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7/18/2025, 3:10:05 PM

Special day


『なんでもない日おめでとう!』
軽快な足音が近づいて来たと思ったら背中越しから顔を覗き込む顔が一つ。

ニッカリと言わんばかりの晴れやか口元は三日月を作る。こちらのビックリした顔に満足したのかポン、と叩かれる肩と手持ち無沙汰な手のひらに乗せられた小さな可愛い飴玉はこちらにもニッカリとした笑顔を連れてきた。

『なぁに?不思議の国のアリス?』
まんまる顔のハンプティダンプティは微笑みかけるとわかった?と嬉しそうに答えた。

『そうそう!なんでもない日バンザイ!幸せやってくるおまじないね!』

それ、美味しかったからお裾分け!
差し出された手のひらいっぱいに抱えられた飴玉は色とりどりに輝いてまるで魔法がかかった宝石の様に見えた。

『TAKE CARE!』

たくさんあった宝石たちを片手分だけこちらの手のひらに乗せ替え終わるとニコニコ笑いながら片手を振って勢いよく去っていく。

こちらを振り返りながら走り去る姿にありがとうと返すことも忘れてその危なっかしくも慌ただしく去っていった姿が見えなくなるまで見送った。

『なんでもない日かぁ…』
手のひらに残されたピンク色の飴玉を一つ口に運ぶと桃の甘さが口いっぱいに広がった。

特別な日でもなんでもない今日が、飴玉がもたらした幸せで特別になる。どんより灰色な日がちょっとだけ色づいた気がした。きっと今日はいい日になるかもね、なんて。なんでもない日のなんでもない幸せに心が少し軽くなる。

『なんでもない日バンザイ』

口をもぐもぐと動かしながら口ずさむ。
先ほどと打って変わって足取り軽い自分に苦笑しながら飴玉をポケットにしまって仕事に向かった。

7/11/2025, 1:25:23 PM

心だけ、逃避行




ここじゃない場所に帰りたい。


ずっと思っていた。
笑顔を浮かべて、どこか冷めた気持ちで周りを見渡す自分に諦めを感じていた。
不幸ではなかった。でも幸せでもなかった。

漫然と見つけられない居場所が何処かにあるはずだと信じていた。あるいは信じたかったのかもしれない。

ここじゃない場所に行きたい。
何処に?

そんな都合のいい場所なんてあるわけなくて
愛してくれる場所を探しながら
愛する方法を知らないだけだった。

帰る場所を探していて
帰る場所があることを見ようともしなかった。

見つけて欲しいんだ。
ここにいる事。
声も出さずに都合のいい事を。
蹲って黙ってたら、誰だって見つけられないのにね。

思い出せないメロディを探して彷徨う日々を
何処か憐れむ事に酔っている。

『ここにいるよ』
ちゃんと教えて。

ここに居たいと思える場所って
見つけようと思わないと見えないんだ。

一マイルの少し先に歩き出す。
帰る場所を探しながら。

自分勝手に逃避行。
見たくなくて認めたくなくて怖くて振り向けない。
振り向かない事を選べもしない。

ちゃんと教えて。
ここに居たいって。

帰る場所はここにある。

7/8/2025, 9:25:53 AM

願い事


『願うだけならタダなんだよね』
何気なく漏らしたその独り言は
特に口に出すつもりがない一言で。

自分に集まる視線をなんでもないと手を振って誤魔化した。

スリーセブンの今年の七夕も特にいつもと変わらない。
令和7年の7月7日だぞ。
特別何か良いことが起こりそうで、日々と変わらない1日を過ごす。

勿体ぶって書こうと思っていた短冊は結局何も書けないまま机の引き出しにしまい込まれたままだった。

願う事ならたくさんある。
健康とか。お金とか。世界平和とか。

世界平和て。
思わず自分の『願い』が壮大で噴き出すと再び視線が集まった。ほんとなんでもないの、マジ。そう言いながら片手を困った顔をして仰ぐと先ほどと同じように沈黙が満ちた。

今年もまた夜空に天の川は見えなくて、毎度の事のように織姫と彦星は会えないのだろう。
全くもって天帝とやらは引き裂かれた恋人たちをどれだけ邪魔したいのか。嫉妬深すぎるだろう、親父よ。
世の父親というものは、娘に対して要らぬ独占欲を持ちすぎではないだろうか。

会いたい時に会えない人を思い続ける、なんてロマンチックでもなんでもない。当事者ならば死活問題だろう。
どんなに憤ったところで今年の七夕は過ぎ去った。短冊だってただの紙でしかないだろう。

それでもまぁ、ちょっとだけは気持ちがわかるから。
携帯の待ち受け画面は次にいつ会えるかもわからない愛しい人。織姫でも彦星でもない私と貴方は1日限定の面会日なんてほど険しい道のりでもないですが。

残りのコーヒーをグイッと飲み干すと立ち上がる。
机に仕舞った短冊に叶うかどうかもわからない大遅刻の願い事を書こうと決めた。

もしかしたら遅刻上等で叶えてくれるかも。
遅延NGで叶わないかも。
それとも来年までの持ち越しかも。

それでもやってみなくちゃわからない。
『願うだけならタダだもんね。』

今度ははっきりと意思と決意を込めて独りごちる。

みんな大好きな人に会えますように。

地上から天上に愛を込めて願いを。

私とあの人が会えるように、
空の二人が互いに伸ばした手が結ばれるように。
1日遅れの星に願いを。


『7月8日』

6/22/2025, 12:25:30 PM

どこにも行かないで


人はなんのために生まれて何のために生きるのだろう。





いくら言の葉を紡いでも届かないものを求めている。
誰も彼もがどうしようもない歴史の流れに逆らう事が出来なかった時代。
当たり前に生きる事が出来ず、まるで御伽話の中に迷い込んだようにみなが深い霧に囚われた。

思い出す面影は微笑む姿だけ。
ただそれだけを頼りに探し続ける。

深い霧に迷い込んだ旅人のように、あてもなく終わりがない長い長い迷路を手探りで歩き続ける。
ただ一つの光を求め探して彷徨って嘆き続けた。

通り過ぎる幾千幾万幾億の光ではない。
ただ一つ。ただ一人。
それだけしかいらなかった。なにもいらなかった。
なに一つ求めるものはそれ以外にないというのに。

手元には遺骨ひとかけらすら残らない。
誰もがそんな時代だった。
みんな守りたいものがあった。
みんな名前がない英雄になった。
みんなそばに居たい人が居たはずなのに。

『君が生きる未来を守る』
寂しそうな微笑みをずっと探し求めて生きている。



今年もまた夏が来た。

毎年更新される『例年より暑い』という記事は
嫌なことに本当になりそうだ。
この歳になると歩くだけで疲労感が強い。
外に満ちたムワッとした空気に少しだけ風が流れる。

照り返す日差しに暖められた風に吹かれて、日傘に隠れた額から汗が噴き出る。流れ落ちそうになる汗を皺だらけの年老いた甲がゆっくりと拭った。

毎年この日だけは必ず訪れていた。
長い時間の中で何もかもが変わっても、この石碑だけは止まった時間のままで迎えてくれる。
こちらばかりが時の流れに流されて変わっていくのに、若いままなんてずるいわ。少しだけ笑えるようになった目尻に深い皺が刻まれる。強い陽射しを受けた石碑は触れると命を持つように温かかった。

求める名前は一つだけ。
数えきれない名前の中でただ一つだけ。

時代に奪われた幾千幾万幾億の光は時の流れに風化する。悲しみも憎しみもどこか遠い物語になっていく。

あの時代を知らない若い世代ばかりになる世でこれからさらに未体験のこの記憶は加速度的に霧の中のおとぎ話になっていくだろう。

諦めるように怒りを携えるように、泣き出すように、力強く置いた指で名前をなぞる。
いつか失われて消える運命が待っていても、それは忘れられる事はなく、この胸にある。決して忘れない物語。


本当は置いていかないで、どこにも行かないでって
いえなかった事の後悔をずっと忘れる事が出来ないの。

言葉にする事が許されなかった時代でも
伝えなければいけなかった。
たとえどんなに苦しみしか待ってなくても、
貴方さえいればよかったのです。

霧の中の迷路が開けるまであと少し。
私と同じ悲しみを繰り返さない未来をどうか。
貴方の所に行く未来に、どうか平和を。


6/20/2025, 4:02:53 AM

雨の香り、涙の跡


『涙の数だけ強くなれるよ』

水たまりから水たまりへ。
誰も居ない帰り道にぴょんぴょんと飛び跳ねてみせる。
足元で弾けてはピシャリと音を立てる靴音と
湿った靴底には何も感じない。

『アスファルトに咲く花のように』

唇から小さな声で漏れる息くらいの囁きで歌いながら帰る。先ほど降ったゲリラ豪雨に濡れた軒先の花が晴れ出した空にキラキラとひかる。
すこし湿った風から雨の匂いがした。すぐに綺麗な青空になるだろう。


『見るもの全てに怯えないで』

傘もささずにびしょ濡れのままくるりと回れば遠心力に乗せて浴びた雨が飛んで行く。

濡れた髪から、手から、顔から。
何もかもがくるくると回れば回るほど飛んでいく。
抱え込んだ何もかもが雨と共に飛んでいけばいいのに。

『明日はくるよ』
くるくる回れば回るほどどんどん悲しい気持ちが飛んでいく気がして勢いよくくるくる周り続ける。
歌に合わせてぴたりと止まると目がぐるぐるとまわって何もかもがどうでもよくなった。

明日はくる。
どんなに雨が降っても必ず晴れるように。
曇った空だってほら、東の空に青空が見える。
ここに青空が来る頃には私の顔も綺麗に乾いて
きっと笑顔になれるだろう。


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