人間は楽しい記憶より悲しい記憶の方が残るようになっている。
それは人間としての防衛本能で、危険回避するために必要なことである。
テレビの中の偉い先生が言っていた。
ただでさえしんどいことばっかりのこの世界で、そんな本能があるなんて。
もう、人間として生きていくのをやめてしまいたい。
この世界がしんどいから違う世界に行きたいな。
どこにいくのがいいだろう。
おばあが言っていた、あなたはニライカナイで暮らしているって。
ニライカナイは楽園なんだって。
きっと危険なんてなくて穏やかに過ごせるんだろう。
防衛する必要がないから、悲しみより楽しさばっかり記憶に残るようになるだろう。
俺もその世界に連れて行って欲しい。
その世界でのんびり釣りでもできたら最高だ。
でも、そうしたらあなたを失ったこの悲しみも薄れてしまうのだろうか。
あなたに会えた喜びで上書きされてしまうだろうか。
それは嫌だ。
やっぱりニライカナイには行けないや。
この痛みを一生持ち続けたいから、この世界で生きて行くことにするよ。
「どうしておばあさんの口はそんなに大きいの」
おばあさんになりすましたオオカミに言う有名な赤ずきんちゃんのセリフ。
幼少期の私はあかずきんちゃん、おばあちゃんじゃないよ。オオカミになってるんだよ!早く逃げてって心配でたまらなかった。
思春期の私は、いくら物語だからって人間と動物を間違える設定は無理ありすぎって冷めていた。
そして、社会人の私はどうして赤ずきんちゃんはオオカミをおばあさんだと思ったんだろうと考える。
先入観と思い込みなんだろうか。
オオカミなんかが人間の真似をできるわけがない。ここはおばあさんの家だから、ベッドにおばあさん以外が寝ているはずがない。
そして、今まで守られてきた赤ずきんちゃんは周りに対する信用も厚かったかもしれない。
おばあさんの家で危険なことが起こるわけがない。
まるで、この家に来る前までの私みたいだ。
無条件に彼氏を信じて、愛情は変わらないはずと思い込んでいたほんの5分前までの私。
このセリフを言った後すぐにオオカミに丸呑みされてしまった赤ずきんと同じように、私の世界も急激な変化が起きている。
彼氏のベッドの上には彼氏ではない、女の子が眠っている。
顔は見えないけれど、長い髪の毛がゆったりと波打っている。
赤ずきんちゃんじゃない私は
「どうしてあなたの髪の毛は昨日と違って長いの」
なんて尋ねることはしない。
その上、ベッドに眠っている女の子という状況だけで、何が起こったのか正確に把握することだってできる。
泣くのは悔しいし、眠っている女の子を起こして責めるのは違う。
悪いのはこの子じゃなくて、浮気をした彼氏ただ1人だ。
ベッドには1人しかいないけれど、彼氏はどこにいるのか。トイレかお風呂かあるいは買い物にでているのか。
この子を責めるつもりはないけれど、浮気相手の眠りを見守ってられるほど鷹揚でもいられない。
我慢できずに身体の上の掛け布団ごとさわったその途端女の子が飛び起きた。
彼氏の顔だった。
長い髪はそのままで、顔だけ見慣れたものだから違和感が大きい。
「どうしてあなたの髪の毛は昨日と違って長いの」
赤ずきんちゃん、ごめんなさい。
私勘違いしてた。
人は大きな疑問を持つと深く考える前に尋ねずにはいられないものなんだね。
夢はみるものじゃなくて、叶えるものなんだって。
すっかり社会通念となったこの言葉、最初に聞いたのはどこでだっけ?
流行りの曲からかもしれないし、それを歌った人間のインタビューからかもしれない。
あるいは、感動的な小説の一節からかもしれないし、自己啓発本の表題だったかもしれない。
それとも、今まで教わってきたいつかの教師のHRでの一言だったかも。
そんな風にありふれた言葉のくせに、夢っていう言葉からくるどこかキラキラしたイメージを現実に引き落として、なおかつ自分を発奮させることができるからいまだにこの言葉を口にする人間が後を絶たない。
でも、そうなると夢は夢じゃなくて、目標っていう小学校で習うようなつまらない指標になってしまう気がする。
目標のために何を行うべきか。自己分析して足りない部分を洗い出し、自分ができることを毎日行うことが大事です。
一歩一歩がやがて大きなものになるんです。
なんて。
現実に向き合う時に夢なんて言葉は似合ない。
私は夢をみていたい。たくさんたくさん夢がある。
叶えるなんてどうでもよくて、ただ夢をみていたい。夢は夢のままいつまでも輝きを失わずに煌めいていて。
あとは私が勝手に見つめているから。
「ずっとこのまま一緒にいたい、だって!照れちゃうよね」
隣に座った妹がドラマを見ながらそんなことを言う。
今まさに、主演の男が女の子に思いを伝える見せ場が放映されている。
この2人はすれ違いを経てこの場面にいきついたらしい。
抱きしめあって、もう離れたくないんだ、なんて。
ずっとこのまま一緒にいたい
こんなに不明瞭な言葉が告白でいいのか。
ずっとって何年?もしかして死ぬまで?
このままって状態が変わらないこと?抱きしめあったままってこと?
一緒にいるって具体的に何?結婚?3組に1組が離婚を選択する制度に重きを置きすぎじゃない?
明日どちらかが死ぬかもしれないのに。
もちろんこんな言葉は楽しそうにドラマを見ている妹には伝えない。
久しぶりに帰国して、最初は俺を特別扱いしてたのに、2日も経てば俺がいることが日常になり、洗面所の取り合いをしたかと思えば、
「一緒にドラマ見よ〜、感想言い合いたいの〜」
なんて可愛い提案をしてきた妹の気分を損ねたくなんかない。
「こんな風に言葉にしてくれるのっていいよね。言われるのってどんな気持ちなんだろ」
無邪気な妹が俺には眩しい。
でも、お前も知ってるはずだろ?死は案外身近にあるものだって。
〝このまま〟なんて。
変わらない日常なんてなくて、変化は突然やってくるものだって。
だから、俺は未来の約束はしたくない。希望を込めた思いほど、簡単に言葉にするのは恐い。
同じ悲痛を味わったはずなのに妹はどうして未来の約束を好意的に捉えられるのか。
「お前は前向きだよな」
しまった。もっと明るく言うはずだったのに、妬ましげな声音になってしまった。
ちらりと妹を見ると、にんまりと笑ってこちらを見ている。
「お兄ちゃんは可愛いなー。私だって変わらないものがあるなんて、思ってないよ。」
今度はどこか得意げに言う。
相変わらず表情が豊かだ。
「可愛いって。それはお前だろ。楽しそうにドラマ見てて、そんなふうに見てもらえたらドラマつくった人も喜ぶだろうよ。」
なんとなく、自分が考えていたことを悟られたような気がしてあえてずれた回答をしてみる。
「わかってるよ。ずっとこのままがいきなり終わることがあるって。どうしようもないことってあるもんね。
でも、それでもため込んだ思いが溢れて言葉にするしかない、伝えたいってのがステキなんじゃん!」
驚いた。
俺が考えていたようなことを妹も考えつつも、そんなところへ着地するなんて。
「お前は本当にすごいな。思いが溢れるっていい言葉だな」
「そうだよー。言葉にするのって恐いときもあるけど、やっぱり言わなきゃ伝わらないもんね。だから言うよ、お兄ちゃんとドラマ見れて私は嬉しいよ」
楽しそうに可愛い妹が言ってくる。
こんな言葉なら、いくらだって言ってもらいたい。
俺にも言葉で相手を嬉しい気持ちにさせることができるだろうか。
手始めにお前は俺にとってずっと変わらず可愛い妹だと伝えてみようか。