ki

Open App
9/13/2023, 8:24:57 AM

「本気の恋」

なぜだろう。苦しくてしかたがなかった。
暑くもない。寒くもない。ただ息が錆び付いたように、苦しかった。
その反動で、目が覚める。時計を見れば、午前3時。
怠い体と酸素が回らず、痛む頭を、無理矢理起こす。
すると、いくらか痛みは収まった。だが、まだなにか喉につっかえるような感じがあった。
窓からは星が見える。それは緩やかに世界を見下ろしていた。


『本気の恋ってなんだろうね』
君は唐突に、本を読んでる僕に向かって、そう言った。太陽が傾いてきて、教室が赤く染まる。

僕はなにも答えなかった。
恋とはなにか。
それは、好きになるってことじゃないか。
それだけだ、と。

少し不思議な空気のなか、君は話を続けた。
『愛ってね、子供を産むためにできた感情なんだって』
本から視線をはずした僕を見て、にこりと笑いながら、言う。
『子供を産むということは、血を継がせるということ。その種を根絶やしにしないこと』
話の先が見えなかった。君はなんでそんな話を始めたのだろうな。

『子を守る種は、子を守らない種よりも、子の生存率が上がる。だから、子供をつくるときに必要としてできた感情なんだとか』
初めて聞いた話に、少しだけ、納得する。
確かに、子を守る鳥類や哺乳類は生存率が高い。
逆に言うならば、魚類や両生類、爬虫類なんかは、子をたくさん産んで、生存率を上げている。
『だから、恋って一体なんだろうね。それに本気を付けたら、尚更分かんないや』
そう、自分に嘲笑しながらも、諦めたかのように、言った。


僕にはよく分からなかった。愛がもともと種の生存率を上げるためのもの。じゃあ、恋は?
確かに疑問だった。

ほとんどの動物は、恋をしない。愛があっても、恋はない。
それは、生死に関わる自然という世界で、彼らが生きているからで。
だからこそ、何度もパートナーを代えるわけで。

人間は違う。人によっては恋のするしない、愛があるないの個体差がある。
でも、それは、人が生死の危機に瀕してないからじゃないか。
人は知能を使い、爆発的に数が増えていった。
動物を支配できるくらいに。
食べる以外に動物を使うぐらいに。
種同士で、必要のない争いをするぐらいに。

だから、恋は存在する。
社会というくくりの中での、生物としての異常。
誰かを好きになるという中途半端な感情。
それらを含めて、恋というのではないか。


そう口に出そうとする。教室内は徐々に暗くなり、少し怖い雰囲気があった。
でも、出すことができなかった。口が開いても、なにも言うことができなかった。
喉が熱かった。焼けるように熱をもっていた。苦しくて、なにもできなかった。

君はなにも言わない。というよりも、君がいるのかすらわからない。
目の前にあった机や教卓がぼやける。
いつの間にか、なにも見えなくなっていた。


目が覚めた。僕は教室などではなく、自室のベッドに横になっていた。
喉がまだ微少に熱をもっていた。苦しくて目が覚めたのだろうと推測する。


君への問いは返せなかった。あの時、あの瞬間は、分からなかった。

君は今どこにいるだろう。逃げるように帰ってきてしまった。あの時へ戻ってみたいと今更思う。

『本気の恋ってなんだろう』

そう問うていた君へ、今、言いたい。
風が吹く。柔らかく、頬を撫でた。
苦しさは、いつの間にか消えていた。

9/12/2023, 9:21:25 AM

「カレンダー」

ペンを持つ。緩やかに、尚且つ直ぐにペンは軌道に沿って、文字を書いていく。
少し考えれば、その通りに文字が書かれていく。
文の最後に丸を書いた。ゆっくりと、綺麗に。
『書けた』
自分の声に、少し驚いた。
誰もいないとはいえ、家中に響くような声だった。
ふう、とため息を吐く。
視線は、虚空に向いていた。


勉強机に座る。特に、勉強をしたいわけでもなく、座る。
肘をつき、虚空を見つめる。なにもしたくなかった。

視線の先には、カレンダーが見える。
大きく、月と日にちが振られている。
そこには、遠目からはびっしりとした文字列が並んでいた。


日程を書くようになったのは、いつからだったか。
毎日毎日、特に考えることなく、過ごしていた。
ボーッと授業を聞いて、特になく休み時間を過ごして。
それを思い起こそうとすると、その隣には、なぜかいつも君がいる。

確か、君は少し忘れっぽいんだったか。
意図的なのか、そうでないのか、自分に嫌なことは『忘れちゃった』と言いながら、ふわりと笑う。
だから僕は、ほんの少し手を焼いていた。

そうだ。この習慣は君が原因だ。
君と、いつか話していたとき。
『ねえ』
いつものように、でもいつもより少し哀しげに君は問うた。
なに、といつも通りに返すと、君は頬を緩めながら言った。
『私が忘れても大丈夫なように、日記とか、日程とか、書いてよ』
なんで、と当時の僕は言ったのだろう。
でも君はなにも答えることなく、笑顔で返したんだろうな。
『大丈夫』と。


今だったら分かる。どうしてあんなことを言ったのか。
なんであのときああ言ったのか。

君は、記憶喪失になったらしい。事故だったそうだ。トラックに引かれて。
命こそ大丈夫なものの、体はほとんど死んでいる。精神だって、ほとんど、眠っている。

自ら身を投げ出したのか、ただの事故か。分からない。
分からないけれど、あのとき言ったのは、自らそう、成りに言ったんじゃないのか?

そう、自己解決しようとしてしまっている。今では、もうわからない。

ただ、この「カレンダーに日程を書く」ということだけが、習慣として、身に染みてしまっている。

もう一度、書いた日程を見る。特に面白くはない。ないけど。

これが君の遺言なんだと、僕はただ、思っている。君が残した、言葉なんだ、と。
君の見たかったことなんだろう、と。

誰かに優しく微笑まれた、気がした。

9/8/2023, 9:19:22 AM

「踊るように」

ポトン。ポトン。
静かな夜に、雨が降っている。
蠢くに雲が動き、遠くで車の音がする。
雨は水溜まりになり、さらに降った雨は同心円状に影を揺らして。
波紋をつくりながら、消えていく。
そんな様子を、僕は眺めるように見ていた。


疲れた。
頭のなかにそれしか浮かばなかった。
なにもしたいと思えなかった。ただ、日々に疲れていた。
毎日が辛いわけではない。生きることが辛いわけでもない。
ただただ、体が怠い。なにもしたくない。そんな感じだった。

『今日は雨が降る予報で……』
点けていたテレビが誰かに話しかけるかのように、一方的に話す声が聞こえる。
今日は雨が降ります。傘を常備しておきましょう。
それだけだ。

ただ、それだけ話すのに、どれだけの力が必要になるのだろうな。そんなことを思う。
そんな仕事ができているだけでも素晴らしい。僕なんて、この日々を生きるだけで精一杯だというのに。
誰かに話しかける余裕なんてない。第一、それが自分のためにもならない。逆に、話すことでイメージダウンに繋がる可能性すらある。
そんなことを、する余裕なんて、無かった。

窓から空を見る。雲は町中を覆うように広がっている。黒く、どんよりとした色。
絞り出すように、或いははみ出すように、辺り一面に水を落としている。
まるであの日みたいだ。そう思う。
あの日。君がいなくなった、あの日。
意識は、そこに転がり込んでいった。


ある雨の日だった。今日のような、普通の雨の日。大雨でもなく、曇りでもないような、そんな日。

特に何もない、あの日の帰り。
僕は君と一緒に帰っていた。普通の道をただ歩いていた。
普通だった。なにもなかった。

特といって話すようなことはなく、当たり障りのない会話を続けていた。
そんなときの、分かれ道。
君は、あ、と小さく声をあげて、笑顔でこちらを向いた。
静かに、優しく。
『またね』
君は小さな手を振って。だから、また次の日も、そのまた次の日も、会えると思っていた。

でも僕らの先に「次」はやって来なくて。
大きな荷物すら持っていなかった君は、あの日、帰ってこなかったそうだ。
誘拐なのか、失踪か。
誰も分かりもせず、ただ、時だけが容赦なく僕らの間を開けていって。
緩やかに日々は過ぎていった。


今日はそんな雨の日。否が応でも君のことを思い出してしまう。
もう一年。
失踪なら、帰ってきても、いいのに。
いなくなる必要なんて、ないのに。

外ではまだ雨が降っている。
いつの間にか下がっていた顔を、ゆるゆると上げた。
バチャバチャと、誰かが通った音がする。
コンコン、そう、ノックの音が聞こえた。


雨は今も、踊るように跳ねている。

9/7/2023, 10:13:58 AM

「時を告げる」

日が暮れた。夜、10時。
広い空を見上げる。周りには人工物である建物が永遠と並んでいて。
何もない空には澄まし顔で鳥が飛んでいて。
月が見えた。ただひたすら空を明るく照らしている。
この空には、何があるのだろうな。
そんなことを、思った。


「時」とはなんだろうか。
好きなことはすぐ過ぎているような気がして。嫌なことはゆっくりと過ぎる気がする。
けれど、本当は一つひとつ的確に、同じ配分で過ぎているもので。
いつも変わらない存在だ。
僕とは違って。

君がいなくなった頃から、僕の時間は止まってしまった。
なにも楽しくなくて。いつも時間の過ぎかたはゆっくりで。

歩く速度すら変わった気がする。
それは、どこかに行ったところで変わらなくて。
遊園地に行ったって、テーマに行ったって、そのとなりに君がいない。
どれだけ楽しくたって、それに気づいた瞬間、落胆する。
そう思っているときにも、時間は過ぎていって。


今日は月食だそうだ。今年最大範囲の、月食。
それを、少し見てみたかった。本当は、君と一緒に。

風が吹く。秋初めの空は涼しくて。
ゆっくりと、しかし意図も簡単に時間は過ぎていく。
緩い太陽の起動のなか、影が伸びていった。
地平線が見えない町中で、静かな空を眺めていた。

太陽は誰を見ることもなく、遥か彼方に消えていく。誰かに何かを残すことなく。まるで、君のように。
でも。それは、明日また見えるよという合図で。示しで。
僕もそれがほしい。そう思う。 
僕は、また、会いたいんだな。と今さらのように気付く。
でも、その願いは叶わないことを知ってしまっていた。

ゆっくりと人影は伸び、建物の影に隠されていく。
誰もいない場所に、僕は呆然と立ち尽くしていた。ただ、一人で。
何も感じなかった。空はさっきと違う、赤とオレンジで入り交じっていて。
それは、もどかしいほどに、綺麗な色をしていた。

君は今どうしているのだろうか。
君の姿はもう、見ることができない。そんなことは、分かっていた。

でも。だけど。
時は止まってしまった。また、君に会いたいと、心から叫んでいる。

静かに月が沈んでいく。頭が活動を中止して、綺麗なそれを見つめてしまう。
月は肉眼で見るだけでも綺麗で。
黄色にぼやけたそれが、だんだんと赤く、染まっていく。それは月が地球の陰にはいったことを示していた。

赤くなりながら、月はゆっくりと欠けていく。時は普段よりも早まって。
それでも、頭の片隅には、隣に一つの人影が欲しいと願っていた。

微かに星が見える。月の飾りのように空をちりばめていて。
だんだんと月の赤さは薄まっていく。半月のように欠けていたそれも、元通りの大きさに戻っていく。


ボーン。そう、鐘が鳴った。12時に鳴った。
それを聞いて、ただ驚いた。
「どこから鳴っているんだろう」「なんで鳴っているんだろう」そんなことでもなく、ただ時間が経っていることに驚いた。

君がいなくなってから、こんなにも早く時間が過ぎていたことがあっただろうか。不思議な感じが心を渦巻いていた。

君を忘れたことがない。この一瞬たりとも。
でも、僕はあの瞬間だけ、君のことを思い出さず、そこに集中していた。
それは、どうしてなのだろうか。分からなかった。

時を告げたように、鳥が鳴いた。

9/6/2023, 11:13:55 AM

「貝殻」

君が、海に行ったらしい。そう聞いたのはいつだったか。
海はどんなところなのだろう。青くて、広くて、綺麗で。
誰かから、どれだけきいても、不思議と想像ができなかった。
ただ、そんな話を聞いて、ぼんやりと、いつもと変わらない景色を眺めていた。


僕は、家から出たことがない。小さい頃からだ。
出た記憶は、ほとんどない。
病院に行ったことがない。学校に行ったことさえ。
近所の人の名前も、顔も知らないし、会ったこともない。

僕は、足に障害がある。歩けない。走れない。学校にも行ったことがない。どこかに、行けたことが、ない。

見たことのあるのは、会ったことがあるのは君と、家族だけ。そんな生活を、何年も、何十年も過ごしてきた。
とうの昔に慣れてしまっていた。


最近聞いた話だ。君が海に行ったと。
海は画像で見たことがある。青くて、広くて、キラキラとしていて。
それでも、空とは全く別の綺麗さ。不思議さ。そんなものがその画像から伝わってくるようだった。

どんな感じなんだろうか。海は本当に青いのか? 砂浜は暑いのか? 広いのか? 水平線なんてものも、見えるのか?

僕も、行きたい。そんなことが一瞬頭によぎる。けれどそれは、学校にも行けない僕には、無理なことで。どうあがいても一人で行けない僕には、無謀な考えで。

窓の外を見る。何もない景色を、雨が濡らしていく。日もない、月もない。ただ、暗い空だった。

数日後、君が家にやって来た。海に行ったよと話すつもりなのだろう。顔はいつもより自信自慢に満ち溢れて見えた。

『貝殻を拾ったんだ』
君は開口一番に、そういった。
「海に行ったんだ」「最近、どこに行ったと思う?」そんな言葉よりも、先に。
そのあと、海に行ったんだよね、と呟くようにして付け足した。

貝殻は綺麗だった。色々な種類の貝殻を拾ってきたらしく、全てが違う色、違う形だった。僕には見たことのないものばかりで。

君はわざとらしく、一つの貝殻を手に乗せ、僕に差し出した。どう? と聞くように。

白色の貝殻だった。平べったくて、小さめな。
『綺麗だよ』ため息を吐きながら、そう誉める。すると、君はふて腐れたようにして僕を見つめた。

なんだろうか。分からなかった。
しばらくの間、無音の押し問答が続いたが、静かに君は笑った。

『これ、耳に当ててみて』
そう言って、きみは物を耳に当てるジェスチャーをした。

不思議に思った。だが、恐るおそる君の手に手を伸ばし、貝殻を取る。
そして、耳に静かに当てた。
君は、面白おかしそうに、笑っていた。

海の、音がした。聞いたことも、見たこともないけれど、瞬間それが海の音だと分かった。
スー、ザザザ。スー、ザザザ。繰り返されるような音がどうして鳴るのか、なんてそんなことはどうでも良かった。
そこには、海が広がっていた。

静かに太陽に照りつけられ、それを跳ね返す海。
白く泡立ち、波がその泡を砂浜に打ち付ける。
そんな情景。そんな景色。ここにはないはずなのに、はっきり、くっきり認識できた。

『どう? その貝殻』
不意に声がした。その声が波紋のように広がり、見えていた風景はさざ波のように消えていった。
不思議と欲は湧かなかった。

素晴らしかった。
こんな貝殻でも、僕が知らないことを教えてくれるなんて。
こんな綺麗なものがあるなんて。

窓の外を見つめる。相変わらずの雨だ。
変わらない景色。変わらない毎日。
一つ。変えてみたかった。

でも。それよりも。

海が、見たかった。経験したかった。
たとえ、入れなくても。歩けなくても。

『君と、海に行きたい』

微かに、潮の匂いがした。

Next