キトリ

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#この道の先に

もう何もしたくない。
誰もいないところに行きたい。
ただただ自然豊かなところに行きたい。

その一心で電車に飛び乗って、一日中乗り継ぎ続けた終点。山の中のこじんまりとした駅に着いた。無人駅。かろうじて設置されている改札機はICカードに対応していない。これでは無賃乗車になるのでは。どうやって運賃を支払えば良いのだろう。そう思うけれど周りには木しかなくて、人らしき影は見当たらない。

ごめんなさい、と呟いて駅舎を出る。時刻は午後7時半。夏とはいえ日没の時刻は過ぎていて、まだかろうじて山際は明るいが、じきに暗くなる。明るいうちに、と集落を目指して歩くことにしたけれど、こんな田舎では集落に着いたところでもう店は閉まっているだろう。最後の乗り換え駅のコンビニでおにぎりを買っておいて良かったと思う。

海苔をパリパリと言わせながら、駅から伸びる小道に沿って歩く。道は少し傷んでいるとはいえ舗装されているので歩きやすい。1日の大半を座席に腰掛けて過ごしていたものだから、歩くたびに感じる衝撃が快い。足は前へ前へと進む。あとどれくらいで集落に着くだろうか。

そんな期待感でワクワクしていたのも完全に日が暮れるまでのこと。ぼんやり明るかった山際まで真っ暗になり、空には無数の星が瞬いている。だからと言って道を明るく照らしてくれるわけではない。誰からの連絡も受け取りたくなくて電源を切っていたスマートフォンを起動する。メールの通知は無視してライトを付け、ついでにマップを起動する。圏外ではない。だがGPSがバグっているようで、立ち止まっているのに己を示す青丸は一向に場所を定める気配はない。駅名から現在地を調べようとするが、疲れ切った頭は降りた駅がなんという名前なのか早々に忘れてしまった。

諦めて歩き出す。舗装された道がある以上、集落には繋がっているだろう。どこかに民家はあるはずだ。電波も一応入る。ただ、自分のいる場所がわからない。

(遭難)

嫌な2文字が頭をよぎる。道が続いている以上、遭難ではない。遭難ではないはずだが、歩いても歩いても一向に建物は見えない。見えるのは木と星ばかり。焦りが募る。思わず走り出したが、毎日デスクワークの日々だからか1分も連続して走れない。息が切れて立ち止まる。荒い息のままヨロヨロと歩き出す。一刻も早く街灯の光が見たい。己のスマホ以外の人工的な光が見たい。しかし、歩けど歩けど一向に建物は見えない。この道の先に本当に集落はあるのか。自分は山に向かって歩いてしまっているのではないか。それとも狐か狸に化かされて同じところでひたすら足踏みしているのではないか。じんわりと目尻が湿ってくる。どうしたら良いのだろう。

そう思っている時だった。ぼんやりと黄色い光が見える。

「へ?」

ぼんやりとした光はふわふわと浮遊したり、時に俊敏に動きながら、付いては消えて、付いては消えてを繰り返す。光に吸い寄せられるように駆け寄ると、一斉に光は消えてしまった。

「え?」

呆然として立ち尽くす。再び荒くなった呼吸をどうにか沈めよう深呼吸を繰り返す。そのうち光がまた点滅し始めた。呼吸音が落ち着いたからか、耳を澄ますとサラサラという水の音が聞こえた。

「川……蛍……」

道の先にあったのは蛍の群生地だった。清流のせせらぎに合わせて踊るかのように、無数の蛍が弧を描く。街中では絶対に見ることができない光景。まだこんな場所が日本にもあるのか、と息を呑む。そして座り込んだ。時刻は午後9時。1時間半も歩いた足は重い。もう歩きたくない。ここで丸一晩、蛍を見て過ごそうか。

そんなことを思ってぼんやりしていると、遠くからエンジンの音が聞こえた。数秒後には背後からヘッドライトで照らされる。

「はい!ここが蛍狩りの場所です!今の時期は圧巻ですよ〜無数の蛍が飛び交います!……で、何してるのあなた」

運転手の人が訝しむように、それでいて心配するかのように顔を覗き込んできた。バンから降りてきた乗客からも不思議そうな視線を感じる。目の前が歪む。

「ま……迷子、です」

震える声で答えるとあまりの情けなさに涙がこぼれ落ちる。運転手は驚いたような呆れたような声でアラァ、と行ったあと「泣きなさんな、バンにはあと一人乗れるけ、一緒に宿へ行こう、ねぇ?」と声をかけてくれる。うんうんと頷けば、安心したように運転手は息を吐いた。

「この道の先に行かんでよかったよ。この奥は山で、墓場しかないかんね」


7/3/2023, 2:18:21 PM