微熱
体が熱い。ひと月前からずっと背中がじりじりしている。微熱のような毎日。
気になっている人が、席替えで後ろの席になった。
好きな本が同じ。
それからいつの間にか目で追って、耳をそばだててしまっている。
すごく頑張ったから時々話はできるようになった。今はちょっとだけ仲が良いクラスメイト。
ホームルームでプリントが配られ始めた。前の人から受け取ったプリントを後ろに回す。
ただそれだけなのに、いつも手が震えそうになって息を止める。
「はい、これ」
精いっぱい平静なふりをして、プリントを差し出す私の手と、受け取る彼の手が重なった。
少しカサついて冷たい手。
カッと体が熱くなった。全身の神経が手に集まったみたいで、じんじんする。心臓まで痛い。
触れた手から発火しそうで、周りの音が一気に遠くなって、教壇の先生の言葉もまるで頭に入ってこない。
――こんなの私だけ。きっと気づいてもいないんだろうけど。
ぼうっとしたままホームルームが終わり、潮が引くように皆が帰っていく。私も行かなきゃとカバンを引き寄せる。
「あのさ、」
その声に私は弾かれたように振り向いた。立ち上がった彼が私を見下ろしている。
「なに……?」
喉がカラカラで声が掠れてしまう。彼の唇がゆっくり動いた。
「手、熱いよね」
#100
太陽の下で
錦秋の太陽の下で吉野山
名物の柿の葉寿司は、この時期、紅葉した柿の葉で包んでいるお店があります。とっても綺麗です。
#99
太陽の下で
錦秋の太陽の下で照り映える紅葉 吉野山
#99
セーター
昔、友達が着ていたミルクティ色のセーターは、おばあちゃんが編んでくれたものだと言っていた。 丁寧に編まれたとてもきれいで凝ったセーターだったと思う。
「すごいね! 手編みって分からなかったよ」と言うと、友達は随分誇らしげな顔をしてたっけ。
心も体も温かくしてくれるセーターだったね。ちょっとうらやましかったな。
まだ覚えているよ。
#98
落ちていく
落ちていく。雲に浮かぶような心地で。
また最後になった。薄暗いフロアで、自分のデスク周りだけが明るい。ため息をついて、一区切りついたファイルを保存すると、ノートパソコンの電源をオフにしてバッグに突っ込む。そのまま部屋を出てセキュリティカードで最終の戸締まりをした。
エレベーターの方へ向かおうとした時、後ろから足音がした。まだ誰か居たのか。
「今帰りか?」
振り向くと彼が居た。同期の彼は頼りになるし気が合う方だけど、今は会いたくなかった。目線を合わせずに尋ねる。
「お疲れ、まだ居たの? 最終だと思ってもう戸締まりしちゃったよ」
「いい。あっちの会議室に籠もってた。荷物は持ってる」
「そう」
彼は立ち上げてるプロジェクトが佳境らしいけど、深く尋ねる余裕が私にはない。私の質問に簡潔に答えた彼は、歩きながらこちらを伺うように言った。
「何かあった?」
目敏いんだから。舌打ちしたい気分で思った。だから会いたくなかったのに。大雑把なところもあるくせに、こういう時はよく気づく。
――このタイミングで聞かれたら愚痴りたくなるじゃない。
エレベーターホールに着いて、下へのボタンを押す。階数表示を見上げると、こんな時間だからすぐに来そうだ。
「◯さんにダメ出しされた。理想はわかるけど、もっと現実を見て無駄を減らせって。……残業多いし」
他にもいろいろ言われたけど。
「上はそう言うわな。お前、仕事遅くないしそんなに気にすんな」
彼はさらに言葉を継いだ。
「……いつもお前は、クライアントの要望や会社の利益や理想とかのバランスを考えてるよな。そういうのしんどいと思う。
でも理想とか理念って絶対に要るんだよ。それがなければ人は手段を選ばなくなる。そうして、できるやつほど多くの人間を傷つける」
彼はそこで少し笑った。
「らしくないか。ま、体壊すなよ」
耳から入った言葉がゆっくりと胸に染み込むような気がした。この人は分かってくれている。目の奥がじわっと緩んできた。だめだ泣くな。
エレベーターが来てドアが開いた。乗り込んで彼の指が閉のボタンを押した。大きな手だ。ドアが閉じて、エレベーターが動き始める。
私は彼に表情を見られないように外を眺めた。この高層ビルのエレベーターはガラス張りで街の景色がよく見える。遅くなった時、一人でエレベーターに乗ると、この景色をひとり占めしている気分になれる。
「いつも思うけど、こんな仕事帰りに見るにはもったいない夜景だよな」
「……そうだね」
「お前がそうやってもがいてるの、俺はいいと思ってる。そういうやつは信用できるから」
低く呟く声に思わず彼の方を見た。彼は私を見ずに窓の向こうを見ている。
彼の耳がほのかに赤く見えるのは気のせい? 胸の鼓動がますます速くなる。そんな事をあんたに言われたら――。
頬が熱くなるのが分かった。私は彼から目を逸らして、ガラス越しに輝くビルの群れを見る。
エレベーターが滑るように下りていく。まるで夜空に落ちていくみたいだと思った。雲に浮かぶような心地で。
#97