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「踊るように」

ポトン。ポトン。
静かな夜に、雨が降っている。
蠢くに雲が動き、遠くで車の音がする。
雨は水溜まりになり、さらに降った雨は同心円状に影を揺らして。
波紋をつくりながら、消えていく。
そんな様子を、僕は眺めるように見ていた。


疲れた。
頭のなかにそれしか浮かばなかった。
なにもしたいと思えなかった。ただ、日々に疲れていた。
毎日が辛いわけではない。生きることが辛いわけでもない。
ただただ、体が怠い。なにもしたくない。そんな感じだった。

『今日は雨が降る予報で……』
点けていたテレビが誰かに話しかけるかのように、一方的に話す声が聞こえる。
今日は雨が降ります。傘を常備しておきましょう。
それだけだ。

ただ、それだけ話すのに、どれだけの力が必要になるのだろうな。そんなことを思う。
そんな仕事ができているだけでも素晴らしい。僕なんて、この日々を生きるだけで精一杯だというのに。
誰かに話しかける余裕なんてない。第一、それが自分のためにもならない。逆に、話すことでイメージダウンに繋がる可能性すらある。
そんなことを、する余裕なんて、無かった。

窓から空を見る。雲は町中を覆うように広がっている。黒く、どんよりとした色。
絞り出すように、或いははみ出すように、辺り一面に水を落としている。
まるであの日みたいだ。そう思う。
あの日。君がいなくなった、あの日。
意識は、そこに転がり込んでいった。


ある雨の日だった。今日のような、普通の雨の日。大雨でもなく、曇りでもないような、そんな日。

特に何もない、あの日の帰り。
僕は君と一緒に帰っていた。普通の道をただ歩いていた。
普通だった。なにもなかった。

特といって話すようなことはなく、当たり障りのない会話を続けていた。
そんなときの、分かれ道。
君は、あ、と小さく声をあげて、笑顔でこちらを向いた。
静かに、優しく。
『またね』
君は小さな手を振って。だから、また次の日も、そのまた次の日も、会えると思っていた。

でも僕らの先に「次」はやって来なくて。
大きな荷物すら持っていなかった君は、あの日、帰ってこなかったそうだ。
誘拐なのか、失踪か。
誰も分かりもせず、ただ、時だけが容赦なく僕らの間を開けていって。
緩やかに日々は過ぎていった。


今日はそんな雨の日。否が応でも君のことを思い出してしまう。
もう一年。
失踪なら、帰ってきても、いいのに。
いなくなる必要なんて、ないのに。

外ではまだ雨が降っている。
いつの間にか下がっていた顔を、ゆるゆると上げた。
バチャバチャと、誰かが通った音がする。
コンコン、そう、ノックの音が聞こえた。


雨は今も、踊るように跳ねている。

9/8/2023, 9:19:22 AM