相合傘
今日は相合傘をしているカップルが多い気がする。急に降ってきたからだろうか、ここが都市部だからだろうか、ここ1時間だけでもだいぶ見た。多い。あぁ、あいつらなんて小さい傘でイチャイチャと…やめろやめろ!見たくない!
…俺がここまで相合傘に反応しているのは、完全に羨ましくて嫉妬しているだけだ。俺には好きな人がいて、いつか付き合いたいとかデートしたいとか相合傘してみたいとか思っていた。勇気を振り絞った俺の幻想は、彼女の「ごめん無理」の一言で打ち砕かれた。
言いふらされていやしないか…気が重くて仕方ない。もしかしたら既に全女子に知れ渡っていて、二度と女子が近寄ってこなくなるかもしれない。
相合傘してみたかったなぁ…1人で入る傘が寂しい。いや傘なんて本来1人用だし。別にいいし。
鬱々と考えながら歩いていると、雨が止んできた。もう傘はささなくていいだろう。ふと上を見上げると虹が出ていた。
…虹だ!綺麗だ!雨上がりに上を向いた者の特権だ!
落ち込んでばかりもいられない。スマホを見るために下を向くカップルを尻目に、1人で虹を堪能する。虹の1つで気分が晴れるのも単純すぎるが…そもそも晴れきってはいないが。虹なんてわざわざ見上げる物好きは少ないので、謎の優越感に浸る。
しばらくすると虹はすっかり消えてしまい、憂いのどれか1つぐらいも消えたような心地だった。
なんとなく、帰りにたい焼きを買った。
落下
物が落ちなくなった。それはもう突然に、物が落下しなくなった。最初に気づいたのは友人とサッカーをしていた時だ。友人が高く蹴りあげたボールがいつまでたっても落ちてこないのだ。飲み終わったジュースをゴミ箱に入れようとしたら、ゴミ箱の入り口で静止してしまったのだ。異常事態だ。物が落ちないだなんてそんな馬鹿な。ボールに手が届かなかった俺達は、とりあえず街の様子を見て回った。
ポイ捨てされたペットボトルが浮いていた。吸い殻が浮いていた。軍手が浮いていた。…なんで道に軍手が?とにかく落ちるはずのものが浮いているのである。しかも落ちてくる気配がない。俺も空中浮遊を試したが、人は落ちるようだ。残念。どうしたものかと2人で考察を試みたが、結局その日は解散となった。
ーーー
物が落ちなくなって2ヶ月が経過した。
物が落ちないというのはなかなか便利だ。ものを一旦空中に置くことができるし、収納スペースが足りないなら天井付近にやればいい。体重をかければ落ちるので空中に椅子を置いて座ることはできないが、それでもなかなか便利である。最近は球が落ちないのを利用した新球技まで登場した。友人と共に絶賛どハマり中だ。ただ、飛ばしすぎて取れなくなった球が空中にあるのが散見されるようになった。
ーーー
物が落ちなくなって3年が経過した。
最近ではゴミを空中に飛ばして処理するのが主流になっている。兵器など負の遺産を空中に置く計画も実行されたようだ。二度と見たくないものを空高く飛ばすプチ気球なんかも売っている。もう物が落ちる世界など考えられなくなってきた。
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物が落ちなくなって10年が経過した。
空が不用品で埋め尽くされ、黒ずんでいる。
こうなるって予測できなかったんだろうか。
人類も落ちたもんだなぁ…
ーーー
物が落ちなくなって50年が経過した。
あのときのサッカーボールが落ちてきた。
未来
未来都市001号。それが、俺の住んでいる街の名前だ。
浮遊する地盤に立ち並ぶのは特殊素材のクールな家々。そこを飛び回るのは運送用ドローンと浮遊型自動運転自動車。当たり前すぎる、むしろ少し古くさい光景で、未来都市なんていう大層な名前に笑えてくる。なんだか、大型犬の子供にチビと名付けたようなものだと思う。
とにかく、この古くさい未来都市に俺は住んでいる。生まれたときからずっと、この浮遊する都市で生きている。
…浮遊していない本当の地上には、行ったことがない。
ある日、俺は海を見ていた。浮遊都市の端には海がある。円盤状の地盤を囲む水の壁。揺れさざめいてときどき波打ち、見るものの心までも波立たせる海。この街の住民たちは、この壁の外を知らない。本当にここが浮いているのかすら確認する術はない。地球平面説みたいだといつも思う。地球が球形だと誰もが知っているが、平面ではないことを肉眼で確認したものは滅多にいないのだ。
ふと思い立ち、俺は海に身を投げた。
空中浮遊都市の素晴らしい教育により、今までこんな愚行に走ったものはいない。しかし、俺は外の世界が気になって仕方なかった。
海は広かった。無限のごとく続いていた。そして、確かに都市は浮いていた。
海の中、水中に、浮力で浮いていたのだ。
1年前
彼に出会ったのはちょうど1年前だったと思う。私の一目惚れだった。
一緒に暮らすことになったときは苦労の連続だった。全然振り向いてくれないし暴力も振るわれる。ご飯代も全部出さなきゃいけないし。嫌われてるのかな、私が悪いのかな…でもいてくれるだけで嬉しい。
1年経った今、相変わらず彼はご飯を請求してくるし、仕事の邪魔だってしてくる。束縛が激しくてすぐ嫉妬するし、家から出るのにも一苦労だ。彼との関係は上手くいっているのか分からない。でもやっぱり、いてくれるだけで幸せだ。
いつも通り、私は彼のために買ったご飯を用意する。今日こそ振り向いてくれるかな…?
「ミケちゃん!ご飯だよ〜!」
「にゃー」
「うああ可愛いねぇモフモフだねぇミケちゃん!ミケちゃんがいるだけで幸せだよミケちゃん!可愛い可愛いねぇぇ」
「…にゃー…」
今日も振り向いてくれなかった。このあとお風呂入れなきゃだから、また引っかかれる覚悟をしなきゃ…
好きな本
私には、大好きな本がある。内容は小説だけど、買ったのは中身じゃなくて表紙に惹かれたからだ。美しく繊細なタッチで描かれた主人公の女の子。彼女に一目惚れしてしまった、というのが正しいだろうか。あるいは、彼女を描いた人に惹かれて。いずれにせよ、運命的な出会いだったのに間違いはない。
もちろん中身も読んだ。しっかり読んだ。何度も読んだ。駆け抜けるように何度も読んでしまうほど、読みたくなるほど、私はその内容にも惹かれた。主人公の生き様に惹かれた。本当に表紙も内容も、何もかも好きな本である。
何度も読み返すうちに私は気づいた。間違いない。
私はこの女の子に恋をしている。
私は彼女をお高めのブックカバーに入れ、鞄に入れて持ち歩いた。彼女が近くにいてくれる気がしたからだ。あの本を、あの本に描かれた彼女を、私は愛している。
表紙にしか描かれていない彼女の顔。文章としてしか存在しない彼女の存在。彼女の生き様。どうしようもなく好きな彼女が、本という形をとって私の手の中にいる。なんだか素敵なことだと思った。
しかし、私はあまりにも彼女が好きになってしまった。1冊で完結してしまう、私とは違う世界に住む彼女。私の愛する彼女は、私からあまりにも遠かった。彼女と一緒にいたい。もっと近くにいたい。その欲望はだんだんと私の心に満ちていった。ついに臨界点に達した。
私は、私も文章になるという選択をした。
文章というのは素晴らしい。「そこにある」と表記するだけで、登場人物にとっては本当に「そこにある」ようになる。単語の数だけ、無限の可能性が広がっている。筆者が言葉を紡ぎ、読み手が言葉から思い描く。その範囲内で、登場人物は自由自在に踊れるのだ。あなたが今そうしているように。
私の欲望は、次の1行を表記するだけで全て叶ってしまう。本当に素晴らしい世界だ。
私は愛する彼女と共に、同じ世界でずっと幸せに暮らした。