忘れられないでいるのは、どこかで自分が覚えていたいという感情が少なからずあるからだと私は思う。
私には心の病気がある。感情を抑えられない、妄想癖があるという病気で月に一度『そういう病院』に通っている。
自分が許せなくて悲しい胸の内を母に話したら、母はとても悲しそうにこう言った。
『私が子育てを間違えたのがいけなかったの、ごめんね』
忘れたくても忘れられない棘のように胸に刺さっている。でも、正直これでいいんだとも思う。
なぜなら私には自分の子どもが居るからだ。
子どもにはうっかりでも『子育てを間違えた』なんて言葉を使うもんじゃないと学べたから良いのだと今になってこそそう考えることが出来る。
言われた瞬間はショックだった。私は、母に『間違えた』生き方をしてると思わせてしまった。そして謝らせてしまった。私は間違えた存在なのだと母から思われてるかもしれないのが悲しかった。
その事を夫に話したら、「お母さんがそう言ったのは、その時おまえが幸せそうに見えなかったから」だと言った。
それは夫の解釈だが、私の考え方も私の解釈であって、本当の意味は母にしかわからない。
それでも私は、それならばいいなと少し思った。
親にとっての子育ての正解はなんだろう。それはやっぱり「子どもが幸せである」ことなんじゃないだろうか。
その時私は幸福を感じる心の余裕が無かったので、そんな姿を見せられて母もしんどかったのかもしれない。そして母は自分を責め、私にとって一番言われたくなかったことを言わざるを得なかったのかもしれない。
自分が傷つけられても、他人を思いやれる余裕がなくても、全部過ぎてしまえば戒めとして『覚えておきたいこと』になってしまうのが歯がゆい。
トラウマと思い出は紙一重だが、違うものだ。
今も私は、自分の中にある忘れられない悲しいことを、思い出に変える作業の途中に居るのかもしれない。
10/18/2023, 3:21:53 AM