百加

Open App
9/12/2023, 1:53:23 PM

本気の恋


 ありがとう。あと六年経ったらね、なんて。
 憧れとかそういうものだから、なんて。
 どうしてわかるの? 
 適当な言葉なんか要らない。
 本物とか偽物とか、そんなのどうでもいい。
 あなたが好き。


#25

9/11/2023, 10:54:59 PM

カレンダー


 八月が終わってリビングのカレンダーをめくると、あなたはその日を指差した。
「この日は何の日?」
 もちろん知ってるよ。私は笑って尋ねる。
「花マルつけちゃう?」
「つけちゃう!」
 カレンダーのその日はマジックの大きな花マルで飾られた。

 あなたはまだ知らなくていいかな。
 遠い国でとても悲しいことがあったということを。あの日崩れ落ちる高層ビルに世界中の人が自分の目を疑っただろう。 
 でも私にとっては、大切なあなたと出会った日。何でもない普通の暑い日だった。


#24

9/11/2023, 6:16:08 AM

喪失感


使われない片方のペアのマグカップ。
開けたばかりのままのシャンプー。
クローゼットにあるお気に入りだったグレイのセーターにはあなたの匂いがまだ残っている。
笑っている二人の写真。
思い出いっぱいの家に、笑えなくなった私。



#23

9/10/2023, 9:31:31 AM

世界に一つだけ ※追記しました。


 この階段を転がり落ちたら死ぬだろうな。このところ、毎日会社の帰りに思っている。
 最寄りの駅の改札は、ビル四階分くらいの高さにあって、改札を抜けるとすぐに大きな階段があった。
 家と仕事を往復するだけの毎日に疲れていた。世界に一つだけの特別になりたくて、何者にもなれない自分が嫌いだった。どうにもならない思いがぐるぐると頭の中を渦巻き、もう終わりにしたかったけれど、父や母や妹、家族が悲しむ顔が浮かんで堪えていた。
 同じ電車から降りた人の群れをやり過ごして、大階段から下を見下ろす。高くて身が竦む。
 それでも階段から足を半分出した。
(このまま踏み外したら……)
 その時、耳元で女性の声がした。
「危ないって」
(えっ!)
 息を呑む。慌てて振り返っても誰もいない。
気のせい? でもあんなにはっきり……
 体から力が抜けて深く息を吐いた。張り詰めた気持ちが削がれてしまい、私は家までの夜道をとぼとぼと歩いて帰るしかなかった。

「ただいま」
 家に帰り居間のドアを開けると、家族は果物を食べながらテレビを見ている。変わらない、いつもの風景。
「お帰り、遅かったね。ご飯は台所のテーブルの上ね」
「わかった。ありがとう」
 居間と台所は分かれている。母は夕飯のハンバーグをレンジで温めてくれて、少し話をすると居間に戻った。私は食べ終えて、時計を見ると22時半をを過ぎている。これもいつもの事だ。
 これ以上誰とも話す気にはなれない。後片付けを済ませると、空いていたお風呂に入った。湯船に浸かって深呼吸をする。温かく湿った空気を肺いっぱい吸い込むと、ようやく体が緩んでいく。
(何だったんだろう、あの声は……)
 気のせいじゃないと思う。あんなにはっきり聞こえた。それとも私がおかしくなった?
 目を閉じて頭を振った。やめよう、気のせいだ。無理やりさっきの出来事を頭から追い出す。
 その日は早く眠った。もう何も考えたくなかった。



 今日も遅くなった。会社帰りの疲れた体を引きずるようにして、最寄りの駅の改札を出た。
 朝は会社に行かなくてはと、あまり考えずに済んだけれど夜はそうはいかなかった。また階段のてっぺんで立ち止まり、下を見下ろして大きく息をする。
(やめてよ)
 声が聞こえた。弾かれたように周りを見渡すけど、誰もいない。
(何なの、一体……)
 そう思った途端、
(私はあんたよ、あんたの中にいるのよ)
 ぎょっとして、もう一度周りを見てもやっぱり誰もいない。私は昔に読んだ小説にあった言葉を思い出した。
(これ、多重人格とかそういう……?)
 少し間が空いてから、そんな感じ、と声は答えた。
(あんたはそれほど壊れてないから、今まで機会はなかったんだけどね。とうとう勝手なことをやらかしそうだったからね)
(勝手って……)
(勝手よ、私は生きていたいの)

 声と少し話した。話すというのが正確な表現かわからないけど。本当に私の一部なんだろうか。言うことは容赦ないし、そして私しか知らないようなことを知っている。繕わなくてもいいのが楽だった。気のせいでもいい、もっと話したい。でも傍から見れば、私は一人で突っ立ってるようにしか見えないだろう。
(このまま家に帰れないよ。でも夜の公園とかじゃ危ないし)
(へえ、死のうとしたのにそんな事を気にするの)
(うるさいな、変質者とかに会いたくないでしょ)
(まあね。でもこの辺なんにもないよ)
 確かにそうだった。ここは住宅街で、駅前には、おじさんたちが行くような古い飲み屋は少しあるけど、馴染みでもないそんな店に入る気分にはなれない。
 そうだ、駅のホームに戻ろう。ベンチに座って話そう。まだ終電まで時間がある。
 定期券を使ってまた改札を通り、駅のホームのベンチに座った。向かいのホームを眺めて、しばらく待つけど声はしない。
(何か言ってよ……)
(私は別に話すことはないけど。死なないでくれればそれでいいし)
(疲れたの。約束できないよ)
(嫌よ、許さない)
(あんたは私なんでしょ、だったらわかってくれてもいいじゃない)
(しんどいのは知ってる。でも他のやり方があると思う)
(何よ、そっちこそ文句だけ言ってこっちに全部押し付けてるだけじゃない)

 アナウンスが流れ、ホームに電車が入ってきた。また乗客が降りてきて、私たちの会話が聞こえるはずはないけれど、私は黙った。
 降りてきた学生っぽいカップルがホームで立ち止まり、楽しそうに話し込み始める。
 なぜかちらちらと視線を感じる。一人でいる私を馬鹿にしたような嫌な笑い方。腹が立つより悲しくなった。
(もう嫌だ。何であんな知らない人にまで、馬鹿にされなきゃいけないの)
(あんなのほっときゃいいでしょうが)
(絶対馬鹿にしてた。そんなに私、変なのかな)
(あのさあ、いちいちどーでもいい人を気にしすぎ。余計なこと考えてるひまがあったら本当にしたいことをしなよ。あるでしょ? したいこと)
 痛いところを衝かれて、私は黙り込む。
(……そっちも私ならわかってるんじゃないの?)
(知ってる。でもあんたから聞きたいの)
 言うまでは引かない、というような声の気配がした。私は渋々誰にも言えなかったことを言葉にした。
(私、イラストとかデザインとか、勉強してみたくなった)
(昔、絵を描くの好きだったもんね。いいね、他には?)
(……彼氏欲しい。結婚して、子供も欲しい)
(したらいいじゃん)
(相手いないもん)
(必死で探すの! 仕事を言い訳にしないで!
一番欲しいものために、もっと真剣になってよ! 死ぬのはその後でしょ!)
 目の前がぼやけてくる。怒られてるのに励まされてるような気がする。堪えたけど目尻から涙が溢れた。
(ねえ、私を殺さないで)
 少し優しい声がして、それきり声は聞こえなくなった。
(ねえ、どうしたの……?)
 呼びかけても、もう何も応えてくれない。
 大事な友達に置いていかれたようで、私はもう一度泣いた。


 涙でぐしゃぐしゃになった顔を駅のトイレで洗った。化粧は既に落ちてるんだし、夜だし構うもんか。鏡を見ると目も鼻も赤くて不細工で笑える。
(ひどい顔……)
 でもこれが私。私たちと言うべきだろうか。私の中の生きたい私は、殺さないでと頼んで消えた。
 生ききってから死ぬ。
 考えよう。世界に一つだけどころじゃない。過去にも未来にもない、今にしか私は存在しない。何がやりたいのか。やりたいことをするためにどうしたらいいのか。仕事は嫌いじゃないんだから、やめずに済むのならその方がいい。

 改札を通って階段に近づいた。降りる前に耳を澄ませてみたけど、何も聞こえなかった。踏み外さないようにゆっくりと階段を降りる。ごめんね、ありがとう。もう心配はかけないようにする、約束する。心のなかで呼びかける。
 夜道を家に向かって歩く。夜空を見上げた。久しぶりに空を見た気がする。今夜は星が綺麗だった。
 家に着いたらご飯を食べて、気になっていたデザインスクールの資料請求をしてみよう。取りあえずそこから始めよう。




途中の投稿になってすみませんでした。思ったより長文になってしまって……
いつも読んでくださってありがとうございます。とっても嬉しいです。

ラグビーW杯、初戦勝ちましたね!良かった!
2019年も2015年も素晴らしかったですが、今回も良い試合を期待しています。


#22

9/9/2023, 1:37:31 AM

胸の鼓動


 こういう時間を黄昏時っていうんだよね。
 助手席のドアガラス越しにぼんやり外を見ていたら、急に車の速度が落ちて体がシートに軽く押し付けられた。前を向くと赤く光るテールランプが高速道路の先の方まで詰まって続いている。
「渋滞にひっかかったなあ」
 彼はいつもより低い声で、ひとり言のように言った。
「早めに向こうを出たつもりだったけど甘かった。ちょっと夕飯遅くなるわ、ごめんな」
「いいよ、全然大丈夫」
 彼はちらりとこちらに視線を向けて、すぐにフロントガラスの方へ戻した。車のメーターは30km/hを示している。
 助手席からそっと彼の横顔を見る。渋滞嫌いな彼の口角は少し下がっている。
 でも、その横顔もやっぱり好きだ。つき合って二年ほど経つけどまだ慣れたとは思わない。胸の鼓動が速くなる。

「何見てんの?」
 どきん、心臓が跳ねる。でも見とれてたなんて言わない。
「別になーんにも」
 彼の口元が少し上がった。
「ふーん。寝てていいよ」
「ありがと、そうしようかな」

 あなたは私のこんな気持ちに気づいているのかな。私ばっかりみたいで、ちょっと悔しくなっちゃうんだけど。
 助手席のリクライニングを深く倒して、今度は斜め後ろから彼を見つめる。その首筋は日に灼けて少し赤くなっていた。
 私の情熱。
 そんな言葉が頭に浮かぶ。自分の中にこんな滾るような思いがあるなんて知らなかった。あなたといると私はどんどん知らない自分を見つけてしまう。

「お、渋滞脱けそうだぞ」
 彼が呟いて、車の速度が再び上がった。もうすっかり日は落ちてしまっている。夜を走る車の中で、私の体は火照って熱い。


#21

Next