貰ったお土産が私のアレルギー食品だったとき、その人と私の間には今まで見えていなかった膜が薄っすら見えて、ありがとうと受け取りながら笑う瞬間に嘘が紛れ込む。
事前に伝えるような関係でもなく、それ故のすれちがい。私にも渡そうと思ってくれた暖かい気持ちとそれを受け入れられない私の身体は反対のもので、1口だけ齧ったりもするけれどそれ以上は食べられず家族へ渡してしまう。好意をこんな形で受け取れないこともある。
努めて淡々と別れ話をする彼の頭に光る1本だけある白髪をもう抜けなくなるんだなと思って、それが一番、一番悲しかった。
お互いに涙をこらえてたまにふと落ちる雫をそのままにしながら私は私の手を爪が食入るくらい握りしめていた。
夜、ふと寂しくて連絡を取りたい人がいる。
けれど私の中の小さな意地が私から連絡はしないと決めている。
連絡はしないの 私なりの抵抗
でも結局は全部したいの いつだって待っているの
あいみょんが流れるiPhoneにうわ、と思いながら歌詞をなぞる。
この歌詞に浸る自分を軽く笑いながらまたTwitterに目を落とし、Instagramのストーリーを流し見て、そしてまたメッセージ画面をみてしまう。
いつか私は地獄に行くのだろうか。
今もキリスト教会のベンチで煙草を吸っている。
信号待ちで並ぶ時はいつもヘルメットを少しあげる。
隙間からふわと香る甘い香りが舞い込み、目をそちらに向ける。
金木犀は在るだけで嬉しくなる。自然の甘さが1番好きなので、同じ香りを謳うハンドクリームやヘアオイルを買ってはなんか違うなと思いがちだけど。冬が来たね。
行かないで、と願ったのに母は仕事に行ってしまった。
熱のある身体で揺れる天井を見る。学校に休みの連絡を入れてもらったら少し楽になった。私はふらふらと立ち上がり母の部屋に行く。押し入れに体を滑らせながら、前に見つけた古い日記を手にとった。
考え直そうよ。僕たちの子供のためにも一緒に居たい。
お願いだから話しましょう。ゆっくりでいいから。
と書かれた手紙がその日記に挟んであることを私は知っていた。
それを書いた私の父は一緒に暮らしていないけれど、幼い子供にお願いするように優しく柔らかな言葉で必死に母を繋ぎ止める父の熱意が伝わってきて幼いながらに羨ましかった。
20になったら会いに行きたいと思っていたけれど結局は会いに行っていない。血を分けた1人が今もどこかにいて、もしかしたら腹の違う妹や弟がいるかもしれない。考える度に足が床から離れるような不思議な気持ちになる。もし新しい家族と過ごしているなら、自分の子を見つめながら私に思いを馳せることはあるのだろうか。まぁそれはその子達に悪いか。
会った時の挨拶を真剣に考えていた時期もあった。
私とその人は喫茶店とかで会って、敬語を使いながら今までの話をする。母が元気なことを伝えるか、本当は今の父とも上手くいかずずっと大変だったことを伝えるかを悩みながら言葉を紡ぐ。2人とも珈琲を頼んでいて、軽食も頼んでいいよとか、そういうことを言ったりして、今の家族の話や仕事の話をする。
いつか会ったら父と呼べるのだろうか。
お母さん、お父さんに夢ばかり抱いてごめん。
けれど字の綺麗な差出人に、私と目が似てる人に会ってみたいなと思うことは許して。