夢日記をつけていると起きてからも少しだけ夢の内容を思い出す。夢で私は保育士になり母になり、私に厳しい人も夢の中では笑ってくれる。
”緑色の池の真ん中に浮かんでいる畳にはテレビがひとつ置いてあり、「ご飯を作っているとふらりときてぶどうをつまんでいくのが腹立たしい」という字幕が流れていた”
これは休みの日の朝8時3分の記録。この続きには神様を見たと書いてあった。
20歳になったら父に会いに行こうと思っていたけれど、会わないまま23歳になった。多分死んではいないだろうけれど生きているかを確かめるすべはない。確かめようとして父が経営しているお店(自営業なので住所は母子手帳から知っていた)のホームページを何度か見に行くも今まで一度も更新はないままだ。血を分けた子供が同じ空の下にいるということを父はどう思っているのか。私につけた名前くらいは覚えているのだろうか。困ったことに子供というのは親のことを否応なしに考えてしまう。産まれたての私は把握反射で指を握ったのだろうか。
お母さん、これ以上小さくならないで。あんなに綺麗で、幼くて、激しかった母が寒いねといいながら足を引き摺り歩く姿を見て、わたしはこの人を置いてきてしまったのだなと思った。実家を出てから何年か経ったけれど、母の姿を見るたびに苦しくなる。
今年の抱負は年に4回は実家に帰ること。患者さんから言われる「元気なうちに」という言葉はなによりも重い。歩くのに杖をつくようになった母に沢山会っておきたい。
仕事が始まって数ヶ月で部署が変わった時、家で動けなくなりゆっくりと鬱の経過を辿っていた私に気付いて声をかけてくれた先輩がいました。人は、というか私はかなり弱いもので「ねぇ、元気ないけど大丈夫?」と声をかけられた瞬間、涙がぼろっと落ちてしまいああ私は大丈夫じゃなかったのかとその時初めて気付きました。2025年、そこから私はなんとか持ち直し先日仕事を納めて実家に帰っています。2026年は社会人2年目になり、後輩が入り部署も変わるでしょう。周りに助けられながら生きている私がどうか少しでも誰かを助けれますように。良い年にしましょう。