夜景
日が落ちて、川向かいの高層ビルの窓が明るく光り始めた。たまにブラインドがあげられて、人影が見えることもある。
光の下には働く人がいる。そう思うと不思議に力づけられる。
知らないビルの群れ、あの小さな窓の光の中にも、きっと幾千幾万の働く人がいる。
海沿いの工場地帯の光にも、山から見下ろす街の光の下にもたくさんの人がいて、きっと誰もが懸命に生きているのだろう。
#31
花畑
目の前にはひまわり畑。鮮やかな太陽の花が咲き誇る。
高一の夏、私は父の転勤のため引っ越しが決まった。
あと引っ越しまで一週間となった日、私は幼なじみに連れられて、ひまわり畑にやって来た。
暑い。汗が止まらない。
それでも、青い空の下いっぱいに咲くひまわりはとても綺麗だった。彼はここの持ち主と知り合いで、時々畑の手伝いなどしていたそうだ。
「わあ、やっぱりすごいね」
私の声に頷くと、彼はポケットから愛用のフィッシングナイフを取り出した。折りたたみの刃がきらりと光る。
「何するの?」
「大丈夫、いいって言われてる」
ザクリ。ひまわりの茎にナイフが入った。一本、二本、三本、四本、五本。
葉を何枚か落とし、バンダナでまとめると、彼はそれらを私に差し出した。
「引っ越し前で悪いけど、これ」
「えぇ、これ?」
彼がどういうつもりなのかはわからない。渡されたひまわりは結構重い。でも腕いっぱいの鮮やかなひまわりは格別だった。
「ありがとう」
「ん」
彼はいつものように柔らかく笑った。
その二日後、彼の姿は消えた。スマホも繋がらなかった。
「いなくなっちゃったんだって、何か知ってる!?」
「ううん、何も……」
驚いたけど、それほど意外でもなかった。
彼は家族と上手くいってなかったし、何よりいつもどこか遠くを見ているような気がしてたから。
(でももう少し、話してくれてもいいんじゃないかなあ)
胸の中でそう文句を言ったら、彼がいつもの柔らかい笑顔で、ごめんなと笑った気がした。
騒ぎが治まらないうちに引っ越しの日がやって来た。
私は最後にひまわりを持った。
ひまわりは日持ちの良い花で、ちゃんと手入れをしたからまだ何とか保っている。ここに捨ててはいけなかった。
一番の心残りだった彼が消えてしまってから、私は何だかすっきりとした気持ちでいる。
ねえ、元気にしててね。
やっぱり寂しいよ。でもあんたを置いていかなくて済んで、良かったのかな。
これから彼のそばにいる人は、どうか彼に優しくしてあげてください。彼があんまり辛い思いをしなくていいように。どうかお願いよ。
#30
空が泣く
君は来ない。それが答えだね。
軽く息を吐けば、少し汚れたスニーカーのつま先が視界に入る。
もう行こう。
リュックを背負い直した時、ぽつんぽつんと雫が落ちて、足元のコンクリートの舗装に黒っぽい染みを作った。
「天気雨かな……」
そっと呟いて、パーカーのフードを深く被る。
人々が行き交う陽の当たる歩道で。
#29
君からのLINE
(いつ来るの?)
既読はつかない。電話も出ない。腹は減った。
カレーはとっくに出来上がり、キッチンでスパイシーないい匂いをさせているのに、22時半を過ぎても連絡がない。
焦れた俺は冷蔵庫から缶チューハイを取り出した。二人で飲むつもりだったけど構うもんか。そしてプルタブを引き、唇を付けようとした瞬間に通知が鳴って、慌ててスマホを手に取った。
(車で迎えに来て 。〇〇駅あと20分で着く)
「そりゃないだろ、……せめて電話しろよ」
俺は犬かよ。そんなLINE一本でしっぽ振って迎えに行くと思ってんの。
……思ってんだろうな、やっぱり。
むかっ腹が立って、すぐに返事をしなかったら、通知音が連続で鳴った。トーク画面には大きなハートを抱えた猫のスタンプが、ずらっと連打されている。
「何だよ、もう」
口元が緩むのがわかった。きっと締まらない顔をしてるんだろうな。急いで缶チューハイにラップをして冷蔵庫に片付ける。
「仕方ない。行ってやるか」
俺の気分を指先一つで変えてしまう、そんな君からのLINE。
#28
命が燃え尽きるまで
命が燃え尽きるまで。
このお題を見たとき、タコのメスの子育ての話を思い出した。
タコは数年の寿命の最後に一度きり繁殖を行うそうだ。その後すぐオスは死んでしまい(そう命がプログラムされている)、海の生き物では珍しい方らしいが、メスが卵を守り続けるという。
それはマダコなら一ヵ月、冷たい海に棲むミズダコなら卵の発育が遅いため、六ヵ月から十ヵ月に及ぶとのこと。その間メスは餌も摂らずに、卵を大切に抱きかかえて世話をする。卵に新鮮な水を送り、卵に付いたゴミを取り払い、敵が現れれば全力で闘う。
餌を摂らないから次第に体力は失われる。最後は弱って泳ぐ力もなくなる。そして卵の孵化を見届けると母ダコは静かに死んでいくという。
生き物の世界は過酷でシンプルだ。なのになぜ人間は繁殖ができない年齢まで、生き続けられるようになったのだろう。その意味を考えてしまう。
そのようにプログラムされたのなら、与えられた命が燃え尽きるまで、生き切ったと言える人生を私は送りたい。(タコに負けたくないよね。)
タコのお話に興味を持たれた方のために…
こちらにもっと詳しく書かれています。他の生き物のお話もありました。
『生き物の死にざま』草思社 稲垣 栄洋
#27