サバク

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10/18/2023, 12:24:31 PM

秋の晴れた日、すき
いわし雲、すき
ちょっと寒いから落ち着いた色味のタータンチェックのストールを巻く私、すき
どこからか香り漂う金木犀、すき
秋になると香り立つその存在感、すき
花が地面に落ちるとオレンジの絨毯みたいになるの、すき

そもそも季節にはそれぞれ匂いがある気がする
春の匂いも、夏の匂いも、冬の匂いも、すき
地軸の傾きによって四季が存在するの、不完全なのが完全って感じで、すき

私は私のすきがだいすき

10/18/2023, 3:21:53 AM


忘れられないでいるのは、どこかで自分が覚えていたいという感情が少なからずあるからだと私は思う。

私には心の病気がある。感情を抑えられない、妄想癖があるという病気で月に一度『そういう病院』に通っている。
自分が許せなくて悲しい胸の内を母に話したら、母はとても悲しそうにこう言った。

『私が子育てを間違えたのがいけなかったの、ごめんね』

忘れたくても忘れられない棘のように胸に刺さっている。でも、正直これでいいんだとも思う。

なぜなら私には自分の子どもが居るからだ。
子どもにはうっかりでも『子育てを間違えた』なんて言葉を使うもんじゃないと学べたから良いのだと今になってこそそう考えることが出来る。

言われた瞬間はショックだった。私は、母に『間違えた』生き方をしてると思わせてしまった。そして謝らせてしまった。私は間違えた存在なのだと母から思われてるかもしれないのが悲しかった。

その事を夫に話したら、「お母さんがそう言ったのは、その時おまえが幸せそうに見えなかったから」だと言った。
それは夫の解釈だが、私の考え方も私の解釈であって、本当の意味は母にしかわからない。

それでも私は、それならばいいなと少し思った。
親にとっての子育ての正解はなんだろう。それはやっぱり「子どもが幸せである」ことなんじゃないだろうか。

その時私は幸福を感じる心の余裕が無かったので、そんな姿を見せられて母もしんどかったのかもしれない。そして母は自分を責め、私にとって一番言われたくなかったことを言わざるを得なかったのかもしれない。

自分が傷つけられても、他人を思いやれる余裕がなくても、全部過ぎてしまえば戒めとして『覚えておきたいこと』になってしまうのが歯がゆい。

トラウマと思い出は紙一重だが、違うものだ。
今も私は、自分の中にある忘れられない悲しいことを、思い出に変える作業の途中に居るのかもしれない。

10/10/2023, 10:37:46 AM


たとえば、
テーブルの足やタンスの角に足の小指をぶつけた時。
玉ねぎをみじん切りしたら匂いが思ったよりキツかった時。
なんとなく観た映画がじんわりと切なくて胸が熱くなった時。

本の帯に「泣ける」と書かれていた本がちっとも感動出来なかった時。
仲がいいと思い込んでいた人の陰口を聞いてしまった時。

生きている気力が湧かなくなってしまった時。
身体や心が病を患ってしまった時。
周りの期待に上手く応えられなかった時。
世間だとか親に対して自分の存在が申し訳なくなった時。

そんな時は笑うのだ。嘘でもいい、そんな気持ちになれなくてもいい、あえて馬鹿みたいに笑ってやるのだ。
どんなことだってそんな感じで笑えば、笑うから、笑い話になる。

そして笑い疲れた時には、きっと涙が出てくるんだ。

10/10/2023, 10:10:46 AM


文を書くのは好きだけど、お題を考えるのが苦手な私におあつらえ向きじゃあないのと、今初めてこのアプリを落とした。これから毎日文らしきものをつらつらと綴ろうと思う。

意気揚々とお題を確認した。思わず笑った。それからスクショしてXに投稿した。

…どうしよう、世代にもよるんだろうけど、某ロボットアニメと某nobodyknows+しか思い浮かばない。

最近私が心を躍らせたことってなんだろう?
しかも、『心躍る』ではなく『ココロオドル』。このカタカナな所のニュアンスも出来れば汲んで文を書きたい。これは腕がなるんじゃないのと肩を回したらバキバキと関節が鳴った。あぁもう無理だ!と思った。ココロオドラセルには如何せん若さが足りねぇ。アンコールも湧かせません。

他の人がどんな文を書いてるのかふと気になって、投稿を眺める。
ちゃんとお題通り文学を愉しむ人、ポエムを書く人、そして私と同じ発想をしたであろう歌詞の引用をする人、人それぞれの『ココロオドル』があった。

それならば、と思う。
ずっと好きだった漫画ジャンルが、初めて某有名ファンシー大手会社と原作者の新規イラストでコラボしたとか、主治医から「今の仕事やめた方がいいですよ」と言われ、そんなこと簡単に言うなとかより先に「ですよね!私もそう思います!やったぜ仕事やめよっと!」と意志を固めた時とか(固めるな、そんな意志)

今こうやって、人それぞれのココロのオドラセ方を眺めている時もそうだ。ちょっとした趣味で文を書くのはもっと自由で良いんだと愉快な気持ちになった。

きっと、どこかで私の駄文を読み、同じように静かにココロをオドラセた誰かが、気軽に筆を取って投稿してくれたら。

そんなことを妄想すると、やっぱり少しだけココロがオドルのだ。