うちの小さな庭先に毎日のように猫がくる。
眠気まなこで窓をあけるとすぐそこにいたり、家を出るとそこにいたりする。窓や扉の音に驚くのか、慌てるように距離をとって顔をじっと見てくる。
はじめの頃はこちらの存在を見つけるなり物置の後ろや塀の向こうに逃げていたのに、警戒心が薄れてきたのか今では日向ぼっこを続けていたりして、とても可愛い。
家族がたまにご飯をあげるようになってから、よく声をかけられる。呼んでくるね、と分かるかも知らない返事をして家族に伝えるとさっきあげたばかりだと言われ、すっかり慣れてわがままを言われているようで可愛い。
小さな頃、通学路に猫がいた。良く言えば遊歩道のような木々に覆われた道に、おそらく家族で棲んでいた。野生にくらす猫たちは警戒して遠巻きに見てきたけれど、こちらも負けじと警戒して足早に通り過ぎたりしていた。
大人になってかつての通学路に行くこともなくなって、あの場所に猫がいるのかいないのかも分からない。庭先で会う猫は、あの頃の猫たちとなにか関係あるのだろうか。さくらのような小さい耳先を見て、かすかに切ない気持ちを覚える。
(執筆中…)
彼女はさながら太陽のような人だった。いつも明るくエネルギーに溢れ、彼女が現れると誰もが視線を惹きつけられた。
僕がはじめて彼女の存在に気がついたのは中学生になった時。どうやら同じ小学校で5年生の途中の頃に隣のクラスに転入してきたらしいけど、その時の印象はないに等しい。なぜ気がつかず過ごせていたのだろうか。
僕の所属する吹奏楽部は部員が多く、楽器ごとに校内散らばって練習するのが常だった。楽器の軽さとフットワークの軽い面々が多かった僕を含むトランペット隊は第2校舎の屋上の利用が特別許されていた。そこに移動する時、彼女を見つけた。といっても、同じ吹奏楽部の部員ではない。
新しいノートを開く。離れがたくしているページ同士をそっと剥がすようにめくる。真新しいノートはそれだけでわくわくした気持ちになる。思わず撫ででみたりする。
罫線だけのきれいなページ。何と書こうか。どんな世界を描こうか。
綺麗な色鉛筆を買う。日本の色、というテーマの色鉛筆セット。薄い缶の入れ物にきれいに並んだ12色入り。意味もなく撫でてくるくる転がし色の名前が揃って見えるようにしてみる。
先がツンと尖っている。何色から使ってみようか。何を描こうか。
どんな場面で、何色で、メロディーはどうしようか。最初のひらめきを見つけるまで今日も研ぎ澄まし向き合う。
はじめは同情だったのかも知れない。
「新しくクラスの仲間になります―」と紹介された君。緊張か少し控えめな性格か、ひとりでいることも少なくなくて寂しくないのかなと思ったんだ。
君はどう感じていたのかな。教室移動の時、二人組を作る時、なにかと君に声をかけていた私のことを。時には君の手を引っ張って歩いた私のことをを。笑ってくれてたような気がしてたけど、勘違いじゃなかったよね。
いつの間にか君に特別話しかけることも少なくなって、私は私の友達と、君は君の友達と、あの時がなかったかのようにたまに廊下ですれ違うだけ。そんな距離感が日常になって、時々お互いひとりだけのときもなんとなく気恥ずかしくて軽く挨拶だけ終わってしまう。
また話したいなと思っているのに、いつの間にか話しかけることに照れる気持ちを覚えた私に、気づいて欲しくない私に、気づいて欲しい。
仕事に行く道、遊びに行く道、普段行く道はアスファルトの硬い道。おしゃれな靴で歩くときも、自転車に乗るときも、車を運転するときも舗装されたきれいな道は安心して進める。
気分転換に自然の中に入るとき、土で靴は汚れるし、地上に出てきた木の根っこに躓くし、足元の不安定さに慎重にならざるを得ない。それでも枯葉の積もった土のかすかに沈んで体の重さを受け止めてくれるその柔らさかに、癒やされる。