知らない人間と手を繋ぐ君の笑顔が、
僕の網膜に焼き付いた。
怒りとも、悲しみとも違う。
空洞。僕の心に穴が空いた。
何かが出ていった気がした。
僕の事をなんとも思っていない視線が、
他人を見る目と何ら変わりない視線が、
僕の心を射止めて、深く抉るんだ。
君は僕の手の中に体温だけを残して去った。
君に貰った香水を未だに付けて虚しくなる。
君の手料理は今でも味を鮮明に思い出せる。
君が放った愛言葉は一言一句忘れていない。
目を開くと、言い知れぬ喪失感が襲いかかる。
君が僕の隣に居ないと思い知らされる。
君が僕以外に笑顔を向けているのを見せつけられる。
僕にとって君の存在は、
思っていたよりずっと大きなものだったらしい。
そして、君にとっての僕は、
替えの利く都合のいい人間だったみたいだ。
僕には、君が時々小さな小さな妖精の様に見える。
踊るように僕の周りを飛び跳ね、
歌うように僕の名前を呼び、
鱗粉を振り撒くように笑うんだ。
可愛らしくて仕方がない。
誰からも愛でられている、美しく可憐な少女。
そんな君の羽根をもげたなら、
どれほど満たされるのだろう。
その瞳に大きな大きな涙を浮かばせ、
僕の手の中でしか生きられなくなった君は、
どれほど愛おしいのだろう。
ああ、でも。
その晴れたような笑顔が見られなくなるのは、
まったくもって惜しいなあ。
心配されたかった。
誰でもいいから、涙を拭って欲しかった。
頭を撫でて、寄り添って欲しかった。
私の不調で誰かの予定が狂ってしまった時、
私の看病を第一に優先してくれた時、
優越感と満足感に浸ってしまった。
あの日からだ。同情を愛だと錯覚したのは。
熱を出したかった。
顔が真っ赤になるくらいに。
風邪を引きたかった。
病院で診てもらうくらいの。
看病してもらいたかった。
大事にされてる確信を得られるように。
なんでもいいから病名が欲しかった。
心配してもらうための大義名分が欲しかった。
私の不調を見抜いてくれるような、
私の不調を憐れんでくれるような、
大事に思ってくれてる人を見つけたくて。
雨に佇む。
熱が出ますようにと、祈りながら。
学校では人気者の優等生。
家では手のかからない愛娘。
愚痴ひとつ零さず、笑顔を絶やさない。
不気味な程に完璧な子供。それが私。
なわけがない。
そんな人間がいたら胃ごと吐いてしまう。
綺麗すぎて気持ちが悪い。
何時でもニコニコしやがって。表情筋がつりそうだ。
思ってもいないことを言う時だけはやけに舌が回る。
先生にいい顔をするのは進学を有利にするため。
推薦枠を貰えた理由の一つがこれだろう。
同級生と仲良くするのはただ都合がいいから。
抜き打ちテストの噂なんて、どこから得ているのか。
親の言う事を聞くのは詮索されるのを防ぐため。
あの子なら大丈夫って、馬鹿みたいに信じきってる。
絆なんて、打算と下心を混ぜ込んだ鎖だ。
愚痴だって、言わないだけ。
心の中では罵詈雑言が飛び交っている。
毎回歯を食いしばって暴言を飲み込んでいる。
目を細めて見下してるのを悟られないようにしている。
嘲笑が漏れないよう息を止めている。
お陰様でストレスは絶えないが、
周りからの評価は高いみたいだ。
毎日私を隠して、騙して生きている。
味方なんて居ない。晒け出してはいけない。
それでも私をこの世界に残したくて。
私が存在していることを証明したくて。
とうとう私は、日記帳という名の掃き溜めを作った。
言いたかった愚痴も、失望した誰かの行動も、
ついでに分からなかった問題も。
ここには取り繕う事無く、赤裸々に書き出す。
笑いたかった誰かの失態も、
恥ずかしかった自分の失敗も。
思い出して顔に熱を集めては、書く手が早まる。
誰にも言えないような、見せられないような日常が。
今まで隠していた、私の本性が。
お世辞にも綺麗とは言えない字体で踊り狂っている。
今日もまた少し、私の日記帳が黒くなった。
僕は誰かの一番になりたかった。
僕は一番なんだと誇りたかった。
勿論好意的なものであって欲しかったけれど、
誰も僕を一番にはしてくれなかった。
どんな理由でも、ね。
もう選り好みはしないって誓ったんだ。
一番になれるなら、どんな事だっていいよ。
一番不細工だとか、一番空気が読めないとか、
それでもいいんだ。誰かの唯一になれるなら。
やっぱり一番にはなれなかった。してくれなかった。
何をするにも中途半端な僕は、一番になれなかった。
もう誰かに期待をするのはやめた。
誰かじゃなくて、僕にしよう。
僕の一番に、僕がなればいい。
大切な物を壊して、大事な人を傷付けた。
一番になるために、僕は躊躇わなかった。
鏡を見る。僕の全てを壊した奴の顔が映っている。
今僕はとても誇らしいよ。
この瞬間、僕は一番になったんだ。
唯一無二で、僕だけの一番。
この世で一番、僕自身が大嫌いだ。
おかしいな。これが僕の誇らしさ?
全然嬉しくないや。