てふてふ蝶々

Open App
8/12/2023, 4:52:05 PM

君の奏でる音楽

楽譜通り。
作曲家の意思を詰め込まれた楽譜に敬意を払い弾く。
私の先生の教え。
だから、先生に習うからには、先生の意思も加算して、なるべく楽譜通りに弾く。
それでもやはり曖昧な表現もある。
そこに私の表現力を発揮する自由がある。
それすら先生と意見の合わない時もある。
その時は意見の交換をする。
その為には楽譜を作った作曲家。製本した楽譜を作った会社の意思まで鑑みなくてはならなくて、その数小節のための膨大な知識がいる。
技術が上がると自由度が増えて、大変な思いをする。
それこそが、自由の本質かもしれない。

年に一度、先生が開催する発表会がある。
それこそ、楽譜通りにキッチリキッチリ弾く練習。
でも、毎年、本番は私の好きなように弾く。
それを先生は
「一番良い演奏だったよ」
と、言ってくれる。
あまりに難曲を選曲して、実力不足を痛感した時も、そう言ってくれる。
私は最後の発表会の時、今まで弾きたくて弾きたくてたまらない曲を選んだ。
先生は、
「最後は弾きたいと思う曲を弾きなさい」
と、言ってくれた。
その曲は、私よりも随分年下の子が発表会で弾く事が多いような曲。
難易度は易しいに分類される。
どうしても弾いておきたかった曲。
人気な曲だから大体取り合いで、私も発表会で弾けなかった1人。
だからこそ、最後に悔いは残したくかかった。

発表会では楽譜通りに弾いた。
多分、今までの発表会で誰よりも上手に弾いた。

そして、もう一曲。
少し前に先生と練習しつつ、途中で挫折した曲。
先生には内緒にした。
発表会のプログラムには載せないで欲しいと頼んだ。

先生と練習したところまでは楽譜に従い、途中からアレンジも加えて好きなように、思うままに弾いた。
まるでジャズのような、ゴスペルのような気ままな曲になった。
クラシックの先生に歯を向けたような私の愚行。
全身全霊、汗だくになって弾いた。
私の全てを曝け出すように。
今まで先生から学んだ一滴も溢さずにだせるように。

私は今日限りでピアノのレッスンを受けなくなる。
ピアノというお稽古をやめる。
人前で弾く最後の曲だ。

弾き終わると、先生が舞台に上がってきてくれた。
本来なら私が下がってから、司会として出てくるのが常なのに。
先生は泣いていた。涙脆い先生だけど、礼儀を欠いてまで泣いてる。
先生は私にしか聞こえない声で
「ありがとう。今までで一番いい演奏だったよ」
そう言った。

後日、出来上がった発表会のCDが送られてきた。
先生から一筆
「僕を自由にしてくれたのは、君の奏でる音楽だったよ」
と、書いてあった。
きっと、先生は一度でいいから人前で思いっきり好きに弾いて見たかったに違いない。

8/11/2023, 11:17:40 AM

僕は部活の最中に熱中症で大きな病院に運ばれた。
こんなヤワなはずじゃないのに、今年の暑さは異常。
部活中、水分も塩分も定期的にとってたはずなのに、情け無い。
その日は、点滴とかしてもらって、すぐに帰れたんだけど、どうにも眩暈が治らない。
だから、もう一度受診して検査してもらう事になった。
部活は休みたくないけれど仕方ない。
病院の中庭には日除になるような木々もあって、入院着の人や車椅子の人が夏の暑い中散歩してる。
その中で一際目立つ女の子。
多分、幼稚園くらい?
小さな体でワンピースにサンダル。お見舞いかな?と思う姿だけど、1人で庭の草を触ったり走ったりしている。
親の姿も見当たらないし、何より不自然な程、大きな麦わら帽子。
子供のソレなら、縁がクルンと外巻きになってリボンがついているのが普通。
その子の被る麦わら帽子は、大人用?と思うほど、ツバが大きくて、女優が被っているような帽子。
頭でっかちに見える少女は、行動も背格好も幼児のようだけど、麦わら帽子だけ不自然。
明るい外を見過ぎたのか、くらりと目眩がする。
順番を指す電光掲示板を見たり、忙しく動く看護婦さんらしき人を見たりして、目を室内に慣らす。
そうしていると、玄関からあの女の子が入ってきた。
ちょうど通路側に座っていたから顔が見えた。
女の子の顔は傷だらけだった。
刃物で切られたような、焼けてただれたような。
知ってか知らずか外を満喫してきたらしい女の子の口角は上がっている。
かわいそう。
そう思った。
それは自分じゃなくて良かったていう酷く哀れんだ感情で、僕の嫌いな言葉。
打ち消したいのに、他の言葉が見当たらない。
僕は下を向いて、自分はなんて嫌なやつなんだって思った。
それと同時に、最近、近所で母親と同棲中の男から虐待されて保護された女の子がいるってニュースを思い出した。
あの子かもしれないし、あの子じゃないかもしれない。
僕の目眩はいつ治るんだろう?って不安で来た病院。
目眩なんて大した事ないと思った。
彼女は自分の顔をどう思っているのだろうか?
いつか僕と同じくらいの年になったとき、彼氏はできるのだろうか?
保護されて良かった。ニュースの子なら。
生きて、今日、笑う事ができたんだからと自分を納得させる。

8/10/2023, 10:49:18 AM

私が名前を書く時は、『.』をつける。
英語のピリオドみたいな感じ。

私の名前の画数は最悪らしい。
人生の旅半ばにして全てを失うって言われた。
それが、占い師だったり、姓名判断の本だったり…。
なんでそんな名前にしたんだ!
と、母に詰め寄ったら、
「産まれる前に決めてた名前があったんだけど、生まれたあなたの顔を見て、コレだ!って思っちゃったの」
と、ただの産後ハイで決まったらしい私の名前。
画数が悪いからで名前を変えるとかできないよねぇ?
どうしたもんかと考えていたら、戸籍は変えずに普段に名前を書く時に一画、減らすか増やすかしたらいいと聞いたから、簡単に点をつけるようにした。

知ってか知らずか、私の父も画数が同じ。
父、50代にして母と離婚し、私は母方についた。
父とは、しばらくは連絡をとっていたものの、父の故郷である、日本の隅っこにある島に帰ったと聞いてからはとんと連絡を取らなくなった。

だから、今の父の暮らしぶりはわからない。

全て失ったのか、家族を失っただけなのか。

私と同じ画数の父と、私は同じ人生を歩むのか。

名前の最後に点一つ付けただけで人生変わるもんか。
と思うし、
画数だけでなく、私は父の血を受け継いでるから似たような人生になる気がするし。

そもそも画数なんてアテにならないかも。

有象無象と考える。

そう言うのも何かの因果、私は熟年離婚を画策し、子供達が巣立ってからが私の人生の始まりって思ってる。

そうしたら、氏が変わるかもしれない。
人生丸ごとひっくり返るかもしれない。
全てを失うかもしれない。

人生の旅半ばに全てなくなっても、終点はどうかわからないじゃない?

8/9/2023, 12:17:50 PM

初めての時は、手首に一本。
血が滲むまで切るのには結構大変なんだなって思った。
死にたいとかそんな気持ちなんてなかったけど、1人で暇で退屈でやってみただけ。
意外と自分が痛みに強いと知った。
それからは、別に癖になる事はなかったから、次にカッターで切ったのは、夏。
手の甲に星型に切ってみた。
跡が残ればいいと思って慎重に綺麗な星型に切った。
夏休みが明けて、学校で友達に何か言われたら面倒だと思って、包帯とかバンドエイドで隠してたけど、ずっとは無理だったから、「墨入れたいんだよねー」って誤魔化す事にした。
悪いことしてるわけでもないのに誤魔化すのって嫌だなぁって思って、見えない所を切るようになった。
太ももの付け根、二の腕、お腹。
どこも切りにくいから一本線。
血が滲むと、やった!切れたって達成感がある。
別に死にたくて切るわけじゃなかった。
でも、死にたくなるような事が起きた。
生きていたくないって思った。
体のどこを切っても切るのは大変だと知ってたから、たくさんの薬と酒を飲んだ。
気がついたら病院で、胃洗浄とか言う治療されてた。
死ぬって意外と大変だ。
ちゃんと死ねる方法を探した。
テレビのニュースでは、事故や自殺や殺人で人が死んでるけれど、どうやってかは教えてくれない。
ネットにはたくさん死に方がのってるけど、確実な方法はなかなか難しい。
しかも、失敗したら後遺症が残って生き延びちゃったりするらしい。
だから、確率の高い方法で、
できればあんまり苦しいとか痛いとかない方法で。
別に上手くいかなくたっていいんだけどね。
どうせ、いつかは死ぬんだし。
なるべく早く死ねるように頑張ってみる。

8/8/2023, 11:37:23 AM

ずっと好きでした。
貴方にお会いした時は西洋のお姫様かと思いました。
声をかけるどころか近寄る事さえ叶いませんでした。
幼心に貴方に一目惚れしたのだと思います。
貴方のお屋敷に勤める父の荷物持ちとして、お屋敷には幾度となく行く事は出来ましたが、貴方にはなかなかお目にかかる事も叶いませんでした。
何度か遠目にお見かけする度に心躍りました。
和装の姿に姫様と心の中で呟いた事、お許しください。
戦禍が厳しいものとなり、長男の私にも近いうちに出兵の命がくだると感じた頃、父母が私にと結婚相手を連れてきました。
気のいい、若いお嬢さんです。
私に最後に花を持たせてくれようとした両親に感謝しました。
ですが、私の心は貴方のものとなってしまっておりました。
名も知らぬ、高尚な貴方に私が相応しいはずもありませんが、私の青春と人生は貴方に捧げると勝手ながらに誓いました。
祝言をあげてもらい、初夜には、お嬢さんに土下座をし、恥を忍んで夜を抜け出させていただき、貴方の屋敷の裏の門で一晩、貴方を思い、泣いて過ごしました。
しばらくして、やはり赤紙が届きました。
近所の皆、出兵を喜ぶふりをしてくださいました。
千本針も持たせていただきました。
私の行った戦地は、桜花と言う花の名前の人間爆弾を投下するような暑い地でした。
私もコレに乗る日が来ました。
もちろん、生きて帰る事など鼻から諦めておりましたので、戸惑う事はありません。
ただ、この地で先に行った戦友の元へ行く。
そう思わないと、震えが止まらなかったのです。
毎日、写真も持たない貴方の事を考えました。
この戦に勝ちはないとわかってました。
言葉にできぬ事や思いが増えて溢れそうになり、気がおかしくなりそうでした。
やっと私に乗り込む番が来ました。
正直なところ、やっと死ねると涙しました。
片道の燃料のこの機体。桜のように散る私は蝶になれるでしょうか。
体がなくなったら、遠い地ではありますが、この地から蝶となってもう一度、貴方を一目見たいです。
そうできたなら、思い残す事もありません。
ソレが叶わなくても、この戦禍の世にありながら蝶よ花よと生きる貴方の生涯が、ずっと続く事を願います。
手紙にも残せぬこの思い。蝶になって届ける事が叶わないなら、いつかの裏庭に咲く桔梗の花になりたい。

Next