程よく冷えた部屋、ホットアイマスク、イヤホン、充電器、抱き枕、少し針が進んでいる目覚まし時計、完璧だ。
ここのところずっと働き詰めで疲れていた私にとって今日は待ちに待った日だった。そう、明日は休日。朝早く起きる必要もなければ面倒な上司と顔を合わせる必要もない。なんて素晴らしい日なのだろうか。
「今日は早めに布団に入って翌日の昼まで…いや目が覚めるまでとことん寝てやる!」
そんな独り言を発しながら布団に片足を突っ込んだ瞬間、部屋中にインターホンが鳴り響く。カメラに映っているのは付き合って2年ほどの彼氏で、渋々ドアを開けると両手いっぱいに袋を下げてマスク越しでもわかるくらいにこにこしていた。
「…来るなら連絡してって前に言ったよね?私今から寝るところなんですけど。」
「うわーー本当にごめん…!でも急に に会いたくなって。あと流しそうめんの機械買ってきたから明日一緒に食べよ!明日休みよな?」
泊まる気満々なところとか突拍子もなく押しかけてくるところとか、色々突っ込みたい気持ちはあったけど、偽ってない私をいつもまっすぐに受け止めて好きでいてくれる彼のことが私も大好きで、気を使わずくだらない事で笑い合える関係がすごく嬉しくて、自然と上がってしまう口角に私は小さな幸せを感じた。
あーあ、せっかくの休みの日がそうめんで終わっちゃいそう。だけど不思議と嫌な気はしなかった。
私の疲れに何より効くのは他の誰でもない彼だけだから。
頭の奥の奥の奥の方にある記憶。
みんなと砂場で遊んでご飯を食べてお絵描きをして、幼稚園児という生き物は疲れを知らないので暇さえあれば外を走り回ったりしている。その日は雨が降っていて私はおんなのこ達の輪に混じっておままごとをしていた。
そんな事を何時間かしていたらいつの間にかお迎えの時間がくる。お母さんと手を繋ぎひとつの傘に一緒に入って帰っていく友だちを室内で眺めていた。
いつの間にかひとりになっていた。
待っても待っても私のお母さんが迎えに来る気配はなく、幼い子供ながら寂しい気持ちを先生に察してほしくなくて暗くてじめじめしたトイレに閉じこもった。目をつぶってお願いした。戻ったらお母さんが来てくれていますように。戻ったらお母さんが来てくれていますように。戻ったらお母さんが来てくれていますように。
雨は嫌い。どろどろじめじめした空気を吸い込んで、寂しい気持ちが大きくなっていく気がするから。このままお母さんが来てくれなかったらどうしよう?
「 」
聴き馴染みのある大好きな人の声が聞こえた。少し遠くの方で、小さいけど、確かに聞こえた。
薄暗いトイレに一粒の涙と寂しい気持ちを捨てて私はその声の方に走っていった。
数年程前に精神を病んでしまった。
何をするにも億劫で、次第に人と接するのも怖くなってしまった私は家に閉じこもった。少しの明かりも入ってこないよう全てに蓋をした。幸せになるのが怖かった。
私の事など無視して世界は周り時は過ぎていく。色んなものや人が変わっていく中で私だけ取り残されていた。これは私が望んでいた未来か?本当にこのままでいいのか?
自分の心の声は自分にしか聞こえない、私を変えられるのは私だけだ。
今はまだ暗くて光を恐れていたとしても、いつか見返した時嬉し涙を流しながら過去を語れるように、
私は目の前の手帳を手に取った。