【今一番欲しいもの】
熱を出したのは、夏祭りの朝だった。
「ごめん、みんなで行ってきて」
平気だからと嘘をつくスマホ。
本当は、何でこんな日に、と唇を噛んだ。
私も行きたかったんだ。同級生と最後の夏休みだから。
悔やんでも熱は上がるばかりで、熱に潤む視界を布団で隠した。
両親が不在でよかった。夜迄に、きっと気分は落ち着くから。
なのに。
君の鳴らしたインターホンで私は叩き起こされた。
空はやっと夕暮れを終えた頃だ。
「お見舞い。祭り抜けてきたんだ」
扉を開けると、ぶっきらぼうな顔で言われる。
「何だ、気にしなくて良いのに」
愛想笑いでご対応。嬉しいのに素直じゃないところは私の悪い癖だ。
「あんま強がるなよ。一番楽しみにしていたのお前だろ」
それでも見透かしたように彼が話すから、少し熱が上がる。
君のそう言うとこ、好きだよ。
私の性格じゃ言えないけどさ。
部屋に招くと、彼はガサゴソと袋を漁った。お土産に屋台の料理を買ってきてくれたのだ。
「たこ焼きや焼きそばは元気になったら食べてくれ。あと果物も買ってきてて……」
「そんなに食べれないよ」
苦笑しながら言えば、そうか、と真面目にうなづく君。見ればリンゴ飴だけ一口齧られた跡があった。
「あ、それは俺の。ユキちゃんから貰ってさ」
ーーぁ。
つん、と小さく心臓を針が突く。
彼に想いを寄せるユキの笑顔が脳裏をよぎった。……彼女も祭りに来てたんだ。
並んで歩いたのかな。
腕を組んだりもしたのかな。
温まった気持ちが急に冷めてゆく。身体は熱いのに心だけが深海に沈むようで、落ち着かない。変な息苦しさがあった。
「それで、何か食べたいものある? 夕飯食べてないんだろ?」
彼が私を振り向いた。優しい言葉が遠く聞こえる。
私、今、どんな顔してんのかな。
「……どうした?」
「私、りんご飴、食べたい」
「え?」
言葉にして、彼が困ったのが見えた。
「ごめん、りんご飴は俺が齧ってて」
「君が食べたやつだから、欲しいの」
困惑しながらりんご飴を差し出す君が、あの、でも、と何かを口籠る。
それを聞こえないふりして、彼の噛み跡に私は黙って唇を寄せた。
叶わないなら、せめて。
夏に忘れたくない思い出を。
それが、私の欲しいもの。
ファーストキスは、甘くて切ない味がした。
【私の名前】
「あんたも大変ねぇ、変わった名前だからさ」
「言うなよ、ばかぁ!」
高校の進学先が決まった夜。
お祝いに仕事帰りの姉がケーキを持ってきてくれた。実家で軽くパーティ気分でいた時のことだ。
その解き放たれた一言が、俺の胸にグサッと刺さる。
俺が即ツッコミを入れ家族からはどっと笑いがこぼれた。あまり嬉しくはないけど。
キラキラネーム。
背負わされた宿命と言わんばかりのバカな名前だ。
小学校の時はいじめられた。中学の時も、ヒヤヒヤして過ごしたのを覚えてる。
最初はやはりいじられた。友人があだ名を作ってくれたから、その後は難を逃れた感じだけどさ。
「亡くなったお婆ちゃんがつけた名前だからねぇ」
食べ終わった皿を片付けながら母が言った。
洋画ファンの祖母を恨んではいないが、『外人風の名前をつけちゃったから仕方ない』みたいな雰囲気は変えようがない。
「仕方ねぇよ……これが俺の名前だもん」
何度も嫌いと思った名前だ。
何度も恨んだ名前だ。
はぁ、と深くため息をつくと、姉がわしゃわしゃと俺の頭を撫でた。
「喜べ弟よ。そんなアンタにお姉ちゃんが良いものをくれてやる」
ドヤッと胸を張る姉を見上げて、はぁ? と首を傾げたが。
「アンタの名前、改名できるわよ」
その一言に、ドクンと胸が高鳴った。
「え? え? 名前って変えられるの!?」
「当たり前でしょ。15歳以上、2000円でオッケーよ」
「やっす!」
名前を法的に変えられる。
そんな事ができるとは思わなかった。
芸能界の一部……なんか特殊な人達だけのやつだと思っていたし。
「条件満たせば誰でもできるわよ。一回だけね」
「そうなんだ」
現実感湧かなくて、フワフワしてる。
横から両親が「でも」と何か言おうとしたが、姉は被せるようにドサリと資料をテーブルに置いた。
ーー家庭裁判所。
その文字から姉の本気が見て取れて。
「先に言っとくけど。自分を好きになれると、青春は楽しいわよ」
「ーー!」
「だから、自分の欲しい名前を、次は自分で考えなさいね」
その言葉に、俺の胸が突き動かされる。
変われるなら、変わりたい。
今まで嫌いだったものが、違う何かに生まれ変わろうとする感覚。
それは生まれて初めての感覚だったかもしれない。
【視線の先には】(詩)
さぁさぁ!
聞いてらっしゃい 見てらっしゃい
お座敷落語の始まりだ
ぱちんと 扇子の音を鳴らせば
ここはアタシの独壇場
楽しい話を 十も百個も
語ってみせようじゃあないか
蕎麦を啜るも なんのその
そこの子供も くすりと笑い
老人からは 入れ歯も飛び出す
それが笑いの真髄よ!
ああ しかし
悲しいものかな
本日も客席は お猫様しか居やしねぇ
【私だけ】
私には特別な、私だけの物語がある。
日記帳に書いている、私の小説だ。
本当はスマホやパソコンで書くのも憧れるけど、小学生のうちは我慢なの。
でもね、いつか本になればいいなーって思ってるんだ。
本。紙をパラパラとめくっていく、私の憧れ。
もしいつか、本にできたら読んでくれる?
って聞いた時……親友が、
「楽しみにしてる」
って笑ってくれたから。
私ね、今日も小説が書けるんだ。
それから何年も経ち、私も大人となった。
まだ本格的な本にはできてないが、同人誌を作ろうと頑張れる程度の作品は作れるようになったよ。
小説って難しいのね。
表現の豊富さ、文体の確立、読みやすさの研究……。
こんなにたくさんの技術や工夫があるとは知らずに書いていた。
おかげで、何度も挫けた。
自分の小説が嫌い、って泣いた事もあった。
一文字も書けなくてやめようと思った時。見つけたのは私だけの小説と、君の「楽しみ」と言う言葉だ。
もうちょっと書いていいかな、って。
視界が熱くなったのを、今でも忘れない。
そのうちコンクールに出せる作品が完成する予定なんだ。
そしたら、君と、昔の自分に、読んでくださいと伝えるつもりなの。
だから、待っててね。
【遠い日の記憶】
「朝からパンケーキが食べられるなんて、夢みたいだ」
僕がフライパンでパンケーキをひっくり返していると、甘い香りに釣られた君がやってきた。
カーディガンを羽織りながら、隣からフライパンを眺める。
顔は幸せでにやけていた。
「そうなの?」
「うん、そうなの」
尋ねたら真似をされて返された。ご機嫌らしい。
「私さ、小さい頃は『朝ごはんはお米だ』って決められてたの。実家は農家だったしさ。兄弟も多くて甘いのが嫌い〜って子もいたから、仕方なくて」
本当は甘い朝ごはんに憧れてたのよ。
「へぇ、初耳だよ」
「ひたすら白米を炊いて食べるのよ。夏でも熱々でね」
「いいな。羨ましいや」
言葉をこぼすと、彼女は僕の顔を横からのぞいてきた。
「もしかして、パン派だった?」
「ふふ、パンもよく出たけどね」
古い記憶を辿る。僕の朝は冷たい食事から始まった。
両親は共働きだ。
僕が起きるより先に出勤する為、自力で起きて用意済みの冷たいご飯にありつくのだ。
最初はレンジで温めていたが、次第に冷たいまま口にするようになった。
ひとりぼっちの朝食なのだ。
それが昔の僕にとっての普通だった。
「家族ってさ、人によって結構違うのね」
彼女が言った。いつの間にか白いお皿を差し出している。
「かもね。子供の時はみんな似たようなものだろうと信じてたんだけどな」
ぽん、とホットケーキを乗せるとご機嫌に笑ってみせた。
「そんなものだよ。人間なんて。みんな違うのが当たり前なのに、心のどこかで『一緒であって欲しい』だなんてフィルターかけちゃう生き物なんだ」
違うのは当たり前なのにね。
と彼女は言った。
その通りだと思う。うまく言えない感情だけど。
ほかほかの朝食をテーブルに並べながら、少し考え事をしていると彼女はこうも言った。
「君はどうする?」
「何をだい?」
「これからの家族をだよ。君はどんな家族になりたい?」
そうだな、と考える。思い立つのはひとつだった。
「朝食は家族揃って食べる。そんな家族がいいかな」
「ははは、たまにパンケーキをよろしくね」
僕らはいただきますと手を合わせる。
賑やかな朝食は、ふわふわとして、温かい。