【夏】
終戦の日。
私は原爆で焼けた母を、まだ、抱きしめられずにいた。
【何もいらない】
「お前の作った物語、つまんねぇよ」
「どうせ難しいって。時間の無駄じゃん」
「めんどくせーわ」
そう言ってネガティブな言葉に引き裂かれた紙。
僕はそんな骸を見ながら、喉の奥がひりつくのを感じていた。
目頭が熱い。
もうゴミにしかなれない、紙を拾う手が震えた。
言葉は、うまく出てこない。
どうせ上手くないのなら、もう、言葉なんて、湧き出てこようとしなくていいのに。
もう何も、やらなきゃいいのに。
泥だらけに汚れたゴミを拾い集めて胸元に押し付ける。服だけじゃなく、地についた膝まで汚れた。
その姿が自分にお似合いなんだろう。
背を丸めながら、息を殺して泣いたんだ。
もう、誰にも、何にも言われたくなくて。
【快晴】
「む、むり! それ以上進んだら、落ちて死んじゃうよ!」
親友の震える声が春風に舞い上がり、晴天の空へ溶けてゆく。
潮の香りが気持ちいい。
崖の上でもちっとも怖くなかった。いや、むしろ、絶好の挑戦日和に私は心を躍らせていた。
「大丈夫だよ! アンナの設計なら、絶対飛べるって!」
「で、で、でも! この人力飛行機、もし落ちちゃったらユーリが怪我しちゃうかもだし! そしたら私……」
「きみの可能性を信じて。私は、アンナを信じるよ!」
親友がメガネの奥で、うぐっと声を詰まらせた。
わなわなと小さくな手が震えている。きっと触ったら汗ばんでいるんだろうな、と思いながら私は自分のヘルメットを被った。
私たちは飛行機研究部ーーに、入れなかった学生だ。
女だから、と言う理由で断られたのだ。
失礼しちゃうよね。アンナは絶対才能があるのにさ!
だから。私たちは証明することにしたのだ。
自分たちで飛行機を作り、乗りこなす事で実力をアピールする事にした。
何より引っ込み思案なアンナに自信をつけて欲しかった。私は彼女の可能性を誰より信じているからだ。
「安全チェック! ベルトよし、ヘルメット、よし!」
「き、機体に損傷なし。翼の角度チェック、よし。風向きは良好。動力のゴムは十分巻いてあるっ」
「なら行くよ! パイロットユーリ、離陸します」
潮風に負けじと叫ぶ。アンナが後ろから手作りの機体を押すのがわかった。
ゴムがプロペラを回し、私もペダルをめいいっぱい漕ぐ。
自転車よろしく転がり出すタイヤ。
白に青いラインが入った人力飛行機が、段々と勢いを増す。崖の向こう目掛けて名いっぱい走って行った。
崖の先へ飛び出した時。最初に感じたのは落下する感覚だった。
ガクンと下がる視界に背中を冷たいものが駆け抜ける。後ろから悲鳴が聞こえた気がした。
だが、ごうっとしたから舞い上がる風で、機体も期待も大きく揺れた。上昇気流だ。崖にぶつかり上へと上がる風に乗ろうと、私は必死に舵を切った。
飛行機は持ち上がった。気流に乗ったのだ。
「や、やったぁ!」
だが10秒と待たずに、更に強い風に押されて大きく機体が傾いた。水平線が斜めに見える。
違う、ああ、私が墜落しそうなんだ!
慌てて体を傾け、機体を戻そうとした。ゴムから手動に切り替え、ペダルを思いっきり踏み込んでプロペラを回す。
でも起動は修正不能。ドッポーン、と海上滑るように飛行機は落下した。
「ユーリ……ユーリ!!」
崖の上から親友が叫ぶ声。海に浮かんだ飛行機の上に顔を出すと、私は思いっきり笑顔を作った。
心臓がまだバクバクしてた!
「みて! 飛んだよ! 10秒くらい! やっぱりアンナは天才だよ」
「ユーリ、それは落ちたんだよ! ……でも、ありがとう。貴方の笑顔は、いつも快晴な空みたいに気持ちいいね」
「ふふふ、アンナと一緒ならどんな挑戦も楽しいからね。自信ついた?」
「うん、ちょっとね。今度はもっと飛べるように改良するよ」
「あはは、楽しみ!!!!」
やっとアンナが笑うのが見えて、私は大声で笑った。本当は落ちた瞬間、めちゃくちゃ怖かったけど、今日の青空を見たらどうでも良くなった。
この空が、アンナのためにあったら良いと思う。
数年前の戦争で燻っていた頃みたいな灰色ではなく、希望に満ちた青い色。
その青い空をいつかアンナと飛べるなら、私は彼女と挑戦していきたい、そう思えたからだ。
【星空の下で】
暗い空の下、僕は平気だと笑いながら風が吹くたびに少しだけ震えた。
夜は冷える。春物の上着を持ってはきたものの、桜が揺れるたびに足の温度が奪われる。
うう。
それでも痩せ我慢をしたのは、君にカッコ悪いところを見せたくないからだ。
大人だから寒くないさ。と見栄を切った十分前の自分を叱りたい。
「ね、流星群、見れるかな」
弟は寒さを感じないのか、夜空を見上げながら白い息を吐いた。耳も鼻もすでに赤い。
だが、彼は目がキラキラと輝いている。
まるで夢を見る子供のように。
「もちろん見れるさ。兄ちゃんを信じろよ」
「うん。初めてみるから、見逃さないようにしないと。流れ星に願いたい事があるんだ」
夜空に飛び立つかの勢いで、気合を入れる弟。
まるで遠足前日の子供みたいだ。
絶対早起きしよう、と意気込んで布団に入ってそのまま眠れなくなるやつ。
そんな弟の願い事には心当たりがある。
きっと来週行う予定の手術に成功しますように、だ。弟は持病を治す為に腹を切ることになっている。
放置すると悪いものが体内で大きくなり、治せなくなるからだ。
つまり腫瘍切除、と言うやつ。
「じゃ、俺も一緒に願ってやるよ」
「え、いいよ」
「そう言うな。ほら、星が流れ出したぞ」
入院前のマンションの屋上で、流れ星の雨が降る。
チラ、キラッと瞬いて消える一瞬の輝き。
いくつも流れてくる様は、地上を生きる人々の営みに似てる。
輝けるのに、とても短い。
「俺の手術の時に、兄ちゃんが泣きませんように!!」
「ぶっは!」
叫ぶような弟の願いに、思わず俺が吹き出した。
「だって兄ちゃん、弱虫のくせにすぐ強がるから。今日だってちょー寒いんだろ?」
弟の言い分に、僕の耳がさらに赤くなる。
うん、まぁ、ほら?
威厳って大事じゃん?
「兄ちゃんは何を願うの?」
「あーそうだな。僕は真っ当な願いにするよ」
弟の手術が成功して、生意気なところも治ってくれますよーに!
2人の願いは、静かに流星の輝きの中へと溶けていった。
【ふたりぼっち】
暖かな 手を繋ぎ歩む 花見坂