滝谷(shui)

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7/22/2023, 5:49:34 AM

【今一番欲しいもの】

 熱を出したのは、夏祭りの朝だった。

「ごめん、みんなで行ってきて」
 平気だからと嘘をつくスマホ。
 本当は、何でこんな日に、と唇を噛んだ。
 私も行きたかったんだ。同級生と最後の夏休みだから。
 悔やんでも熱は上がるばかりで、熱に潤む視界を布団で隠した。

 両親が不在でよかった。夜迄に、きっと気分は落ち着くから。

 なのに。
 君の鳴らしたインターホンで私は叩き起こされた。
 空はやっと夕暮れを終えた頃だ。
「お見舞い。祭り抜けてきたんだ」
 扉を開けると、ぶっきらぼうな顔で言われる。
「何だ、気にしなくて良いのに」
 愛想笑いでご対応。嬉しいのに素直じゃないところは私の悪い癖だ。
「あんま強がるなよ。一番楽しみにしていたのお前だろ」
 それでも見透かしたように彼が話すから、少し熱が上がる。
 君のそう言うとこ、好きだよ。
 私の性格じゃ言えないけどさ。
 部屋に招くと、彼はガサゴソと袋を漁った。お土産に屋台の料理を買ってきてくれたのだ。
「たこ焼きや焼きそばは元気になったら食べてくれ。あと果物も買ってきてて……」
「そんなに食べれないよ」
 苦笑しながら言えば、そうか、と真面目にうなづく君。見ればリンゴ飴だけ一口齧られた跡があった。
「あ、それは俺の。ユキちゃんから貰ってさ」
 ーーぁ。
 つん、と小さく心臓を針が突く。
 彼に想いを寄せるユキの笑顔が脳裏をよぎった。……彼女も祭りに来てたんだ。
 並んで歩いたのかな。
 腕を組んだりもしたのかな。
 温まった気持ちが急に冷めてゆく。身体は熱いのに心だけが深海に沈むようで、落ち着かない。変な息苦しさがあった。
「それで、何か食べたいものある? 夕飯食べてないんだろ?」
 彼が私を振り向いた。優しい言葉が遠く聞こえる。
 私、今、どんな顔してんのかな。

「……どうした?」
「私、りんご飴、食べたい」
「え?」

 言葉にして、彼が困ったのが見えた。
「ごめん、りんご飴は俺が齧ってて」
「君が食べたやつだから、欲しいの」
 困惑しながらりんご飴を差し出す君が、あの、でも、と何かを口籠る。
 それを聞こえないふりして、彼の噛み跡に私は黙って唇を寄せた。

 叶わないなら、せめて。
 夏に忘れたくない思い出を。

 それが、私の欲しいもの。
 ファーストキスは、甘くて切ない味がした。
 

7/21/2023, 3:45:22 AM

【私の名前】

「あんたも大変ねぇ、変わった名前だからさ」
「言うなよ、ばかぁ!」

 高校の進学先が決まった夜。
 お祝いに仕事帰りの姉がケーキを持ってきてくれた。実家で軽くパーティ気分でいた時のことだ。
 その解き放たれた一言が、俺の胸にグサッと刺さる。
 俺が即ツッコミを入れ家族からはどっと笑いがこぼれた。あまり嬉しくはないけど。
 
 キラキラネーム。
 背負わされた宿命と言わんばかりのバカな名前だ。
 小学校の時はいじめられた。中学の時も、ヒヤヒヤして過ごしたのを覚えてる。
 最初はやはりいじられた。友人があだ名を作ってくれたから、その後は難を逃れた感じだけどさ。
「亡くなったお婆ちゃんがつけた名前だからねぇ」
 食べ終わった皿を片付けながら母が言った。
 洋画ファンの祖母を恨んではいないが、『外人風の名前をつけちゃったから仕方ない』みたいな雰囲気は変えようがない。
「仕方ねぇよ……これが俺の名前だもん」
 何度も嫌いと思った名前だ。
 何度も恨んだ名前だ。
 はぁ、と深くため息をつくと、姉がわしゃわしゃと俺の頭を撫でた。
「喜べ弟よ。そんなアンタにお姉ちゃんが良いものをくれてやる」
 ドヤッと胸を張る姉を見上げて、はぁ? と首を傾げたが。

「アンタの名前、改名できるわよ」

 その一言に、ドクンと胸が高鳴った。

「え? え? 名前って変えられるの!?」
「当たり前でしょ。15歳以上、2000円でオッケーよ」
「やっす!」
 名前を法的に変えられる。
 そんな事ができるとは思わなかった。
 芸能界の一部……なんか特殊な人達だけのやつだと思っていたし。
「条件満たせば誰でもできるわよ。一回だけね」
「そうなんだ」
 現実感湧かなくて、フワフワしてる。
 横から両親が「でも」と何か言おうとしたが、姉は被せるようにドサリと資料をテーブルに置いた。
 ーー家庭裁判所。
 その文字から姉の本気が見て取れて。

「先に言っとくけど。自分を好きになれると、青春は楽しいわよ」
「ーー!」
「だから、自分の欲しい名前を、次は自分で考えなさいね」

 その言葉に、俺の胸が突き動かされる。
 変われるなら、変わりたい。
 今まで嫌いだったものが、違う何かに生まれ変わろうとする感覚。
 それは生まれて初めての感覚だったかもしれない。

7/19/2023, 2:21:10 PM

【視線の先には】(詩)

  さぁさぁ!
  聞いてらっしゃい 見てらっしゃい
  お座敷落語の始まりだ

  ぱちんと 扇子の音を鳴らせば
  ここはアタシの独壇場
  楽しい話を 十も百個も
  語ってみせようじゃあないか

  蕎麦を啜るも なんのその
  そこの子供も くすりと笑い
  老人からは 入れ歯も飛び出す
  それが笑いの真髄よ!

 
  ああ しかし 
  悲しいものかな
  本日も客席は お猫様しか居やしねぇ

7/18/2023, 8:20:46 PM

【私だけ】

 私には特別な、私だけの物語がある。

 日記帳に書いている、私の小説だ。
 本当はスマホやパソコンで書くのも憧れるけど、小学生のうちは我慢なの。
 でもね、いつか本になればいいなーって思ってるんだ。

 本。紙をパラパラとめくっていく、私の憧れ。
 もしいつか、本にできたら読んでくれる?
 って聞いた時……親友が、
「楽しみにしてる」
 って笑ってくれたから。
 私ね、今日も小説が書けるんだ。



 それから何年も経ち、私も大人となった。
 まだ本格的な本にはできてないが、同人誌を作ろうと頑張れる程度の作品は作れるようになったよ。
 小説って難しいのね。
 表現の豊富さ、文体の確立、読みやすさの研究……。
 こんなにたくさんの技術や工夫があるとは知らずに書いていた。

 おかげで、何度も挫けた。
 自分の小説が嫌い、って泣いた事もあった。

 一文字も書けなくてやめようと思った時。見つけたのは私だけの小説と、君の「楽しみ」と言う言葉だ。
 もうちょっと書いていいかな、って。
 視界が熱くなったのを、今でも忘れない。

 そのうちコンクールに出せる作品が完成する予定なんだ。
 そしたら、君と、昔の自分に、読んでくださいと伝えるつもりなの。

 だから、待っててね。

7/18/2023, 3:52:08 AM

【遠い日の記憶】

「朝からパンケーキが食べられるなんて、夢みたいだ」

 僕がフライパンでパンケーキをひっくり返していると、甘い香りに釣られた君がやってきた。
 カーディガンを羽織りながら、隣からフライパンを眺める。
 顔は幸せでにやけていた。
「そうなの?」
「うん、そうなの」
 尋ねたら真似をされて返された。ご機嫌らしい。
「私さ、小さい頃は『朝ごはんはお米だ』って決められてたの。実家は農家だったしさ。兄弟も多くて甘いのが嫌い〜って子もいたから、仕方なくて」
 本当は甘い朝ごはんに憧れてたのよ。
「へぇ、初耳だよ」
「ひたすら白米を炊いて食べるのよ。夏でも熱々でね」
「いいな。羨ましいや」
 言葉をこぼすと、彼女は僕の顔を横からのぞいてきた。
「もしかして、パン派だった?」
「ふふ、パンもよく出たけどね」

 古い記憶を辿る。僕の朝は冷たい食事から始まった。
 両親は共働きだ。
 僕が起きるより先に出勤する為、自力で起きて用意済みの冷たいご飯にありつくのだ。
 最初はレンジで温めていたが、次第に冷たいまま口にするようになった。
 ひとりぼっちの朝食なのだ。
 それが昔の僕にとっての普通だった。

「家族ってさ、人によって結構違うのね」
 彼女が言った。いつの間にか白いお皿を差し出している。
「かもね。子供の時はみんな似たようなものだろうと信じてたんだけどな」
 ぽん、とホットケーキを乗せるとご機嫌に笑ってみせた。
「そんなものだよ。人間なんて。みんな違うのが当たり前なのに、心のどこかで『一緒であって欲しい』だなんてフィルターかけちゃう生き物なんだ」
 違うのは当たり前なのにね。
 と彼女は言った。
 その通りだと思う。うまく言えない感情だけど。
 ほかほかの朝食をテーブルに並べながら、少し考え事をしていると彼女はこうも言った。
「君はどうする?」
「何をだい?」
「これからの家族をだよ。君はどんな家族になりたい?」
 そうだな、と考える。思い立つのはひとつだった。
「朝食は家族揃って食べる。そんな家族がいいかな」
「ははは、たまにパンケーキをよろしくね」

 僕らはいただきますと手を合わせる。
 賑やかな朝食は、ふわふわとして、温かい。

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