言わせながら私の横を通って、書架へと消える。パチッ、パチッと書架の右半分、奥行きの半分くらいまで明かりが付いたのを見届けて、私は読みかけの本に視線を落とした。
視界の左側、一番手前の電灯が消えて暗くなった。
(まだ探してるの?)
思わず私は視線を上げて、書架に目を向ける。一向に足音は聞こえない。分類番号も教えてあげているのに、どうしたらこんなに手間取るのだろうか。
目の休憩がてら、頬杖をついてぼんやりと書架の奥を照らす光を眺めていると、やっとこぽこぽと特徴的な足音が聞こえた。視線を本へ戻す。十数秒後、再び視界の左側が明るくなった。
「めっちゃ探した……」
「どうしてそんなに探すのが下手なのかわからない」
「だってめっちゃ下にあったもん。一番下!屈まないと見えないって」
「で、なんで向かいに座るの?」
「ここで読む。3階に帰ってこの本開いたら寝る自信ある」
「パソコンとか財布、盗まれても知らないよ」
「財布はポケットの中出し、パソコンは誰も盗まないでしょ。未だWindows7だよ?」
「世間ならまだ20%くらいシェアあるけど」
「いやいや、大学生相手ならゼロでしょ」
どうやら、3階に戻る気はないらしい。一応真面目に読む気はあるらしく、奴はニヤニヤ笑いを引っ込めてページを捲り始めた。こう振る舞われては仕方がない。私はこの空間の主ではない。主は書物だ。そして、書物は知識を求めるものを拒まない。
私は一つ息を吐いて、本に目を落とした。静けさに換気扇の音と、もう一人分のページを捲る音が加わった。